異世界から来たお義姉様。
お兄様がご結婚された。
という事を、わたくし達家族は結婚後にお兄様からお手紙を頂いて知りました。
そうなのです。
色々有って女嫌いになってしまわれたお兄様が、ご結婚されたのです。手紙を受け取ったお父様が「王命で……」 と呟かれ。その呟きを耳にしたお母様は「もしや王家から無理やり」 と卒倒され。弟は「兄上、変な女に無理やり既成事実を作られた?」 と不穏な事を口にして。手紙を受け取った執事も「お坊っちゃま、もしやご実家に助けを乞うていらっしゃった、とか」 と想像を働かせた。
いえ、わたくしも皆と同じ事を思ってしまいましたけども。
お兄様の事となると、途端に皆が冷静にならなくなる。それはお兄様大好きなわたくしもそうなのだけど。お兄様が大好きだからこそ、お父様が途中で目を通すのを辞めた手紙を最後まで読む冷静さを、と自身に叱咤して震える手で声に出して最初から読みました。
「愛する家族達へ」
から始まる手紙。
「国王陛下からの王命により、この力を受け継ぐ子を、と言われた」
えっ。もしやお父様、この序盤だけしか読んでいらっしゃらないのでしょうか。そこから王命で、だの、無理やりだの、既成事実だの、と想像を働かせたのでしたら、早とちりも良い所では?
周りは続きを早く、と目で急かしますが、お父様、やはり序盤で読むのを辞めましたわね……。小言は後回しにして、続きを読み上げます。
「しかし、いくら王命といえど、知っての通り私は女性が嫌いだ。母上とジョネットしか信用出来ない」
お兄様、お母様とわたくしだけを信用している、と……。嬉しいですわ。
「だから悩んでいたのだが。そこに女神が声を聞かせて下さった」
お兄様は、医官と魔術師として身を立て始めた頃に命に関わる病に侵され……そして女神様の声を聞いて助かりました。そこから医官であり、魔術師であり、そして神官になられたのです。神官は少ないけれど、神の声を聞いたり姿を見たり出来る者なので、国から丁重に扱われます。地位も権力もお金も有るお方に、お兄様はなられたのです。
お兄様は望んでおられなかったですが。
いけない、続きを読み上げないと、皆からの無言の催促が怖いですわ。ええと。
「女神様が仰るには、異世界から女性を召喚すると良い、と……」
えっ? 異世界?
「女神様の力を借りて異世界から私の元に来てくれた女性は、今まで私が辟易していた女性とは違って。異世界から来たから、私の見た目も地位も権力も金にも興味が無く。寧ろ、私の仕事が無くなったら、どうにかして女性でも働ける仕事を探して養ってあげる、とまで言う素晴らしい女性だ。その女性はあちらの世界で医官の手伝いをしていた事もあり、医術に関する考えも興味深い。何より彼女が産んでくれた私の子は、私と彼女2人に良く似て可愛い。愛する女性と家庭を築く事がこれほど幸せだとは思っていなかった」
えっ……
この女性への愛を書いているのは、本当にお兄様ですの⁉︎
というか、字はお兄様の字ですけれど。
あの、女性嫌いのお兄様が? 女性を愛すると? それより何より異世界って何ですの⁉︎
「連絡が遅くなりましたが、愛する女性と幸せな家庭を築いています。結婚して良かったです」
以上で手紙は締め括られていましたが。
場は静まり返っております。それはそうです。女性嫌いのお兄様が、愛する女性と家庭を築いている、とか。結婚して良かった、とか。惚気た手紙を寄越したのですから。
えっ、誰ですの、この方……。
「会いに行く必要が、あるな……」
お父様が仰って、皆が頷きます。お母様も弟もわたくしも。全員お兄様の奥方を見に行かねばなりません。もしや、変な魔術を使ってお兄様を籠絡していないとも限りませんから。家族の心は一致していました。
お兄様を籠絡した悪女から、お兄様を救い出す、とーー。
そもそも異世界から召喚した、とか意味が解りませんもの。女神の声が聞こえるお兄様といえど……いえ、だからこそ、何やら変な魔術を使える女が異世界から召喚された……とか言ってお兄様を籠絡したのでは、と皆が思いました。
「先ずは先触れを」
お父様が当たり前のように訪問する事をお兄様に告げようとしていますが、それをわたくしは止めました。
「待って下さいませ、お父様。変な魔術を使ってお兄様を籠絡した女が訪問を知ったら何か準備をしますわよ。禁忌の魔術の中には、他者の精神を操るものも有ったはず。そんな魔術を準備されたらとんでもないですわ」
「む。それもそうか。確か、ジャネットは魔術を使用するとそれに気付けるな?」
