第147話 砦⑦妬み
朝早く起こされたこともあり、わたしはしっかりと眠ってしまったようだ。
起きたときには父さまも兄さまも、もふさまも帰ってきていた。
怪我人は出たけれど、大きな怪我をした人はいないそうだ。
おじいさまもシヴァも無事。心からほっとした。
父さまと兄さまふたりに抱きついて無事を確かめてから、もふさまにも抱きついて匂いを嗅ぐ。
日向の匂いだ。よかった。やっと安心できた。
広場に出てみれば、7匹の魔物が横たわっていた。
落とし穴の跡はきれいになくなっている。倒された木は折られたところは仕方ないけれど、植え直されていた。
町に行っていた砦の住人も戻ってきた。ハンナもそのひとりだったようだ。買い出しに行っていたときに警鐘が鳴り、町の人たちと一緒に避難していたらしい。
討伐隊は徹夜だったので、ローテーションを組んで仮眠を取り、魔物が出たダンジョンの調査に行っていた。
わたしが起きるのを待っていたようで、アラ兄、ロビ兄と一緒にこちらでのことを報告した。見物していた男の子たちはこっぴどく怒られたみたいだ。自分より小さなわたしが外に出ていたので、大丈夫と思ってしまったらしい。無謀なことはしこたま怒られたが、子供たちからは英雄視され、そして彼らはわたしたちの勇姿を褒め称えた。
わたしがいくつも案を出したこともいつの間にか伝わっていて、ハンナに……立派になってと泣かれた。
砦にそんな雰囲気が伝わると、女の子たちもわたしに何かしづらいようで大人しい。わたしは快適に過ごした。
けれど、その夕食の席でことは起こった。
今日はご馳走が振る舞われるとのことなので、みんなで食堂に赴いたのだ。
「嘘」
大きな声を荒げていたのはアイラだった。
「嘘なんか言うかよ」
男の子が言い返す。
男の子はたった今食堂に入ってきた兄さまの元に駆け寄った。
「フランツさまは、婚約されてるんですよね?」
兄さまはわたしを見てから
「ああ、しているよ」
と答える。すると女の子たちだけでなく、そのお母さんたちもざわざわとした。
「相手がリディアお嬢さまというのは本当ですか?」
「ああ、そうだよ」
兄さまが頷くと場が沸いた。
おじいさまが手を叩く。
「知っての通り、フランツはワシの養子で、リディアはひ孫だ。ふたりは婚約しておる。そしてジュレミーはシュタイン伯当主となった。辺境伯は1代で終わるか、それは陛下次第。続くとしても候補ではあるがフランツにつとまるかは別問題だ。フランツが成人するまで、まだかなり時間もある。ダンジョンの調査が終わりみんなが集まってから言うつもりだったが、先に告げよう。シヴァを養子にして次代の辺境伯と推すつもりでいる。ランディラカ伯がそのまま続くかはわからないが」
おじいさまがサラリと言う。
シヴァが動じていないことから、前から話はあったのだろう。父さまも知っていたのかもしれない。この世界は18歳が成人だ。兄さまが成人するまでに表向き11年もある。11年、おじいさまは絶対元気だとは思うけれど、対策は考えておくべきと思っていたのだろう。
……シヴァが養子になったら、わたしたちは本当に家族になるんだ。
養子の兄さまとひ孫のわたしを婚約させたということは、兄さまに継がせるつもりだと思ったことだろう。でも、シヴァの養子の話は初耳だったにせよ、おじいさまの次に強いと周知されているシヴァが引き継いでいくのなら、7歳の兄さまを盛り立ててやってくれと言われるよりよほど納得できるのだろう。
おじいさまが功績を立てているから、一代で終わらせることはないとは思われるが、養子のシヴァを国が認めるかはわからない。陛下に認められないと当主にはなれないからだ。だからあやふやではあるけど……。
目の前にはご馳走。魔物はやっつけた。そして驚いたとは言え、事実上ナンバー2が次代の辺境伯になると言う。食堂は祝福ムードに包まれて、おいしく食事をとった。大人たちがお酒を飲み始めた。
酒といえばとわたしと双子の活躍を存分に褒めてもらい、兄さまも魔物退治では大人顔負けに活躍したようだった。初の参戦で魔物にも躊躇しなかったケインも評価が高い。それからもふさまも! みんなもふさまがひと蹴りで魔物を倒したときには、本当に驚いたと言う。そうだよね、どうみても子犬だもんね。
