第1056話 放課後の影絵⑭逃避行
嘘でしょ。なんで今?
『リディアどうした?』
『リー、どうしたの??』
苦しくてもがく。ううううううっ。
荒い息を整えていると、尻尾を引っ張られる。
わたしはわたしの上で重なっていた夜着の中から引っ張り出された。
『呪いを受けたのか?』
「わからないけど、精神体への攻撃って聞こえた」
体が辛くてへたり込みたいけど、ダメだ。
学園無断欠席→寮母へ連絡→ロッティー女史が入ってくる→わたしの姿はなく、ベッドにそのまま本体だけどっかに行ったような状態の夜着と下着。
だめ、困る! 恥ずかしすぎる!
「もふさま、兄さまのところに連れてって」
もふさまは一瞬考えたけど、仕方ないと思ったようだ。
アリはわたしを抱え込んだままリュックの中に入る。
『では、行くぞ』
もふさまが声をかけ、多分窓から出るのに机の上に乗ったのだろう。
リュックが縦になる。アリに抱え込まれているけれど、思い切り下に滑っていく。
うぇえええええええええええええええ!
窓を開ける音がして、冷気が入ってきた。
机を蹴って窓から外に出たのか、左右上下と揺れ、あちこちにぐるぐるとする。
うっ。もしかして、リュックの中ってこんな状態なの、いつも!?
アリは慣れているのか、ぶつかろうがどんな状態になろうがお構いなしだ。
アリによると、隙間がなければあまり転がらないらしい。今はアリとピンポン球とトカゲのわたしだけだから、動きが激しいって。
精霊は玉の中に入っているからどんな向きになっても、中でたゆられているのは一緒で問題ないようだ。
アリたちは……どんな状況でも楽しめるし眠れる。……最強だ。
わたしはアリに抱えてもらっていたにもかかわらず、リュックの中で激しく動きまくり気持ち悪くなってきた。
抱えていてあげるといったアリの言葉にのらず、いつものようにもふさまの首にしがみつけばよかった! その方が絶対、楽!
そう後悔しても後の祭り……って戒めを噛み締めた時に、なんとも可愛らしい声が頭に響いた。
『あなたは誰? 何者?』
アリは気に留めた様子はなく、転がるのを楽しんでいる。
「わたしは、リディア・シュタイン。今こんな姿だけど、人族よ」
水色の瞳と初めて目があった。
『知ってるよ、リー』
いや、アリに言ったんじゃないから。
『獣じゃない』
「今はね」
『何が?』
あー、こんがらがる。
「アリ、あのね、今精霊と話をしているの」
『精霊と? 話せるのか?』
「頭に響いてくる感じ」
アリに事情を話してから、玉に向き合ったけれど、ゴロンゴロンとまた転がる。アリがわたしと玉両方を抱えた。
うーー、気持ち悪い。
「あなたは誰? あなたは何?」
『私は精霊よ。属性は水』
「あなたと話せないから、あなたがどうしたいかわからなくて困っていたの。
ねぇ、あなたはどうしたい? 覚えている? あなたは蓮の葉の地下の水源で気を失っていた。あなたに水を出させるか、あなたを漬けこませていたあの集団は、あそこにもういないわ。人族にとって悪いことを考えていたから取り締まられたの」
説明しながらも、き、気持ち悪いよー。
「あなたが気を失っていて、光魔法をかけたら少し回復したから、連れ帰って毎日光魔法をかけてきたの。あなたが嫌なら魔法をかけないし、あなたは自由よ。ここにいても、いなくてもいいの。あなたはどうしたいかしら?」
精霊は玉の中でくるくると回った。
「人族の言葉はわからない? みんなの声も聞こえなかった?」
『私にはわかったけど、今まで呼び掛けても誰も答えなかった私の声が届かないみたいだった』
!
そうだったのか。
「もう体は大丈夫? 辛くない?」
精霊はまた玉の中でくるくるの回る。
また激しくリュックの中が動く。
うう、体が辛い。呪いを尻尾切りしたことで辛いのか、リュックの中で激しく動いていることで気持ち悪いのかよくわからない。
『あなたの方が辛そうだけど……』
その通り!
ってなことをしているうちにわたしは気を失ったらしく、次に目覚めた時、目の前に兄さまの長い睫毛があった。
ベッドの中だ。
下の方からもふさまとアリの寝息が聞こえる。
無事、兄さまのところにたどり着けたのはよかった。ほっと息をつく。
それにしてもリュックの中があんな最悪だったとは。みんな面白がっていたけど、改善しなくちゃ。っていうか、もう入りたくない!
あ、精霊は? 中途半端なところで記憶がない。
人に戻りたいけど、そうすると精霊と話せなくなっちゃう。
精霊と話してから戻るのがベストか。
ふわーっとあくびが出る。
兄さまが起きるまでもうひと眠りしよう。
精神体に攻撃ってなんだよ、全く。
瘴気を使った呪術ではなさそうだけど(直感)、そういうスキルでもあるのかな。呪術ならそう言うはずだ。それがわざわざ精神体への攻撃といったのだから、また別物なんだと思う。
兄さまの顔を眺める。陶器で作られたみたい。造形美も素晴らしいけどお肌つるつる。毛穴あるのかな。微かな月明かりに照らされる兄さまの横顔は陰影によりさらに美しさを際立たせていた。
眉の形もきれい。鼻筋は通っていて、でも高すぎないのもいい。
口も……少しだけ開いていて息をしている。
うっ、わたし変態みたい。寝ている兄さまをつぶさに見るなんて。
さぁ、寝よ寝よと、毛布の中にお尻から戻ろうとしたんだけどつっかえた。尻尾が毛布にうまく入らなかったみたい。重心が……うわぁ。
と、兄さまの口に当たってしまった。
うっ。視界が赤く染まる。嘘でしょ。今はまだ戻らなくていいから……。
人型だ。うっ、寒い。毛布の中に入り込む。
だめだ。疲れた。状況を説明しないとなのに。
だめだ、眠い……。
そうしてわたしは二度目の気絶をした。