第204話 海水浴のお誘い
「リディー、リディー」
んー? 母さまに揺すられて、目が覚める。
夜着はじんわりと汗を含んでいた。
もふさまが隣にいない。アオもいない。
「母さま、おはよう。どうしたの?」
「シードラゴンさまがいらしてるわ」
シードラゴンが?
母さまに手伝ってもらって着替えて、居間に行くと、もふさまサイズに合わせたシードラゴンがお行儀良く椅子に座っていた。アオが通訳していたみたいだ。
テーブルにはお茶が出されていて、品よく飲んでいる。
『リディアだったよね? お邪魔しているよ』
「ようこそ、いらっしゃいませ。この前は海の幸をたくさんありがとうございました。おいしくいただいています」
小さくなっても体を震わせるようにして、キュキュッと音を立てる。
『そう? よかった! あれ、他の子は?』
シードラゴンに尋ねられて、兄さまたちは王都に行っているんだと伝える。
『そうなのか。いやなに、海で一緒に遊ぼうと誘いにきたんだ』
おお、海水浴!
「母さま、行ってきていい?」
『私の庭で危ない目には合わせないよ』
シードラゴンが口添えすれば、それをアオが訳した。
母さまの目が泳ぐ。迷っている。
わたしを見て、すでにはしゃいでいるのを見破り、いいわと言った。
今日は休息日だし、来週の支援団体の仕事の予定も決まって貼り出してある。問題はない。
シロたちは塩水は好きじゃないそうだ。なのでお留守番。
アオと一緒にもふさまの背中に乗って出発だ。シードラゴンが大きくなって飛ぶと目立ちそうなので、みんなでもふさまに乗っていくことにした。
シードラゴンが案内してくれたのは、海中に浮かぶ小さな島だった。その海岸は砂地で静かな波が押し寄せている。
わたしは木陰でTシャツとショートパンツに着替える。
シードラゴンともふさま、アオと一緒に海に向かって歩いていく。
冷たい! 波が引いていくと足裏以外の砂が引っ張られていって、足元が頼りなく感じる。この引きがまさに海を感じるところだ。
アオは浅瀬でバシャバシャしていて、もふさまは濡れてほっそりしていた。
わたしも膝までの深さのところまで走ってみた! 転んで一気に濡れる。波に転がらせられかけたのを、もふさまが服を引っ張って止めてくれた。もふさまが少し大きくなってわたしを背に乗せ、犬かき? いや、ウルフかきで深いところまで連れて行ってくれる。波がくるとほわんと波に乗る。それがなんとも楽しくて、もっともっとと波に挑んでいく。
ぷかぷかと波と戯れているとシードラゴンが自分の背中に乗れといった。乗り込めば背を上に出したまま泳ぎ出す。はっやーい! 波の上を滑るようだ。そして島がもう遠い!
魚たちがついてくる。眷属さんたちだ。波の背をバウンドするように逆走していく。アオとシードラゴンは同じ空の青色だね。
水しぶきが気持ちいい。
眷属さんたちとシードラゴンが何かを話す。眷属さんたちがぐるぐる円を描くように水中を泳いでいく。連なって縄のようにも見えた。と、その速さでなのか魔法なのか渦の中が空洞に見えた。水がないように。眷属さんたちはその空洞の円を広げ、わたしたちを乗せたシードラゴンがその中に入っていく。海の中をくぐっていく。景色は見えないけれど、水中にいるのになんとも不思議だ。いつの間にか上昇し水中から出る。空に飛び上がった眷属さんたちはそこでも渦を作り、逆トルネードができている。ロビ兄が喜びそうな風景だ。
眷属さんたちにお礼を言い、島に戻ってお昼ご飯にした。収納ポケットには食糧がたっぷりある。海の幸も獲ってくれたので、それを使い即席で魚介スープを作った。
シードラゴンは名前をレオっていうんだって。教えてもらって、これからはレオと呼ばせてもらうことにした。ご飯を食べて、お昼寝をし、また海で遊んだ。
砂浜にもいろんな生物がいて、アラ兄に見せたいなと思った。
日焼けしたかも、皮膚が赤くなっている。
海に陽の渡り道ができる。水面がキラキラしている。1秒も同じ景色はない。
何で今兄さまたちいないのかな。一緒に同じ景色を見たかった。きれいだね、楽しいね、面白かったね。そう話したいのに。
『兄たちとも会いたかったな』
同じことを考えたかのようにレオがいう。
「わたしも」
といえば
「おいらもでち」
とアオが白状した。
『だったら、会いに行こう』
え?
