第227話 雪砂糖
イザークに連れられて、階段を2階分上り、そして別校舎を繋ぐ渡り廊下を歩き、執行部の部屋にたどり着いた。
イザークが入っていくと、中にいた人たちが立ち上がってわたしを迎えてくれた。
「リディアさま、大丈夫ですか? 驚かれたでしょう?」
心配そうに声をかけてくれたのは一代貴族の商人の娘であるマーヤ・ハバー嬢だ。茶色い髪を潔く顎のラインで揃えている。女性で髪を短くする人はあまりいないが、彼女にその凛としたところがとても似合っている。
「驚きましたが、殿下に助けていただき、ことなきを得ました。殿下、お礼が遅くなりましたが、ありがとうございました。助かりました」
カーテシーで礼を尽くすと、わたしに軽くうなずき、そしてイザークに尋ねる。
「ずいぶん遅かったな。フランツはどうした?」
「リディア嬢がヒンデルマン先生と話されていたんです。フランツは今先生と話しています」
ロサ殿下は口下のへこみに人差し指を置き、何やら考える仕草をしたが、わたしに座るように言った。
生徒会執行部の部屋は教室とか部室の域ではなく、貴族の家の応接室のような作りだ。仕事をするのだろう机なんかもあるけれど、高級なソファーがある。洒落た背の低いテーブルはガラスでできているように見えた。ファイルなどを収めているキャビネットもいいものだ。中にはさらにドアが2つある。部屋があと2つはあるってことだ。なんて広さだ。
ダニエルがお茶を入れてくれた。宰相のご子息だ。茶髪で青い目、抜け目のないところはあるが、物言いは優しい。
アイボリー侯爵令嬢は、今日は学園に来ていないそうだ。
ブライもいたので、エリーと話したり、朝はジェイお兄さんのおかげで助かった旨を話した。騎士団長のご子息で一族みんな武にたけ、関係ないけど見事な赤毛だ。助かったって、そりゃなんだと言うから、道を聞かれた話をした。
雑談をしているうちに、兄さまが部屋に入ってきた。
「リディー、怪我したって。大丈夫かい?」
兄さまがわたしの頬に手をやる。
「保健室で先生に治していただきました。殿下に助けていただいたんです」
そう告げれば、兄さまは殿下に正式な礼をとってお礼を告げた。
「フランツにそうされるとむず痒いものだな。フランツもリディア嬢から話を聞きたいだろうと思って、今まで聞かずに待っていたんだ」
殿下がそういえば、兄さまは胸に手をあて頭を下げた。
「それで何がありましたの?」
マーヤ嬢に優しく問いかけられる。
わたしは試験ギリギリに学園に入り、そこで先輩に案内してもらったんだと話した。
こちらですと言われてお礼を言ってから入ってみれば音がしない。おかしいなと覗き込めば物が積み上がっていた。人もいないし。試験会場とは思えなくて振り返ったらドアは閉まり、開かなくなっていたのだと。
わたしはその人を探したいのだけれど、全生徒の顔を調べられるような何かがないのか尋ねてみた。
ないようだ。
どんな女生徒だったか聞かれて、茶色の髪を長く伸ばしていて、カチューシャみたいのをしていたと告げる。瞳の色も茶色かった気がする。
茶髪と茶色の目の人口が一番多い。それに魔具を使って姿を変えられているかもしれない。
殿下にみつけて、どうするつもりか聞かれた。
わたしはなんでそんなことをしたのかを知りたいと答えた。
「知ってどうするんだ?」
「理不尽だったり、腑に落ちないと思ったら、それなりの罰を受けてもらおうと思います」
わたしの未来、5年間分のいく先を変えたのだから、それ相応の帳尻を合わせてもらうよ。
そう言えば、ロサは笑った。それでこそわたしらしいと。
みんなを見渡せば、ニコニコしている。
そっか、心配をかけていたんだと思い当たった。
最初に会ったときはこんなふうに仲良くなれるとは思っていなかった。学園に入れば、仲良くなれたみんなとも会える確率が高くなると思ったのに残念だ。
さっき泣いてスッキリしたはずなのに、またうるっときそうになる。
え?
