第1042話 地道な調べ物⑩理不尽な芝居
部屋着に着替えているとノックがある。
「クラリベル!」
わたしはすぐに招き入れた。
「大丈夫、宿題でわからないところ聞いてくるって言ってあるから」
クラリベルは胸にノートを抱えていた。
わたしはクラリベルを連れていって、ベッドに腰掛けさせる。
「録画取れてた?」
心配してたようだ。
「バッチリだよ! クラリベル演技めっちゃうまいね。わたし、台本読んでたのに引き込まれてたよ! あ、頬、大丈夫?」
「あれくらいなんともないよ。お嬢さまのパチンなんて!」
「え?」
なんかもっとひどい目にあっていたように聞こえ、わたしは声をあげていた。
「あ、ああ。そっか、リディアのとこは仲いいもんねー。
っていうか、仲がいい、悪いとはまた違うんだけど。
学園に来て何に驚いたって、同じ平民でも家庭環境の違いよ」
クラリベルはわたしに向かって人差し指を立てた。
「ダリアの家とか愛情深くてびっくりしたよ。村や街の大きさによってもいろいろあるよね。学園祭も見にくるって親いっぱいいて驚いたのなんのって。
あ、誤解しないで。私は自分の家族や村に生まれたことを不幸だと思ったことはないし、これからもそう思うことはないと思う。環境が違うだけ。ウチもウチなりの愛情はちゃんとあって、でもそれが他の場所と同じではないだけ」
クラリベルはムードメーカー的なところがある。そしてどんな暗いことでも、わからなかったら、「それわっかんなーい。だけど何となく嫌だから蹴飛ばしちゃえ」とか言える子で。そんな明るさにみんな引き寄せられていると思う。
「うちの村は時が止まったような村なのよ。新しいものを取り入れず、古いしきたりを伝承していくの。男は長男が家を継ぎ、弟たちは男の子の生まれなかった家の婿になるか、独り立ち。女はとにかくどこかの嫁に行くの。結婚するときに男は女性の家に〝支度金〟を払う。それを多くするためになるべく価値をつけようとするわけ。刺繍が得意だとか。畑仕事がうまいとか。
私はね姉妹の中で顔立ちがよかったの。それで偉い人の愛人にしてもらえるように学をつけてこいってことで学園に来させてもらってるの」
なんて言っていいか思いつけない。
「学園を卒業すればそれだけで、一端の箔がつくもの。偉い人のとこに嫁げば、支度金も高くなるわけよ」
クラリベルはにこっと笑った。
「隣街に芝居小屋が来たって引っ張っていかれてさ。私興味なかったんだ。何にも興味がなかったかなー。裁縫も得意じゃないし。畑は疲れるし。判を押したような毎日が続いて、年ごろになったら結婚して、子供を産んでまた同じ繰り返し。何も面白いことなんてないと思ってた。
それがね。芝居を見ていたらいつのまにか引き込まれて、いつのまにか登場人物たちと一緒に笑ったり困ったり泣きたくなったり怒ったりしていた。次はどうなるんだろうってドキドキした。役者さんに魔法をかけてもらったの。そのとき私の周りに色がついた!
学園を卒業したら、私はあの時間の止まった村に帰る。役者になりたいのは夢だけど、なりたいからってなれるものじゃないってのもわかってる。
戻ったら、村によくくる役人さんかなんかの、めかけになるんじゃないかな。それまでの、夢よね。でもだからこそ、精一杯夢みるの。憧れのホーキンスさんに指導してもらえるなんてことも起こっちゃったし。人の前で演技を今したりしてるし、私、幸せだわ。
って話が逸れたわね。そんな時が止まったような村だもの。女性蔑視が横行してて、余計なこと言ったらすぐに打たれるわ。小さい頃なんかよく吹っ飛んでいたし。だから叩かれたって、なんともないわ!」
わたしはクラリベルの叩かれた頬に手を置いた。
「ダメだよ。痛みに慣れたりしちゃ。それに慣れないものなんだから」
クラリベルはにこっと笑う。
「ありがとう。憐まれたら、もうリディアと話せなくなるところだった」
ふふっとクラリベルは笑う。
「わかったわ。次叩かれたりしたら、叩き返していいかな?」
「いいわ、わたしが許す!」
今度こそわたしたちは一緒に笑った。
「でもちょっとカドハタ先輩には失望したな」
「え。最初からああいう態度の人だったんでしょ?」
失望したということは、期待していた時があったということだ。
「そうだけど。性格はおいといて。なんていうか、演技するときは真剣でキラキラして見えた。台本だって他の人のセリフまで完璧に覚えているの。だから誰かがつっかえたり言い間違えると、違うってすぐに正してさ。それがクラブに出てこない時があって。その後婚約されたから、だからかなって思ったんだけど。
その時からクラブに出てもどこか上の空。他の先輩は〝恋に落ちたか〟って言ってたけど、私はちょっと違うと思ったな」
「違うって?」
「うーーん、うまく言えないけど。恋してる自分に酔ってる感じ」
なかなか辛辣。
「ま、それはただの私が思ったことだけど。
クラブに身が入ってないのは本当。
あのツッコミだっておかしい。カドハタ先輩だって台本に修正いれさせるタイプの人なのよ」
クラブの中でも、そのままを演じたがる人と、よりアクティブにここはこうした方がいいと交渉するタイプがいて、リン・カドハタも自分の役にのめり込み、演出にも噛み付いていくタイプだったとか。そんな逸話をいくつか話してくれた。
「それがさ、〝家名〟を出せばいいみたいな態度、ほんとあったまきちゃう」
クラリベルってすごいな。
頭にくるポイントが違う。
頬を打たれたことでも。理不尽なことに巻き込まれたことでもなくて。
そんな理不尽なお芝居に、彼女が向き合っていないと怒っている。
しみじみと思う。わたしクラリベル好きだな。
彼女にはずーっとこんなふうに生きていてほしい。今の彼女で貫いてほしい。
と、クラリベルのお腹がクゥ〜っと可愛い音を立てた。
「あ、ごはんの時間だ」
お腹を押さえて、大変とばかりに慌てる。
時計を見ると。なんて正確な腹時計!
「あ、ほんとだ。クラリベル、宿題のわからないところは?」
「あ、おしゃべりしてたら時間が過ぎちゃったでよくない? 後で教えて」
「そうだね。食堂いこっか」
「いこいこ!」
環境の違いで根づいていることは、なかなか動かしにくいのが現状だ。
クラリベルもだけど。
……〝みんな〟という主語が大きすぎることはわかっている。
だけど、だからせめて知り合って仲良くなった人たちは、幸せであって欲しいと思う。
わたしの大好きな彼女のまま、成長して欲しいと願う。
そのために、わたしは何かできるのかな?
何ができるかな?
そんなことを考えながら、クラリベルと一緒に階段を降りた。