第200話 水遊び
「もふさま、冷たい!」
もふさまがバシャバシャしたため、水しぶきが大量にかかって、川に浸かってもいないのにずぶ濡れだ。
『こうして遊びたかったのだろう?』
もふさまはわたしの抗議を笑い飛ばす。
「そうだけど! アオもびっしょりだよ」
「もふさま、ひどいでち」
そう言いながら、アオは喜んでいる。ちょっと元気が出たようでほっとする。
川の水は冷たい。いくら暑くても、やはり水に浸かるには覚悟がいるものだから、こうして濡れてしまった方が潔くいけるかもしれない。
川の中央まで歩いていく。それでやっと膝ぐらいの深さだ。座り込んでみる。
冷たい! 冷たいけど気持ちいい! やっぱり暑い時は水遊びだよね。
そのまま仰向けになるようにすると、青い空に白い雲が見えた。
兄さま、アラ兄、ロビ兄、父さま、シヴァも、この空を見てるかな?
ちょっぴり感傷に浸っていると、アオが全身を水につけてバチャバチャ羽を動かす。その水しぶきが顔にかかった。抗議しようとしたら重心がずれたのだろう、足が滑って流されそうになったのをもふさまが体で止めてくれた。
「ありがと」
お礼を言うと、もふさまの表情が険しくなる。
『誰か来るぞ』
鋭く言った。
「アオ、隠れて!」
アオが茂みへとダイブする。
ハッとして音のした方を見ると
「な!」
目が合えば、目を極限まで見開き、大きな声をあげる。
な、何!?
「来るな!」
振り返って大声で告げる。
この暑いのにご丁寧に着込んでいるジャケットを脱ぎながら川に入ってきて、わたしに巻きつける。
「何を考えているんですか? 女性がこんなに肌を見せて」
女性って、あたしゃー5歳だよ。
この世界に水着はなかった。特に女性は足を見せるものではないって概念があるらしいので、水遊びなんかする女の子はいないのかも。今日はあまりの暑さに川に水遊びに来た。水着がわりにTシャツとショートパンツを履いている。ショートパンツが世の中になかったのでズボンの丈を切った。本当は現代の下着、ズロースが一番よかったんだけど、パンツそのままで水遊びは誰に見せることはなくてもあんまりかと、そこは気をつかったのだ。
町の子たちは働き口ができてからは、川まで足を伸ばさなくなった。だから川には誰もいないと思ってアオを連れてきた。アリとクイがいなくて淋しいだろうからね。
アリとクイは今ベアさんに預けている。ダンジョンでアリとクイの戦い方が気になっていたのと、いつまでもミルクを飲んでいるのも大丈夫なのかとベアさんに相談しに行ったところ、もうひとりで狩りができて、自分で食べ物を獲れないとと言われて唸ってしまった。ゴロゴロ転がって敵に当たりに行くというと、ベアさんは眉を寄せた。子供は親が戦う姿を見て真似ていくものらしい。アリとクイはベアさんに慣れたし、3ヶ月も預ければ立派に狩りができるようにしてやると言ってくれたので、ベアさんに預けたのだ。アオは隠しているけど淋しがっている。わたしたちも淋しい。アオを励ます意味もあってきたんだけど……。
なぜ、こんなところにアダムが?
体が冷えているのでジャケットをかけられても暑いまではいかないけれど、面倒なことこの上ない。
「な、何をしていたのですか?」
「水遊びです」
「こんな誰の目にでも触れられるようなところで何を考えているんです?」
「暑かったので……」
「暑いといっても、していいことと悪いことがあるでしょう」
「暑い時の水遊びは最高です」
アダム少年が呆れたようにわたしを見る。兄さまと似通ったものを感じる。
「……その格好で屋敷まで帰るつもりだったのですか?」
「小屋に着替えがあります」
「では、着替えてきてください」
ちっ。
髪を乾かせないと母さまにバレるんだけど。……町まで行くか。
とりあえずセズたちのために作った小屋で着替える。
『あいつはなんで来たんだ?』
「あとで聞く」
ジャケットを脱いで、テーブルに置く。濡れちゃってるよ。どーすんだ、これ?