もふさまや家族を褒められてわたしも上機嫌だった。
長い時間食堂にいたのでトイレに行きたくなってしまった。
わたしはそっと抜け出して、用を済ませた。
手を洗い、食堂に戻ろうとしたところを、急に引っ張られた。
壁に激突し、そのまま壁に押し付けられた。ぶつかったところを押し当てられてますます痛い。涙目を開けると、滲んだ先にアイラがいた。
「なんであんたばっかり」
「痛い、やめて」
「なんで何にも努力しないあんたがフランツさまと婚約なんて」
「やめて」
力で勝てないので風を使った。
飛ばされたアイラは鬼の形相で戻ってきて、わたしを突き飛ばし、仰向けに倒れたわたしに馬乗りになった。
上からわたしを睨め付けてくる。
「私は上手にできるように、いっぱい努力した!」
馬乗りしたままわたしの肩を揺する。勢い余ってその指が首に当たった。
目がすっと細くなった。感情が抜け落ちたようになり、アイラの手がわたしの喉を押さえた。我に返ったのか、ハッとして手を外す。
『リディア!』
もふさまの体当たりで、アイラが吹っ飛ぶ。
兄さま、ロビ兄、アラ兄が駆けてきた。
「リディー」
兄さまに抱き起こされる。
「妹に何をした?」
ロビ兄がアイラに迫った。
「誤解です。リディアが私にその犬をけしかけて、私が飛ばされたんです」
アイラは赤くした目で、悲しそうに兄さまたちを見る。
「アイラ」
「はい」
兄さまに呼ばれて、微かにはにかむ。
「リディアの首が赤くなっている。この幅は……子供の手だ」
アラ兄とロビ兄が同時に振り返り、わたしを見た。
「…………」
アイラは後ろに手を隠した。
「君の手を当ててみればはっきりするよ」
父さま、おじいさま、シヴァが来た。その後ろにはマルティンおじさんや、ハンナ、砦の女性たちも来ていた。
「何事だ?」
もふさまや兄さまたちがいてもう怖いことはないというのに、言葉が出てこない。
「おじいさま、リディーの首をみてください」
おじいさまはわたしの首を見た後に、アイラにゆっくりと視線を定めた。
「申し訳ございません」
マルティンおじさんが飛び出し、アイラの頭を下げさせ、自分も土下座をした。
「お嬢さま、申し訳ございません」
「父さん、何を謝るの? 私は何もしていないわ」
「本当か? 心から言えるか? お前はリディアお嬢さまに本当に何もしていないのか?」
「ぶつかっただけ。それを大袈裟に」
「ぶつかった? 首が赤くなっている。お前は何をした?」
「手が滑ったの。大袈裟なのよ」
「お前は……お前は……」
「リディアは何もできないのよ。それなのに、ひ孫だからって大事にされて。父さんや母さんに甘えまくって。努力もしないで泣いてばかりいて。何もできないくせに、フランツさまの婚約者? ちょっと魔物退治の案を出したぐらいで、そんなのがいつか砦の主になるなんて許せないわ」
アイラが言い募るうちに、マルティンおじさんの顔が歪み、やがて号泣になり、アイラを抱きしめた。
「父さん、どうしたの? なぜ、泣くの?」
おじさんがわたしに向き直って、頭を床につける。
「申し訳ございません。罰は私に! お慈悲を。何とぞ、お慈悲を!!」
おじいさまがうっすら口を開けた。
あ。
わたしは焦った。
「アイラ、手が滑ったのね?」
話そうとすると喉が痛んだ。……押さえられたのは一瞬だったのに。
「そうよ!」
「わたし痛かった。謝って」
早く謝って。
「何を言って……」
「わたしは辺境伯のひ孫であり、伯爵家の子供、貴族よ。辺境伯の息子のフランツ・シュタイン・ランディラカの婚約者でもある。あなたはそんなわたしにひどい口をきいて、怪我をさせるところだった。謝りなさい。謝らないなら鞭打ちよ。あなただけでなく、マルティンもね」
みんなの視線がアイラに集中する。周りに気づいたようだ。やっと現状を把握できたのかアイラの顔が青くなる。
アイラが倒れるように膝をつき、床に手をつき、頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。ごめんなさい。……すみませんでした」
「謝罪を受け取りました」
おじいさまをみつめると、おじいさまにみつめ返される。
最悪の事態は免れた?
