第143話 砦③謝罪
部屋に戻るとハンナが部屋の掃除をしてくれていた。
「嬢ちゃま、もう遊ぶのは終わりですか?」
ハンナは40代のふっくらとした女性だ。旦那さんを亡くしてからも砦で働いていて、頼りになる存在だ。子供ふたりは王都に近い町で働いていると昨日知った。
「うん、居心地悪い、出てきた」
ハンナは首を傾げた。
「何かありましたか?」
わたしは迷って視線を落とした。
「……嬢ちゃまが話すようになったのはいいですけど」
ハンナはホウキを置いて膝をつき、わたしの目の高さに視線を合わせる。
「赤ちゃんのように〝言葉〟を言うのではなくて、文章にして話すようにしましょう」
文章?
「嬢ちゃまは貴族です。赤ちゃんみたいな話し方をいつまでもしていたら、笑われてしまいますよ」
そういえばさっきも変な話し方とか言われたな。
「わたし、文章、違う?」
「今言ったのは〝わたしの話し方は文章とは違いますか?〟と言いたかったんですか?」
ん? わたしが尋ねたのはハンナのいう通りであっているんだけど。
わたしはなんて言ったっけ?
〝わたしのは文章で違う?〟って言ったよね?
あ、ああ。文章。主語に述語に修飾語。いろいろ抜けている気がする。わたし、話そうと思うと気持ちばかり先走っているから……。
「レギーナさまも、ジュレミーさまも、嬢ちゃまがいっぱい話すのが嬉しくて、窘めなかったんですね。それでしたら、ハンナが教えてさしあげます。これからは話す時は文章にして、ゆっくりでいいからわかりやすく伝わるように心がけて話しましょうね」
「そうする。ありがと」
わたしにもいっぱい足りないことはあるもんな。
でも、居心地悪いのも勘弁だし、怖いって震えているのも嫌だ。
ぶつかり合うならもっと明るくやって欲しい。あれはジメジメしていかん。
それに……、一度だけだったけど……あれは病んでいる。その時で終わっていればいいけれど、……もし増長していたら……。
針仕事を教えてくれると言ったのはアイラだった。マルティンおじさんの一人娘だ。ふたりで砦に来て、マルティンおじさんはアイラのお母さんのことについて一言も話さないと聞いた。
栗色の髪、茶色の目。おっとりとした話し方。優しげな少女だった。わたしより3つ上だったと思う。子供ながらいろいろと仕事もできて聞き分けもよく、アイラは来てすぐに小さな女の子たちのリーダーになり、大人たちからも頼りにされていたように思う。わたしにも針の使い方を教えてくれたが、わたしはうまく縫えなかった。「うまくできないと、こうよ」そう手に針でチクッとやられた。わたしは一瞬だったが痛みに驚いて、そして親切に教えてくれていたお姉さんからされたことにびっくりして大泣きをした。
すぐに母さまや大人たちがやってきて、アイラに話を聞いた。
アイラは針仕事を教えていたら、リディアが自分で間違って手に針を刺してしまって泣いたのだと、ちゃんと見ていられなくてごめんなさい、怪我をさせてごめんなさいと、シクシク泣き出した。
母さまも大人も、それはアイラが悪いんじゃないと、わたしが針を習うにはまだ小さすぎたのねと話は導かれた。
リディアは首を横に振ったし、違うと言ったけれど、言おうとしているうちに、いつまでも泣かないのよと話が終結してしまった。
それからじわじわと、アイラはわたしを攻撃するようになった。話すのが得意でないリディアはアイラの言う通りの〝何もできない癇癪もちですぐに泣く子〟と認識されていった。
あの時わたしが黙らなければ、今違っていたかもしれない。と反省する点はある。けれど……わたしの言いたいことは、喧嘩するなら正々堂々と、だ。言いたいけれど、ここはおじいさまの管理する場で、ことを荒げたくない気持ちもある。
「嬢ちゃま、指を食べてはダメですよ。おしゃぶりは治っていませんね」
クチノナカニカクセバ、イタイコトデキナイ……。
あ。
ああ……、そうか、……そうだったんだ。
「嬢ちゃま、おやつを食べましょうか? 指よりもずっとおいしいですよ」
「……うん」
「では、食堂に行きましょうね」
ハンナはわたしと手を繋いで、食堂に向かって歩き出す。
途中で兄さまたちと、もふさまと合流した。男の子たちはシヴァに稽古をつけてもらっていたようだ。例によって、そこにもふさまが乱入していたらしい。
食堂には少女たちが先に来ていて、わたしが兄さまたちといるのを見て、顔色が悪くなる。
言いつけられると思った? でもあちらの方が人数が多いから、結託すればわたしの言うことの方が信憑性がない。
小麦粉を練った焼き菓子に砂糖のシロップをかけたものが出された。
……これだって、十分な甘味だ。最近のおやつや食事の豪華さを再認識した。
足元で、もふさまも無言で食べている。
「リディア」
わたしの後ろに女の子の団体さまが来た。
「何?」
冷たく聞き返す。
「さっきは悪かったわ。謝る」
兄さまたちも後ろを振り返る。
「何に対して?」
「えっ?」
「うまくできていないって言って怒らせて、でしょ?」
アイラが口添えしている。
〝できない〟にも〝うまく〟をつけると印象が変わるもんだね。
「そ、そう。うまくできていないって言ってごめんね。謝るから、許して。もうその犬をけしかけるのはやめて」
?