タオルで体を拭いて水分をとる。
この濡れた服も持ち歩かないと不自然か。
アオが薪入れ口から入ってきた。
「アオ、ごめんね。多分町の家に行くことになるから、アオは家に帰っていてくれる?」
「わかったでち。あー、焦ったでち」
「だよね。なんで来るかなー」
ノック音がする。
「リディア嬢、中に誰かいるのか?」
「もふさまとお喋りしてるだけです。着替え中なので開けないでくださいね」
わたしはもふさまとお喋りできると思っている、夢見がちな5歳なのだ。
着替えて身だしなみを整え、ジャケットを持ち小屋から出る。
洗って返すと一応言ってみたが、そのままわたしからぶんどってジャケットを着た。ところどころ濡れているし、暑いだろうに。
川に入ってきたから、アダムの足は濡れている。
わたしが見ていることに気づいたようだ。
「少し濡れただけで、大したことありません」
そこらへんは紳士だ。面倒な人に感じるが悪い子ではない、いやどっちかと言うといい子だから、反応に困るのだ。町に行ったら兄さまの服や足回りのものがあるはず。
「なぜ、こんなところへ?」
「推薦状を持ってきました。町の子に聞いたら、今日は川に行くんじゃないかと言っていたから」
……みんな勘がいいな。
「わざわざすみません。でも、執事に預けてくださってよかったのに。わたし、そう申し上げましたよね?」
「下心がありまして」
「はい?」
「シュタイン家の食事がとてもおいしいと聞きました。ご馳走していただけるのではないかと思いましてね」
……………………。
町の家で振舞うといえば驚いた顔をする。
「髪が濡れています。風邪をひきますよ。こちらのお屋敷の方が近いですよね?」
アダムが来なければ、温風で乾かせるからなんの問題もなかったのにと言いたいが我慢する。
「暑いぐらいですから、髪が濡れていてもなんともありません」
「頑なだと突き止めたくなりますね。家に私を連れて行きたくない理由が?」
「面白いことをおっしゃいますね。先触れもなしに来られるのははっきり言って迷惑です」
「ムキになられると余計に気になりますね。……そういえば町で珍しい食べ物を見ました。ところてん、ミルク寒天と言ったかな? 妊婦が食べやすい物。リディア嬢が作ったそうですね。ひょっとして、家族が増えるのですか?」
この人、誰かの手下でウチを探っているのかな?
「当たりです」
と微笑めば、少し驚いている。
「ウチの料理人が懐妊しまして、体調が急に悪くなったりするので、家には家族以外入れたくないんです」
母さまが妊娠中なので、ちょっと言いにくかったみたいなんだけど、めでたくピドリナのお腹にも赤ちゃんが宿った。妊婦がふたりになって母さまも心強いみたいだ。ハンナの負担が一気に増えてしまったので、わたしもお手伝いしているよ、土人形で! 土人形は素材が土なのでどうしても床が汚れる。それで外でしか使わなかったんだけど、足部分をコーティングするようにしたら、その心配はなくなった。お風呂掃除の時は全身をコーティングだ。みんな文句も言わず休息を必要ともせず一心不乱に働いてくれるので、すっごく助かる。
「料理人……、なるほど、そういうことなんですね」
「はい、ですので、町の家に。町の家でも食事をお出しできますから」
やっぱり近くの小道までは馬車できていたので、それに乗って町に行った。
アルノルトが驚いている。わたし以外には普通に見えるだろうけどね。
アルノルトは応接室にアダムを案内し、ドアを閉めてからわたしに言った。
「それでお嬢さま。どうしてお嬢さまの髪が濡れているのでしょうか?」
あ。
「理由はあとで話しますね。ええと、アダムさまに食事をお持ちする約束がありまして」
ポシェットから出すフリをして、わたし専用の見せ収納袋を出した。