『会いたいなら、会いに行かなくちゃ。私は飛べるから王都までひとっ飛びだ』
『バカモノが! ドラゴンが王都に飛んで行ったらとんでもない騒ぎになる』
『君だって飛べるのに、どうして王都へ連れて行ってあげないんだい?』
『人族は飛べない。ゆえに王都に行くには時間がかかるもの。我が連れて行ったらどうやって来たのだということになる。我が飛んだのだと明かせば、我とリディアが友達なのを知られる。我らと人族は普通会話できないもの。それを他の人族に知られると、リディアが大変な目に遭う』
『……じゃあ、他の人族にわからなければいいんだね?』
レオが首をしゃくってわたしたち全員を自分の背中に乗せた。そして空に舞い上がる。
『レオ、どうするつもりだ?』
『どうって、王都の兄たちに会いに行く。他の人にわからないように。それだけだ』
グーンと上昇する。耳が変になる。
『主人さま、兄の気配がしたら教えてくれ』
え、本当に? 本当に王都に向かってるの?
領地にいるはずのわたしが、急に王都に現れたらまずいから!
……そうわたしが本気で言えば、レオだってやめただろう。
行くべきでないのはわかっているけれど、声にできなかったのは、わたしも兄さまたちにすっごく会いたかったからだ。
レオのツルツルの体はひんやりと気持ちがいい。雲の間に入ればすぐ横を稲妻が走る。もふさまがレオを叱ると、レオはキャッキャと喜ぶ。
いたずらっ子のようなレオだが、もふさまと同じように背中に乗るわたしたちにはシールドみたいなものがかけられているのだろう。多分恐ろしい速さで飛んでいるはずだが、風があたっても痛くないし、普通に会話できるぐらい息もできる。わたしたちを退屈させないためか、急降下してみたり、雲をみつければ突入したり、そんな心遣い?のおかげで、そう時間が経っているとは思わなかった。
『……おかしいな』
もふさまが眉を寄せている。
「どうしたの?」
『まだ王都ではない。でもあの町から兄たちの魔力を感じる』
え? 王都じゃないの? だってすっごく大きい町だし、背の高い建物もいっぱいあって、今までの町とは全然違ったから、てっきり。
レオは急降下した。
耳がぼわんとなる。何度か唾を飲み込む。
兄さまたち、まだ王都についてなかったの?
寄り道しているとは聞いたけれど、お菓子の話なら解決したって言ってたからもうとっくに王都についているとばかり。
『どこだ?』
『そっちの大きな屋敷だ。……地下からだ』
地下? 兄さまたち地下にいるの??
近くに来てしまった以上、遠くからでも一目だけ見て帰ろうと言うつもりだった。
でも地下って言われるとなんだか気になるじゃないか。
レオはそのお屋敷の屋根に静かに着地した。薄暗いから誰にも気づかれなかったみたいだ。もふさまが大型犬の大きさになり、みんな背に乗るように言った。アオが赤ちゃんペンギンになり、ポシェットに入る。レオはアオの若返りを喜び、自分もアオと同じ大きさまで小さくなった。ふたりでポシェットに入る。
もふさまはしっかり捕まっていろといって、屋根から庭へと飛び降りた。茂みの中に入る。ドアがあいた。音が聞こえたのかな、ひょろっとした人が出てきてキョロキョロしている。そして数歩出た。庭に変わったことがなかったか確かめるつもりのようだ。
開けっ放しのそのドアから中に入る。もふさまは鼻を動かして、移動していく。
貯蔵庫だろうか? 雑多に物が積み上げられている部屋、その奥に1メートル四方ぐらいの穴が開いていて、地下へと続く階段があった。もふさまは足音も立てずに、階段を降りていく。
石で作られた……なんとなく牢屋のような作りで……いくつかの部屋があり、通路に面して格子状の檻となっている。
『この奥だ』
牢屋は使われていないようだ。
でも、この奥に?
一番奥の部屋に差し掛かれば、檻の中には、兄さまたちがいた。
「え? リディー?」
兄さまが目を擦る。
「リー? もふさま?」
双子も父さまもシヴァも目を見開いている。
カツーンカツーンと後ろから誰かが階段を降りてくる音が聞こえた。
振り返ると、人の影が降りてくるのが見えた。こちらは行き止まりだ。隠れられるところはない。