「リディアは許したようだが、アイラは砦の規律もいくつも破っておる。それを見過ごすことはできない」
!
「罰は私に!」
必死の形相でマルティンおじさんが言った。
「父さんは関係ありません。私がしたことです。私が罰を受けます」
アイラがマルティンおじさんの前に出る。
「食事の前にワシは言った。ワシの息子の婚約者であり、なれるかどうかは別として、後継者候補の伴侶であることも伝えた。それでなくてもリディアは貴族だ。本来なら平民が口をきいただけで手打ちもあり得る。そうとしないで許していたのは、ひとつはワシの願いだった。家族のように思い合い、戦地でそれが結束に繋がるのならばと思っていた。もうひとつは、レギーナの願いだ。ワシらの不在時にリディアを産み、体の弱い娘を育てていくのに、皆に世話になり支えてもらった。それを感謝していて、みなと同じ立場であることを望んでいた。それに子供たちはまだ何かを成し得たわけではない。ゆえに、貴族ではあるが、そう接することがなくても、ここではいいとしてきた。
砦で喧嘩を禁止しておる。やるなら審判を立てて決闘をするよう律している。手が滑りリディアを傷つけたようだが、アイラが謝罪をしリディアが許した。それだけだったとは思えないが喧嘩ではないと認めよう。鞭打ちの罰はなしとする。
それでも、貴族であるリディアを自分と同列にし、口にした数々のことは不敬にあたる。
本来ならアイラは鞭打ち10回、保護者であるマルティンには30回の鞭打ち、その後に辺境からの追放と処するところだ。だが、立場を明確にしてこなかったワシにも非はある。よって、今この場で、辺境からの追放を処する」
あ……。
「お慈悲をありがとうございます。申し訳ありませんでした。お嬢さま、本当に申し訳ありません」
おじさんはみんなに向かっても土下座をし、アイラを横に抱えるようにして、足早に駆けて行った。
「皆も、心せよ。次はない」
「はっ」
おじさんたちの声が揃い、おじさんたちもおばさんたちも胸に手を当てて、おじいさまに頭を下げている。
「リディアの手当てを」
おじいさまの声が響き、兄さまに抱っこをされて部屋に戻る。ハンナが首に薬を塗ってくれた。少しスースーする薬だ。近くにはもふさまとアラ兄がいてくれる。兄さまはロビ兄と出ていってしまった。
わたしは何がしたくて、何ができなかったのだろう? もふ様を抱え込みながら寝返りをうつと、ハンナが横にロウソクのようなものを灯した。そして穴のあいた釣鐘型のものを上から被せる。炎が見えなくなったが、不思議と落ち着く香りがしてきた。
「さ、お眠りください」
「今は考えないで目を閉じて」
アラ兄に言われるままに目を閉じる。
わたしの中で消化しにくい出来事だった。
……憎しみという感情を思いきりぶつけられたのは初めてだった。物盗りなどとはまた違う怖さだった。
憎まれるって、ものすごく怖いことだ。
でも、それよりもわたしは……。