第174話 海へ
ゲルンの町に行きたかったのだけど、わたしたちは誰も身分証を持っていないことを思い出し、ゲルンの町には入らず海辺を目指した。
街道から外れているので、マップには近くに人の点はない。海の中には赤い点がいっぱいあるけどね。
もふさまはわたしたちを下ろした後も自身のサイズを変えなかった。
もふさまは海に向かって遠吠えをした。
わたしたちは思わず耳を塞いだ。
もふさまに急にどうしたの?と尋ねようとした時、海がざわめいているように感じた。
波間に目をやると、遠くの遠くの波がなんか変。色が変なのか? 海が一瞬にして銀色に染まったと思うと、浅瀬からアジのような魚が顔を出した。直立で。銀色の波に見えたのはどれも魚の頭だった。1番前の浅瀬の魚が頭を下げると、波が見えないほどの魚たちが一斉に頭を下げる。
寄せて返す波の音に負けないぐらいの、泡が弾けるような音も絶えずする。
『いや、海の主人に会いに来たわけではない。ちと尋ねたいことがあり、寄った』
もふさまが急に発言した。
ははーと声が聞こえてきそうだ。平伏している。水から出ていて大丈夫なのかしら。
『以前、海の主人から、白いほわっとした温かいものがあると聞いたことがある。それが何だかわかるか?』
魚に見える子たちは周りと顔を見合わせ何やら口をパクパクさせている。
そしてまた前に向き直る。
もふさまは何やら頷いている。
『そうか。雪くらげかシロホウシだな。それはどこにある?』
魚たちはまた相談を始めた。
その時だった、ずっと先で銀色のテラテラと光る一際大きな魚が飛び上がった。それが大きな口を開け魚たちをむさぼり食べて、そして飛んだ、空中を!
『ギャングだ。まずいな、奴は空を飛べる。我の後ろに』
遠いところにいたのに、あっという間に浅瀬まで来て。体の大きさは今のもふさまぐらい、象サイズだった。
「もふさまの後ろに!」
わたしは兄さまたちの服を引っ張った。
鑑定をかける。
ギャング:海に住むが、水中も空中も得意とする魚型の魔物。硬いものも噛み砕く丈夫な歯を持ち、体格の大きさに反して動きは機敏。体の表面に血流を活性化させる液を分泌している。傷口から液が入ると厄介なことに。
ウオウオ:海の眷属である魔物。主人持ちなので比較的穏やかな獣だが、主人を守るために身を投げ出す忠誠心を持つ。常に集団で行動する
「ギャング、歯が丈夫。体の表面に血流を活発化させるもの分泌してるって。傷に入ると危険!」
ギャングがもふさまに襲いかかる。もふさまは横をすり抜けた、サメのような背びれを持つヤツを後ろ足で蹴った。何気ない動作に見えたのに、ギャングは果てしなく遠くまで蹴飛ばされた。蹴飛ばされた斜めの体勢のまま波の上すれすれを飛んでいき、勢いがなくなったところで海に落ちた。
ほっとしたのも束の間、グボっと音がして目の前が真っ赤になった。
もふさまだ。もふさまの頬に真っ赤な線が走っていて、そこから血が吹き出す。
わたしたちを庇っていたからしっかり避けられなくて、やつのどっかが当たって傷ができたんだ。
止血しなくちゃ!