基本的に皆魔力持ちですが、それを魔術として使用出来る人と使用出来ない人が居ます。使用出来るのは魔力量の多さ。多ければ使えるし少ない人は魔術は使えない。魔力が無い人は稀に居るようですが、わたくしは一度も会ったことが無いので、何とも言えません。
「はい。わたくしはお兄様と同じく魔術師です。そして他者が魔術を使えば、それに気付けます。なんでしたら、他者の魔力がどんなものかさえ、見破れますわ! お兄様はわたくしと同じ、光の魔力の使い手。でもお兄様は女神様に好かれている上に女性嫌いになられたから、光の魔力を使用した魔術も、禁忌なものは知らないはずですの」
「では、我が息子を誑かし悪女がどんな魔力を持ち、どんな魔術を使うのか、ジャネットなら見抜けるな?」
「もちろんですわ! ですから、お父様・お母様・フィヨン。悪女が魔術を使用したら合図を出しますから、そうしたら捕らえて下さいませね!」
強く頷く皆。わたくしも強く頷いて、お兄様には連絡しないで直ちに出発しました。お兄様が暮らす家は、我が家からですと馬車を乗り継いでも3日は掛かります。宿の手配も先には出来ませんが、どんな宿でも構わないから早くお兄様を救わねばなりません。執事に家を託してちょっと高めの宿に2回泊まって3日目の午後。わたくし達はお兄様の家に到着しました。
この時間帯だとお兄様はまだ神官としてのお仕事中のはず。という事は……
「悪女だけが居る、という事だな」
お父様の確認にわたくし達は頷きます。お兄様の家に入ろうとした所で庭の方から笑い声が聞こえて来ました。
「こーら、ガルド。あまり暴れないで。泥だらけよ? その格好では家の中に入らないから服を脱いでって言ってるの!」
「イヤです、母さま」
女性の声と子どもの声。わたくし達は顔を見合わせてそっとそちらを覗き見ました。すると、お兄様にそっくりの男の子と見た事のない黒い髪の女性が居ます。
「イヤじゃないわ。フィオッタと私とガルドの家が泥だらけになったら悲しいと思わない? お父様が帰って来て泥だらけの家を見たらお仕事で疲れているのに、お掃除しなくちゃになるわ」
「むー。父さまがつかれて帰って来ておそうじを父さまと母さまとやると父さまはもっとつかれますか?」
「そうね。母様は疲れるわね」
「じゃあふくをぬぎます」
「うん、そうね! 綺麗な服でお父様をお迎えすればお父様も直ぐにガルドを抱きしめられるわね!」
「あ、そっか! はーい、きがえます!」
「いい子ね」
軽やかな声の女性がこちらに顔を向けて男の子に合わせていた姿勢から立ち上がる。黒い髪と同じく黒い目。そして少し焼けた肌。見た事の無い容姿に唖然としてから、ハッとした。この女が悪女、だと。お父様達と目配せをして女性が魔術を使う前に魔力が何なのか探ろうとして……驚いた。
彼女には、魔力が一切無かった。
稀に居るという魔力無しらしい。混乱してどうすれば良いか解らなかったらお兄様そっくりの子どもが此方を見た。
「だれですか」
「えっ。ガルド、誰か居るの?」
「はい。父さまがまわりから見えないようにした木のあっちにだれか居ます」
わたくしは直ぐに男の子を見ると、お兄様と同じ魔力を受け継いでいる事を知る。この子は間違いなくお兄様の子。その子が“母様”と呼びかけるなら、この魔力無しが悪女ということになる。……精神を操る悪女では無いの? どういうこと?
少しだけ早い足音が近づいて来る。
「母さま! 父さまから言われているでしょう! へんな人かもしれないからちかよらないでって!」
「で、でも……。もしかして道に迷ったとかで我が家を訪ねて来たのかもしれないし」
「母さまは、ききかんがないって、父さまがいってました! 父さまはえらい人だからみぶんがわからない母さまをだましてお金をとる人もいるんだよっていってたじゃないですか!」
「あ……そうだったわね、ごめんね、ガルド。お母さんが間違ってたわ」
「そうです。母さまはぼくといっしょにいえに入ってください。父さまがかえるまでは、もしも父さまのおともだちでもあってはいけないです!」
「そう、だったわね」
近づいて来た足音は、男の子に諭されて足を止めて戻って行く。わたくし達はお兄様の家族だが、それはあの男の子には判らない。あの男の子はお兄様に色々と言われているのか、随分としっかりしていた。
「ジャネット。悪女が家に入ってしまうぞ」
お父様の慌てた声にハッとして、お父様とお母様とフィヨンに集まるように合図する。
「お父様、お母様、フィヨン。わたくし達は前提が間違っています」
内緒話のように小声になるわたくしに、お母様が「どういうこと?」 と尋ねてきます。
「あの悪女は、稀に居るという魔力無しなのです」
「そんな!」
「嘘だろ!」
「まさか!」