視界が遮られる。目隠しされている。この手は兄さまだ。
「兄さま?」
「こうすれば見えないよ。見てないから……」
兄さまがわたしの隣に座って、わたしの顔を兄さまの胸にぎゅっと押し付ける。
「ごめんね、気がつかなくて。リディーはまだ子供だ。我慢しなくていいんだよ、泣きたい時は泣いて」
そんなふうに言われたら。ここにはみんないるのに。
ふと空気が揺れ、ソファーに座っていた人たちが離れていく音がする。机のほうに移動していく。紙を合わせて整えるような音が聞こえ、会話も聞こえる。
「……ブライ、聖女候補とアイボリー令嬢の件は収拾がついたのか?」
「殿下、あれは俺の手に負えません」
「留学生の方はどうだ、問題ないのか?」
「聖女候補の周りは味方になるか敵になるかのどちらかのようです」
わたしたちが見えてないように、仕事の話が聞こえてくる。
「ほら、誰もリディーのことを気にしてないから」
そんなわけないのはわかっているけれど、もう涙は出てしまっているので、兄さまの胸から顔を離せない。
「怖かった? 悔しかった?」
「……悔しかった」
兄さまの手が、わたしの頭を優しく撫でる。
「また父さまに心配かけちゃう。わたしだけ、落ちちゃう」
領地にはお菓子を買いに遠くから貴族がやってくる。ありがたくはあるが、なぜかみんなわたしの顔を見たがった。わたしだけ特別ってわけでなく、2年前までは主に兄さま、次の年はアラ兄とロビ兄、3人が学園に行ってしまったからわたしになっただけなんだけど。
わたしを見ては拍子抜けしたような、がっかりしたような表情を浮かべた。気にしないようにしたけれど、「兄たちは見目麗しいし優秀だが、真ん中は大したことないな」「だから早いうちに片付けておいたのだろう」って聞こえた時は愕然とした。悪口はせめて領地を出てから言ってほしい。どちらかというと可哀想モードで見られていて、それが胸に刺さった。しかも養子だからわたしとの婚約を避けることができなかったんだと、兄さまはさらに同情的に見られている。
兄さまの足を引っ張っているのが申し訳なくて、カフェの経営に力を入れたら、混み混みだったところに貴族が殺到し占領する暴挙も起こり、従業員さんたちに嫌な思いをさせてしまった。結局、目に届くところまで縮小することになった。〝村〟の一大事業となっている、米は売れるようになったのは去年からだ。最初からうまくいくとは思っていなかったから予算をかなり回したが、道筋はわかったものの、虫害や雨の降り方で一度として同じ育て方でいけることはなかった。毎年調整しながらやってはいるものの、軌道にのせるまではまだ時間がかかりそうだ。リンスや鞄、商品登録のロイヤリティーで潤っているのも確かだが、カフェと米での支出が多い。わたしが主導でやっているものがそんな調子なので参っていたのもある。
いつだったか気づいた。わたしの周りには人外が多い。上手くやれていると思ったのは、ひょっとして人外に対してでは? 人の社会にわたしは溶け込めてないのでは? それ、まずいじゃん。わたしは少しだけ人との繋がりを持つのに積極的になろうとした。そして失敗してきた。
だから、学園でなら、今度こそ、そんな思いで今日に挑んだ。それがこんな結果だ。結果は父さまも母さまも悲しませる。
気持ちがいろんな方向に伸びていくが、行き着く先は〝どうしよう〟になる。どうしようも何も落ちたらただそれだけだけれども。
「リディー、どうしたいか決まったら、私に言うんだよ。リディーの意を汲んで私の思いを足して報復するからね」
「……フランツは不穏すぎるから、生徒会に言え」
「殿下もあまり変わらない気が……。社会的に抹消したかったら私に相談を」
「商会から追放もなかなか悲惨ですわよ」
「みんなえげつない」
イザークはわたしと同じで常識人だ。
顔を離し、涙を拭いて笑ってみる。
うん、大丈夫。
「みんな、ありがと」
お礼を言えば照れたのか、みんなの顔が赤くなる。
「私の婚約者をあまり見ないでくれないかな」
兄さまってば……。
ルシオが心配そうにわたしを覗き込んだ。神官長さまのご子息で、殿下の側近のひとりだ。サラサラの金髪は耳下で切りそろえられ、一部だけ長く伸ばし三つ編みされている。大人しくて、色が白く整った顔で、女の子みたいにかわいらしい子だ。
手が伸びてきて口の中に何か放り込まれた。甘い。雪砂糖だ。ひんやり冷たい氷砂糖みたいなキャンディー。
「ありがと」
ルシオはにっこりと笑う。
あまーく静かにじんわり溶ける。溶けていく。
「執行部でも探してみるから」
「ありがとうございます」
勢いよく頭を下げる。
みんなに支えてもらっている。悲しいのはもう終わりにしよう。
雪砂糖が溶けたら、わたしはまた頑張れる。
帰ったら父さまから魔具を出してもらって……魔具で誰だったのかは判明すると思うけれど……。
どんな理由でこんなことになったのか知るのは、少しだけ怖かった。