第1009話 消灯後のノック(後編)
「私の敬愛するジェインズ・ホーキンスさまはお酒を決して飲まないんですって。なぜならお酒って体を温める成分が入っていて。その温暖さで風邪をひいたりすることもあるって。役者はいつ何時も万全の体調で望むべきで、だから体調が不安定になるような要素は取り入れたくないって。
演技の神のような人がよー、体調に気を使うの。演技もできてないひよっこの私はもっと気を使うべきでしょう? だからね、私もお酒を飲まないって信条にしてるの。それに飲めないって言ってるのに勧めてくるのも腹が立って。
だけど向こうは貴族だし、歯向かうこともできないし。
ひと口飲んだフリして、すぐにハンカチに吐き出したわ」
わたしは彼女のそんなところが好きで尊敬している。目指すことにまっすぐで、とことん貫き通す。
「手洗いを貸してもらって口もすすいだ。それで会場に戻ってみたら、証書にサインを書かされたの」
「証書?」
驚いて少し大きな声になってしまった。
「何が書かれていたの?」
「私は自分の意思で演じることを選ぶって書かれてたわ。私、サインしたくなかったんだけど、ニーナさまは酔ってしまわれたのか、ボーッとしてて、言われた通りに名前書いちゃったのよ。それでほらあなたもってペンを出されて、仕方なく……」
クラリベルの眉は八の字だ。
「その後、これから私たちが演じる集会に連れていかれた。ローブを被ってね。他の人たちもみんなローブを頭から被っていて、顔は見えなかった。それでね、そこの人たちが……グレーン酒を片手に色々話していて。その聞こえたことに」
クラリベルが口を一旦閉ざした。決意したように顔を上げる。
「なんていうか……その、リディアに対して酷いことを言ってたの。会場を一周して、その日は終わりって言われて。最後に〝台本〟を渡された。3日後までに暗記するようにって。台本は返すそうよ。だからそれまでに覚えろって。そこでグリーン夫人から指導が入って、次の日にはお芝居を始めるって。
帰ってきて台本を見たら……」
クラリベルは夜着の中に隠すように持っていた台本を、おずおずとわたしに差し出した。
開いてみると……。目を通してパタンと閉じる。
これ芝居じゃない、扇動だ。……そして誰かが悪いことをして捕まった際、これはけしかけたことになり……。
わたしたちはその集会を〝新興宗教〟に見立てていた。これ、演じたらその宗教の教祖に崇められちゃう。
新年会でわたしを悪だと声高に叫んだバルバラ・デルコーレ嬢は修道院に入れられた。成人したら強制労働場行きとなる。デルコーレ嬢に知恵を授けた人が絶対にいるがそこまで探れなかった。
その知恵を授けた人は考えたのだろう。
自分の代わりに捕まってくれる人がいないと、だと。
そして教祖を打ち出してきた。14、5の成人していない令嬢を。
彼女たちの思想はまっすぐなものに見えやすいから。
なんて悪どい……。
「クラリベルはどうしたい?」
「……サインはしちゃったから依頼は受けないとだわ。
でも私、演技でもこんなこと言いたくない。
お城であった新年会でリディア悪者にされそうになったって聞いた。私、これもそれに似ていると思ったの。それでリディアに知らせたいし、……私は演じることになるだろうけど、でもそんなこと言いたくないんだってリディアに先に言っておきたかったの」
青い瞳。意思のしっかりした。
わたしはお盆の上にカップを置いてから、横のクラリベルを抱きしめた。
自分の状況だって怖いだろうに、それよりもわたしに繋がる不穏なことを教えてくれた友達。
「ねぇ、クラリベル、わたしを信じてくれる?」
「丸ごと信じてる、いつだって」
「ありがとう」
体を離して、瞳を覗き込む。
「クラリベルの意思を尊重するようにするし、ニーナさまのことも案じているのよね? そのことも一緒に考えていくようにするわ。
他のところからもその〝集会〟について情報が入っていて、わたしには危険な集会に思えているの。やはりそこでもグレーン酒が勧められていて、飲まなかった人が、飲んだ人たちはみんな熱に浮かされているようだって教えてくれたの」
伝えるとクラリベルは大きく頷いた。
はっきりとは彼女自身言わなかったけど、グレーン酒を怪しいと思っていたみたいだ。
「危険だと思ったのは、同じ集会か確認は取れてないんだけど、その集会に参加していた令嬢たちが新年会のゴタゴタを引き起こしたの。
集会は世界の終焉説を絡めていて、〝原罪〟自分の罪を告白すれば新しい世界で生きられて徳を詰めたことになるらしいわ。その徳にね、わたしが元凶だからわたしを貶めると徳がつめるって言われているって聞いた」
「え」
クラリベルが言葉短く驚く。
「悪いようにしないから、このこと、わたしが信頼している仲間に話してもいい? それでどうするのが一番いいか一緒に考えてもらおうと思うの」
「それってアダムやリディアのお兄さんたち?」
「そう」
とわたしは頷く。
クラリベルが考えているようなので、わたしは言葉を足した。
「もし嫌なら言わない。ただわたしにも考えさせてくれる? なんていうかその危険な集会だと思うの。できればクラリベルに参加して欲しくない」
クラリベルは慌てていう。
「嫌だなんて思ってないよ。ごめん、何も言わなかったから、そう思わせたんだね。考えてたの」
「考えてた?」
「アダムたちに言っておいて。私協力するって」
「協力ーぅ?」
「私の勘も満更じゃないってことね。怪しいってことよね、あの集会」
クラリベルは小さくガッツをした。そして肩を落とす。
「……でもリン・カタハタ先輩も関係あるってことなのよね……。グリーン夫人も」
声がすぼんでいく。
「それは残念だけど、私はリディアの友達で味方よ。だからできることがあったら言って。協力する」
「……クラリベル」
強いな。たくましい。
「じゃあ、まず明日はお芝居をして欲しい」
時間を稼がなくては。でもクラリベルがそのことをわたしに話したとか、つながっていると思わせてはいけない。だから。
「お芝居?」
「ええ。1日悪いけど、授業をサボって、風邪をひいたと言って」
「なるほど、1日私がニーナさまやカタハタ先輩と会ったりしないようにするのね」
わたしはその通りだと頷いた。
また明日忍んで来てもらって話すことにして、クラリベルは部屋に帰って行った。その後をベアとクイがついていく。
え。
思わず出したわたしの手に気づいたクラリベルはバイバイと片手を振ったので、わたしも釣られてその手を振った。
パタンとドアが閉まる。