「けしかけるって何?」
男の子のひとりが言った。
「リディアが怒って、犬をけしかけたの。吠えて追いかけ回されたの」
「それでネリーは転んじゃったんですって」
アイラが付け足す。
『我はそんなことはしない』
「いつ?」
「さっきよ」
「さっきって?」
「食堂に来る前よ」
「わたし、部屋にいた」
「じゃあ、その後でしょ」
「部屋からハンナと一緒に、食堂に来た」
「じゃあ、その前にでしょ」
「もふさまは午後はずっとおれたちと一緒だったぜ?」
ネリーの顔がカーッと赤くなる。
「とにかく、犬をけしかけないでくれればいいから」
わたしは言い捨てていこうとしたネリーの手首をとった。
「何よ」
「嘘つかないで。嘘ついたこと、謝って。もふさまは嫌がる子供を追いかけ回すなんてことはしない」
わたしは伝わるようにを心掛けて、文にしてゆっくりと話した。
ネリーはアイラをすがるように見る。
「なんだ、ネリーの勘違いだったのね。じゃれつかれたのを追いかけられたと思って」
「もふさま、兄さまたちと一緒だった。ネリーにじゃれついてもいない。嘘だと認めて、謝って。それに、できない言ったのは、うまくできないって言ったんじゃなかった。できなくて、役立たずで、わたしが迷惑って言った」
アイラ以外の女の子たちの顔がすっと引き締まった。
「ネリーはそんなふうに言ってないと思うけれど、リディアはそう受け取ったのね? ネリー、勘違いさせるような言葉になったことを謝ればいいんじゃない?」
アイラが促す。
「ネリー、自分が何したか、よく考えて。何を謝るべきか、自分で考えて」
わたしがいうと、ネリーがグッと詰まる。
「どうかしたの?」
白いエプロンで手を拭きながら、背の高い女性がこちらに歩いてきた。
「ネリーのおばさん」
ネリーのおばさんか。
「リディアがネリーに謝れって」
オレンジ色の髪のジュディーがおばさんに泣きつくように言った。
「あれま、ネリーったらリディア嬢ちゃまの機嫌を損ねるようなことを何を言ったんだい?」
「機嫌を損ねるという問題、ではありません。ネリーはわたしがもふさまをけしかけて、犬に追いかけ回されたと嘘をつきました。追いかけ回されたとされる時間、もふさまはシヴァや男の子たちと剣の練習の場にいました。それは男の子たちみんなが知っています」
「ネリー、あんた、そんなしょうもない嘘をついたのかい?」
ネリーの目から涙がこぼれ落ちる。
「お嬢さま、うちの子が申し訳ありませんでした。でもそんなことでみんなの前で吊し上げなくてもいいじゃありませんか」
「……ここは、砦です」
「そんなこと知ってますよ」
「敵に攻められたら、体を張って守らなければ、なりません」
「だから、そんなこと言われなくても、知っていますよ」
「嘘をつく人に、命を預けられますか?」
おばさんはハッとした。
「嘘の情報を流すような人を、信じられますか?」
みんなの視線がネリーに集中する。
ここは砦だ。戦いの最前線になりうる場所だ。子供だからと見逃される甘い場所ではないのだ。
おばさんはネリーの頭を下げさせた。
「ネリー、嘘をついたことを悔い改めなさい。そのための謝罪よ」
「ご、ごめんなさい。嘘をつきました。ごめんなさい」
「もふさまに追いかけられた、嘘の謝罪は受け取りました。みんな、このことで、ネリーにとやかく言わないでください。わたしは謝罪を受け取りました」
おばさんはわたしに頭を下げて、ネリーを引っ張っていく。
アイラと目が合う。彼女はにっこり微笑んだ。
「リディアは強くなったのね。でも、辺境伯の身内だからって、やりすぎなんじゃない?」
「立場は関係ない。悪いことは悪い。嘘も悪いことだけど、唆すのも悪いこと。傷つけるのも悪いこと」
震えそうになるのを抑えて、わたしはじっとアイラをみつめた。