第1127話 暴く④容赦のない現実
カドハタ伯は先代の偉業により船舶権を得ている家門だそうだ。
ユオブリアの船舶権とは、船の所有、公共の港を利用できる権利を持つこと。ほとんどの港は国営となっている。
国から逃げる手段として、船と航路を確保したかった。商会ではなく個人で船舶権を持つカドハタ伯を仲間に入れたかった。けれど、カドハタ伯当主は真っ当な人物でつけ入る隙がない。何か手がないかと考えていたところ、好機が訪れる。
カドハタ家の令嬢が街に買い物に来ていた。令嬢はつまらなそうに商品を冷やかしている。どうやって近づこうと思っていた時、令嬢の顔が輝いた。
小走りになり、店から出ようとして立ち止まる。何かを見つけて近づこうとしたけれど、よくないものを見てしまって止まったように見えた。
令嬢の視線の先には、令嬢と同じぐらいの歳の男女が楽しそうに話しながら歩いていた。カップルの女の子の方はきれいな金髪だったそうだ。
令嬢はフラフラと店を出て、カップルとは反対方向に歩き出した。
「お嬢さん」
男が教えたので追って行った店の亭主は令嬢の腕を掴む。令嬢は驚いてから、無礼だと大声を出した。
亭主は鼻で笑う。無礼も何もない。金を払わず商品を盗んだくせに、と。
令嬢は「え?」と自分の手を見て愕然とする。そう彼女は見ていた商品を戻すことなく、何かを見て気を取られて出てきてしまったのだ。
「あ、ごめんなさい、ぼうっとしていて。すぐにお支払いしますわ」
と言ったけれど、亭主は取り合わない。
金の問題じゃない。盗んだのが問題なんだと怒った。
学園生だな、学園に言いつけてやると憤ると令嬢は泣き出した。
そこに助けに入ったのがキリロフ伯。彼はその場を丸くおさめ、そして令嬢に取り入った。そして少女の恋心を利用して、嫉妬させ自分のことを気づかせるんだと言葉巧みに煽り、ミューエ氏と偽装婚約させた。
ミューエ氏は演劇をやっている彼女に、集会で告白者をやって場を盛り上げてくれないかと頼んだけど、令嬢は断ったそうだ。それじゃあ演劇部の子を推薦してくれないかと頼む。断られたので、父上に万引きのことを話してもいいのかと持ちかけると、素直に従うようになったという。
カドハタ家に船舶権があったことがわかった時に、権利書の行方を王宮が確めたところ、娘の婚約者のミューエ氏に貸しているところだという話。ミューエ氏はキリロフ伯にもう渡し済みだった。
こういう大きい権利は譲渡の際、王宮からの承認もいるものなのでそれが違反になる。キリロフを引っ張れるきっかけがここでできた。
キリロフが連れてきた王家とうちを恨んでいる人に集会を開かせ、うちの悪行を語らせる。その時にセレクタ商会の品々をばら撒く。告白もネタがなくなってくると、台本を作らせ、それを話すような人を仕込むようになってきた。
終焉も色の位も、キリロフ伯がいうことを取り入れた結果だった。それでずいぶん組織っぽくなったと思っていた。
シュタイン家の悪評を立てるのは別になんとも思っていなかったそうだ。元々恨みもあったし、そんな感じだった。
ヤコブ・ミューエは集会に確かな手応えを感じながらも、どこか虚しさも感じるようになっていた。それがあるひとりの少年からの言葉で想いが形をとっていく。
最初は集会へのやっかみに近いものだと思った。反対意見を言ったり、検討はずれなことを言ってみたり、集会が大きくなるにつれて、自分が目立ち人からあの人は何か違う、すごいと思われたい者は出てくるもので、対処もしてきた。
けれど、少年はそんな浅はかではなかった。
「世界の終焉に本当にシュタイン家が関係するなら、捕らえるでもなんでもするべきです。でもそうもしない。シュタイン家令嬢の悪事を晒すと徳を積める。新しい世界でよく生きれるというが、そこら辺ははっきりしていない。
今日の告白でも後づけのようにシュタイン家の家名が出るだけ。それは徳を積むために家名を出しているだけですか?
誰かその答えを知っている方はいませんか? もっと深く教えてくださる方はいませんか?」
それは自分たちに都合よくことが運ぶようあやふやにしているところだった。ヤコブ自身もそれを認めているところ。そこを少年に気づかれた。大人ではない、少年に。
少年はあやふやな点にメスを入れていった。
「ここにいる者は、終焉の先の世界を望む者ではないのか?
