第1047話 放課後の影絵⑤過ち
夫人は少しためらってから、青い顔で声を絞り出す。
「妾は過ちを犯した。10年前……」
10年前……そして昨日の報告からということは、マハリス邸と何か関係が?
「10年前、廃妃は王妃さまで、第一王子殿下もご存命だった」
そして冷たい息を吐く。
「第一王子殿下は体が弱かった。ほとんどの時間をベッドで過ごされていた。ある日、熱が出て、王妃さまだけはその様子がいつもと違うと訴えられ、それが毒による苦しみだということがわかった」
ここでまた第一王子殿下が出てくるなんて……。
「毒には解毒薬が必要だ。けれどなんの毒かわからなければ解毒薬も投与できない。医師たちの必死の調べで、それは鉱毒の一種ということがわかった。
解毒薬も効き殿下は命を繋いだが、そのお苦しみは大変なもので、王妃さまもとても苦しまれた」
「鉱毒……が、どうして兄上の身体に入ることになるんでしょう?」
ロサが第二夫人を労りながら尋ねる。
そうだよね。
他の毒ならいざ知らず、鉱毒とは鉱山で何か作業をして、その過程の汚水が流れ、その汚水を体内に取り入れてしまうことで患ってしまうもの。毒性が弱いからなかなか気づかない。そして症状としてでたときには、かなり広がりをみせる厄介なものだ。
第一王子殿下、その頃は11歳? お城のベッドの上でほとんど寝たきりだった。それなのに、どうやって殿下の御身に?
刺客がってこと? でも鉱毒を抽出するなんて気の遠くなるようなことの気がするし。毒性は弱いだろうから、何度も接触しなくてはいけなくてハイリスク。そんな毒を選ぶか?
「王族への献上品だった。七色に光る美しい鉱石。マハリス領にある鉱石場から美しい宝石がみつかったと、な。妾の実家に与していたから、その鉱石には〝ロサンディー〟という名前がつけられた」
ロサの名前からとったのだろう。けど、そんな宝石聞いたことない……。
「母上、私はその宝石の名前を初めて聞きます」
「そうだな。10年前、見つかってすぐに鉱山は閉ざされ、その宝石も何もかも封じられたから、知らなくて当然だ」
……まさか。
最悪のシナリオが頭に浮かぶ。
マハリス男爵は所有している鉱山からでた宝石を、第二夫人のお子様の名前を掲げ〝ロサンディー〟と名づけ、献上する。その宝石で作った何かは第一王子殿下に渡り、……それが毒の出どころってことなんじゃ?
恐らく、みんなわたしと同じ想像をしたんじゃないかと思う。顔が歪む一歩手前で固まっている。
もふさまがわたしの膝にぴょんと乗ってきた。アリはもふさまのリュックの中だ。
「想像通りだ。その宝石で作られた指輪が第一王子殿下に献上された。
毒性があることは知らなかった。
殿下がいつも身につけ、体の弱い方だったから、症状がすぐに重く出た。それで調べて、その美しい鉱石は湯にほんの少しだが毒が流れることがわかった。
鉱山は寒い地帯にあったからだろう、周囲に毒は流れていなかった。
殿下の体温、汗、そういった温かい水分に毒が溶け、殿下を蝕んだ」
第二夫人はおでこを押さえる。
「知らずにしたことでも、王子殿下に害をなした。命を取るのは許す代わりに、マハリス家は取り潰し、当主は1年の強制労働、他の者は平民に。
そう陛下が決断されたのだが……」
第二夫人の顔から表情が抜け落ちる。
「王妃さまは刑が軽すぎると、自ら赴いて罰を下した……」
血の気がひいた。
わたしは廃妃の顔を見たこともないけれど、なぜか脳裏に浮かんでくる。
シルエットでもとても美しいとなぜかわかる病んだ女性が、黒いドレスを纏っているさまが。
「国母に下のものが触れることはできない。だから止めることも叶わなかったという。妾が呼ばれて駆けつけたときには、屋敷は血の海だった。ブレドより小さな子にまで手をかけて……」
第二夫人は目を閉じたまま、天に顔を向ける。
いつの間にかわたしは自分の口を押さえ、爪で頬を傷つけていた。もふさまに舐められて、手に力が入っていたことを知る。
「妾を見て、王妃は嬉しそうに笑った」
笑った? 第二夫人を見て?
血の海の屋敷で、恐らく自分も血塗れで。
やってきた第二夫人を見て、嬉しそうに笑った?
「妾は尋ねた。なぜ陛下の決断を受け入れられなかったのかと。
王妃は自分の子が殺されそうになっても許せるのかと、逆に妾に尋ねた。
そのとき、やってきたのがマハリス男爵の弟ぎみだった」
弟ぎみも命を落とした事実を知っているだけに、さらなる悲劇が予想できて、目の前が暗くなる。
「男爵は弟にだけ伝えたようだ。鉱山に問題があり封鎖することになった。王族にとんでもないものを献上してしまい、家は取り潰され、自分は強制労働に行かなくてはならない。妻と子供たちを頼む、と。それで弟は詳しいことを聞きに来て、親族が血の海に横たえているのを見てしまった」
……弟が兄一家を殺害したわけじゃなかった。それなのに、彼がやったこととなり、自分も自殺している。まさか……。
第二夫人の語られる事実に怯えながらも、真実を知りたかった。
「王妃さまはやってきた弟ぎみに事実を告げた。一国の王子を臣下が苦しめたのだと。命で償うのは当たり前だと」
みんなの顔が歪む。そっと横を窺えば、アダムは手を握り締めていた。
「そして、いいところに来た、と。お前もお前の家族の息の根を止めて、血を絶やさなくては、と無慈悲にもおっしゃった。
弟ぎみは私はどうなってもいい、けれど家族は助けて欲しいと訴えた。
王妃さまは嬉しそうにおっしゃった。それなら、ここで見たことはなにも言わず、家で自ら命を断ちなさい、と」
胸が悪くなる話だ……。
「妾が声をかけようとすると、王妃さまは妾に笑いかけた。そう事を収めるなら、妾や妾の実家の責任追及をこれ以上しないと」
うわーーーー。
マハリスは第二夫人の実家の派閥みたいだし、だからこそ、素晴らしい鉱石が発掘されたと思ってロサの名前を入れ込んだ。関係あるって公けになっているから、責任追及でごねられたら、実家も、第二夫人もロサも追い込めるってことだろう。
その追及を逃れたければ、口出しするなと言ったんだ、王妃さまは。
「母上は目をつむったのですね……」
ロサの声が震えていた。