「もふさま、しゃがんで」
頬からまた血が吹き出す。少量に見えても、象サイズだからか、かなりな量。もふさまの血で全身が真っ赤に染まった。
「リディー」
兄さまが手で顔を拭いてくれる。その兄さまの手も真っ赤だ。
『悪い、汚したな。我は……大丈夫…だ』
がくんと足を折り、崩れる。
「もふさま!」
わたしたちの声が重なる。
届くようになったもふさまの頬に手を置く。
消毒。傷口から入った何かは吹き出す血と一緒に流れるよ。
ごぼっと大きく血が吹き出した。
悪いものは流れたから止血。
傷口は跡形もなく塞がる。温かい光が傷を癒すよ。もふさまは大丈夫。わたしが治す。塞がりかけると血が吹き出して傷口がまた開く。
だめ、塞がって。
薄ら寒いと思ったら、兄さまや双子が支えてくれた。
「リー、もふさまの血の流れをまずはいつも通りに穏やかにするんだ」
アラ兄に言われてすぐに祈る。もふさまのとくんとくんを思い出す。
大丈夫、いつも通りになる。穏やかになって。傷跡も消える。
今度は血が吹き出すこともなく、傷口が塞がった。
『ありがとう。だが、血を流しすぎた。少し眠る』
もふさまがそう言って、安心した途端、海からまた何かが現れた。
その波がザッパンと直撃して、もふさまの血はかなり洗い流された。髪を束ねていた紐も流れてしまったようで、髪が顔に張り付く。
海より出でるそれは長かった。細長い。宝石のように煌めいて、そうまるで全身を宝石のサファイアで作ったような〝龍〟。〝ドラゴン〟ではなくて〝龍〟。昔話のアニメのオープニングで坊ちゃんを乗せてたあのお方寄り。
『ギャングごときに傷つけられるなど』
声が聞こえた。心底悔しさが窺える口調。
「もふさまはわたしたちを庇ったから」
大きな目がわたしに定まる。
『人の子よな? 妾の言葉がわかるのか? ああ、お前が聖域に迷い込んだという……』
宝石龍はわたしたちより後ろに目をやり、目を細める。
『うるさくなるな。森の護り手よ。起きるがいい。護ると決めたのであろう?』
宝石龍がもふさまを見ると、もふさまが金色の光に包まれた。もふさまの目が開く。
「もふさま!」
もふさまの顔に抱きつく。
『リディア、なんて姿だ。我の血で』
『妾に一言もなしか?』
『海の護り手よ。我に力をくれたのだな、感謝する』
『ふん、礼をいうのが遅いわ。今はうるさくなりそうだから帰るがいい。後日、〝おいしい〟物を持ってこい』
『あい、わかった』
『人の子たちよ、また会おう』
宝石龍は身を翻して海の中にダイブした。また波が来てずぶ濡れになる。
くしゃみが出た。
『我に乗れ』
「でも……」
『もう大丈夫だ』
ざわざわと声が聞こえる。
人?
もふさまに服を引っ張られて背中に放られる。
兄さまたちももふさまに乗り込む。
もふさまが森の中に跳び、そして駆けた。人のいないことを確認して空を駆ける。家に帰り、わたしはそっとお風呂に入るように言われた。兄さまたちは川できれいにしてから帰るとのことだ。
わたしともふさまは先に戻り、お風呂場に直行して、魔石でお湯を入れ、きれいに体を洗ってから湯船で温まる。
「もふさま、だいじょぶ? 本当に何ともない?」
『ああ、リディアが治してくれたしな。血を流しすぎたが、海のが気力を足してくれたから、元気なぐらいだ』
「あの宝石で作られた龍みたいのが、海の主人さま?」
もふさまは頷いた。
『リディア、あやつに礼がしたい。あやつはリディアたちにまた会いたいみたいだし、おいしいものを所望しているのだが。作ってくれるか?』
わたしはもちろんと頷いた。
お風呂から出れば、兄さまたちも帰ってきていて、服もしっかり着替えている。こっそり汚れた服を受け取り、クリーンできれいにした。
光魔法でかなり魔力を使っていた。クリーンでも消費したから、今日はもう魔力を使わないようにしなくちゃ。
その夜はアルノルトが町の家に泊まり、父さまが帰ってきた。父さまは町の家に届いたというロサからの届け物を持ってきてくれた。
チョコレートだった。結構な量だ。お茶会でこれを使ったものをっていうことなんだろう。ありがたくちょうだいする。