それならなぜ調べない? その方が私は不思議だ」
その時、ヤコブは虚しさの正体を知った。
活動を続け、悪評を撒いていけばいずれ権力を覆せるまでに発展すると思っていた。そしてうまくいっていると。けれど、実際は……。集まった人たちは何も考えていないだけなのでは? 流されるようにやってきて、頷いているだけなのでは? 声の大きいものに従っているだけなのでは?
だとしたら、自分のしてきたことは、権力に代わる何かを打ち出そうとして、集会の中だけの新たな権力を生み出しているだけ。本気で向き合っていない人ばかりだから、疑問が出ていないだけ。
少年はユルゲンについてきた。正攻法を説いてくる。
白い布を取れは紫の瞳。王子殿下だ。
私たちが嫌い、諸悪と思ってきた王の血筋のものが、どこまでも正攻法を説いてくる。ユルゲンも揺れているようだ。
ヤコブは気づいた。自分は間違っていたと。
当事者にならなければ、人は本気にはならないのだ。集会なんかで人の気持ちは掴めない。本気でない人たちは、集会の一歩外に出れば当たり前のように権力に押し黙る。何も変わらない、変えられない。
正攻法ではなかった。その通りだ。法を犯さずに復讐することなど、できるわけがなかったのだ。そう、私がしたいのは復讐だ。可哀想な母のため。いや、違うな。翻弄され続けた母親の腹の中から生まれてしまった、惨めに生きてきた可哀想な自分のための復讐。
婚約者にされたまだ幼い少女。船舶権を得るために狙いをつけられた少女。そしてさらに逃げ出せないようにするために、悪行に手を染められた少女。
ああ、私は何をやってきたんだ。自分の復讐のために、どれだけの人を巻き込んで……。
王子殿下が乗り込んできた。王宮で調べがついているということだ。
法に引っかかることはしていないが、どう話が転ぶかわからない。その前に、そう、本当にしたかったことをしよう。
私が望んだのは復讐。
母は死んだ。メイダー伯に呪術でシュタイン家を呪うよう指示されたからだ。その頃は呪術は禁呪であった。ただの伯爵家が呪術師を知るわけがない。呪術は依頼人がいて、呪術師がいて、呪われる相手がいる。呪術が結ばれると、術は相手を蝕んでいく。相手が呪われれば、術は完了。依頼人が生き残り、相手は命を落とす。ただ逆もある。術が返された場合、相手は生き残り、依頼人に死が訪れる。
母は術を返された。呪ったシュタイン家はピンピンしていて、家も発展していき。母はベッドの上で頓死した。
呪いを返したシュタイン家。母に呪術を示唆したメイダー伯夫妻。メイダー伯夫妻に指示をした王妃。全てが罰を受けるべきだと思う。
王妃は廃妃となり手が出せない。メイダー伯、罰を受けてもらおう。
伯爵から聞いたことのあるギルドに行った。金さえ出せば汚れ仕事もやるし、垂れ込まれることもない。
馬車を借りて乗り込んだ。メイダー伯邸に訪れ、嘘の手紙で二人を馬車に乗り込ませた。
廃妃の父親モンティス公からの手紙だ。廃妃が目を覚ました。侍女だったメイダー夫人に会いたがっている。秘密裏に身一つで取り急ぎ来てもらえないだろうか?
廃妃にどんな恩があるのか知らないが、ふたりは疑いもせず、馬車に乗り込んだ。
そして崖の上で馬車を止める。
何か変だと気づいたのだろう。夫妻は馬車の中で身を寄せ合っていた。
なぜこんなところで止める? 早くモンティス家へ行けと、強がった。
私の母は9年前亡くなりましたというと、それがどうしたと噛み付いてくる。
モロール、そうヒントを出してやると、ふたりの顔が青くなった。
お前は?と聞かれ、頓死した侍女の息子だというと、二人は口をパクパクさせてから、呪いを返したシュタイン家を恨めとか王妃さまから下された命でどうすることもできなかったとか言い訳をした。
ヤコブはそのとき復讐自体、自分が迷っていたことに気づいた。
夫妻に尋ねたとき、もし悪かったと。母に酷いことをしたとそう認めて謝っていたら、一発ぐらい殴っただろうけど、きっとそこで満たされた、と。
けれどメイダー伯夫妻は謝るどころか、自分たちに非はないと言いたげだった。
呪術は返ってくることもあると危険性は伝え、その高い報酬で彼女は受けると言ったのだから、と。その金額は当時自分が欲しがった高額の本と同じ額だった。
彼は罪悪感に押しつぶされそうになり、気づくと馬車は谷底に落とされていた。ギルドの男が早くずらかろうと言って、ヤコブは馬車と切り離していた馬に乗って、屋敷へと帰ってきた。
それが事の顛末だった。