第1008話 消灯後のノック(前編)
気が昂っていた。
眠れなくて寝返りをうつ。
眠いといえば眠いので、変なテンションだった。
正解がわかることではないだろう。それなら、メリットがないなら考えること自体やめたほうがいい。見事に釘をさされた。
わかることがない以上、悩むだけになる。……それにアンドレ殿下のことになると、気持ちがワサワサする。その気持ちは複雑すぎて、なんていうか名前をつけられない。アダムたちはそれをお見通しだ。いや、彼らにしてもわたしと〝同じ〟なのかもしれない。
聖樹さまにお礼を言って、景色が変わったと思ったら、放課後が始まったところだった。
クラブに出てまったりと過ごした。
帰る前に青い鳥が飛んできて、今日の定時報告、ヴェルナーはまだ目を覚ましていないことを知る。
帰りがけリノさまの取り巻きがこちらを見てなんか囁きあっていたので、おう、始まってる、順調順調と思った。
もふもふ軍団はつまらなそうにしている。どうしたのかを聞くと、ヴェルナーに〝仕返し〟してやろうと思っていたのに、眠ったままだし、最後にわたしの為になることをしたと思えるとやり辛いと口を尖らせている。
ちなみにどんな仕返しをしようと思っていたのかを尋ねてみると、死なない程度に噛んでやろうと思っていたようだ。
ちょっと気になって、魔物同士で仕返しするようなことがあるのかを尋ねた。もちろんと答えが。やっぱり噛みつくのかを聞いたところ、揃って首を横に振った。仕返しは弱いやつだと証明すること。魔物の多くは鏡と光が苦手なんだって。自分たちは人族と一緒にいるから慣れたのであって、鏡には本当に驚いたという。魔物同士だと、よく急に光を浴びせるようなことをして驚かす。その怖がり具合で弱虫だとレッテルを貼れるし、怖がった方はただただ自身を恥じるという。平和的なのか陰湿を含むのかわからない仕返しに笑いそうになる。
それにさっき映像をめっちゃ怖がってたよねー、君たち。
お風呂に入り、夕食をとって、普通に過ごせた。
ただベッドに入ると、木漏れ日の間での話を思い出す……。
考え出しちゃったら絶対眠れなくなる。だから思考はストップ! そう思いながら寝返りをうつ。
そんな時に、控え目にドアをノックする音。
おいおい、消灯時間とっくに過ぎているんだけど。
「も、もふさま」
小さい声でもふさまに確認。
『あやつだな。あの、ほら、よく通る声で叫ぶヤツ』
「クラリベル?」
わたしは上掛けの上にかけていたカーディガンを肩にかけて、スリッパで歩く。
ドアをそっと開ける。
本当にクラリベルだ。
「こんばんは」
とても困ったような八の字眉で、クラリベルが挨拶の言葉を口にした。
「ど、どうしたの?」
悪いけど一応鑑定。間違いなくクラリベルだ。
中に招き入れる。
ベッドに腰掛けさせて、寒くないようにもふさまを膝の上に。そして上掛けを肩にかける。
わたしはホットミルク蜜入りを2つ用意してベッドに戻った。
ホットミルクの残りが少ない。蜜はまだあるけど、どっちも補充しておかなくちゃ。
「はい」
椅子の上に置いたお盆から取って、ひとつのカップをクラリベルに渡す。もふさまにふたりの膝に寝そべってもらい、上掛けをふたりで仲良くかぶる。
消灯を過ぎているので部屋の灯りはつけられない。
手元を照らすには活躍する球状のおもちゃの灯りを足元に転がした。もふもふ軍団は明かりを消してから、これを転がして遊ぶのが好きだ。
「ごめんね、リディア、こんな時間に。私どうしても言わなくちゃいけないことがあって」
「眠ってなかったから大丈夫だよ」
そのままミルクをふた口。
静かな時間が流れる。
「私、この間リン・カドハタさまのお茶会に行ったの」
「演劇部の先輩の憂鬱なお茶会ね」
クラリベルは頷く。
「私たち、お茶会の途中でカドハタ先輩に呼ばれ、別室に連れていかれたの」
「〝私たち〟っていうことはクラリベルと、ええとニーナさまだっけ?」
「そうニーナ・ブルンツェワ男爵令嬢」
クラリベルがもう一度頷いた。クラリベルと同じ金髪に青い目で、ふたり揃うと双子みたいに見えたことを思い出す。
「そこでお金を払うからちょっとした仕事をしてくれないかって言われたの」
「仕事?」
「演技をする仕事だから、演技のできる人にしか頼めないって」
「それで?」
「これから何度も集会があって、そこで演技をして欲しいって」
へー。集会でお芝居を見せるってことか。
でも、〝集会〟? なんか嫌な予感。
「一回に銀貨3枚もくれるって。演技指導もグリーン夫人がしてくださるって!」
クラリベルの声が弾む。
「グリーン夫人?」
誰だそりゃ?
「10代から未亡人の演技までなんでもござれの女優さんよ。声ひとつで深い演技ができるの、ひと声で人を振り向かせるぐらい、とってもうまいのよ! そのグリーン夫人の指導を受けられるなんて!」
弾んだ声が一気に萎む。
「でも私知ってるわ。クラブの中に私より演技が上手い人いっぱいいる。グリーン夫人の指導を受けられるってそりゃすごいことだけど、私には不相応だわ」
「そんなことないんじゃない? クラリベル自身はそう思ってなくても、先輩に認められたってことでしょ?」
クラリベルは横に首を振った。
「違うわ。私が平民で貴族からの頼まれごとを、他の人より断りにくいと思ったから、私に話がきたんだと思う」
クラリベルはしっかりした口調で言った。
……クラリベル。
「双子の女の子を演じるだけで、演技指導もあるから難しく考えないでって。私、断ろうと思った。不相応だし。そんないい話、怪しすぎる」
クラリベルは言い切った。
クラリベル、危険察知能力が高そう。
普通、おいしい話がきたら飛びつきがちだ。14歳という年齢からも。それに自分の能力をよくいわれたら鼻高々になりそうなものなのに。
「だけど、ニーナさまがやる気になってて。断れなくなっちゃって。押し切られて。そしたらグレーン酒で乾杯しましょって。私、お酒飲めないって言ったんだけど、契約成立のおめでたいものだからひと口だけでもって言われて」
グレーン酒、集会……聞いたことのあるワードが……。