お父様達の動揺にわたくしも気持ちは解ります、と頷く。でも事実だった。魔力無しでは精神を操る魔術を行使出来ない。つまりそういう悪女では無いという事。
「精神を操る魔術を使える悪女では無いので、どのようにお兄様を誑かしたのか、様子を見ないといけません」
「そうか。では暫く見張る必要が有るのだな?」
「その必要は無いよ」
お父様の見張りの話に頷くより前に、静かだけど、怒りが籠った声が届いて、わたくし達はそちらを見ました。そこには見た事も無いくらい怒っていらっしゃるお兄様が、居ました。
「フィオッタ!」
お母様が呼びかけますが、お兄様はギロリと音がしそうなくらいの視線でお母様を見て、お兄様にこんな視線を向けられた事の無いお母様が顔面蒼白で口を虚しく開閉させています。
「フィオッタ……あのな」
お父様も優しく呼びかけますが、お兄様の視線は氷のようでお父様もそれ以上、言葉が出てこないようです。わたくしは深呼吸をしてからお兄様に必死に言葉を紡ぎました。
「ど、どうして此処に? お仕事中では?」
「ガルドから緊急を知らせる魔術が使われたから、何が有ったのかと思えば……。連絡も遣さずに何故、此処に?」
わたくしにもこんな目を向けた事は有りません。こんな風にお怒りのお兄様は、初めて見ました。
「フィオッタ兄上が、悪女に誑かされたと思って救いに来たんだ!」
フィヨン……あなた、こんなにお怒りのお兄様にはっきり言えたのはある意味勇者です。褒めてあげるわ。
「誰が、悪女、だと?」
フィヨンの言葉にお兄様は更にお怒りになられました。怖いっ! 怖いですわ、お兄様!
「父さま!」
あまりの恐怖に喉が渇いて声が出なくなったところで、男の子の声が聞こえて来ました。
「ガルド、連絡をありがとう」
瞬間、お兄様はいつもわたくし達家族に見せていた優しい笑顔で男の子を抱き上げます。何処からどう見ても親子です。
「父さま、この人たちだれ?」
「あー、父様の家族、だな」
「あら、フィオッタの家族なの? じゃあ悪い人では無いわね。中に入ってもらいましょう?」
お兄様が男の子に答えたら、女性の声が聞こえて来る。その声は先程、この男の子が母様と呼んでいた女性のもの。
「シュウナ」
「フィオッタ。ごめんね。お仕事中だったのに。お仕事大丈夫?」
「いい。シュウナとガルドの方が大事。ただいま」
「お帰りなさい、お疲れ様。いつも私とガルドのためにお仕事を頑張ってくれてありがとう」
「シュウナこそ、ガルドと一緒に俺を待っていてくれてありがとう。俺は帰って来てシュウナとガルドが笑顔で居てくれるのが一番嬉しいし、幸せだ」
……どなたですか、この甘い人。
本当にお兄様なんですか? おまけに、キスしてますけど。
「フィオッタ! 人前でキスしないで!」
「なんで?」
「は、恥ずかしいの!」
「シュウナの世界では人前でキスはしないのか?」
「他国ではそういう習慣が有ったけど、私の国では無いのよ!」
このやりとりを見るに、誑かしているのは寧ろお兄様のように見えるのですが……。本当にこの甘い人は誰ですか……。
わたくしは、お父様とお母様とフィヨンを見る。3人共、甘々なお兄様を見て、誰コレ? って顔をしてるわ。そうよね。
「でも愛情表現なんだから良いでしょ。ガルドも父様と母様が仲良しな方が嬉しいだろう?」
「もちろんです。でも母さまをこまらせてはダメです」
「うーん、そうか。そうだな。じゃあシュウナ、人前じゃなければ良いよね?」
「良い、です。……じゃなくて! 折角ご家族が来てくれたならご挨拶をしたいわ!」
お兄様はわたくし達家族の存在を忘れたように甘々モードでしたが、女性の方がこちらに気を遣ってくれています。
「先触れも無しに来るなんて家族でも許されない」
「そんな事を言って……。連絡が無く来たって事は、何か急ぎのご用事が有ったのでしょう?」
「急ぎなんかじゃないよ、どうせ」
「そんな事を言わないの! 会いに来てくれたなら喜ばなくちゃ。会いたいって思っても会えない事もあるのよ?」
「……解った」
お兄様は女性に諭されて渋々とわたくし達家族を招き入れる。誑かされているというより子どもっぽい発言のお兄様を笑って窘めて諭してる……?
いえ、お兄様がこんな子どもっぽい発言をしているのも初めて見ましたけど。わたくし達家族の中でお兄様は確り者で跡継ぎの自覚を持った人でしたけど……。感情もわたくし達家族の前では見せてくれましたけれど、人前では感情を制御していましたわね。この女性の前では感情を見せられる、という事なのかしら。
女性に促されて渋々わたくし達を家に迎え入れたお兄様は女性の事を本当に大切にしているのか、動いているのをずっと見てる。それもなんだか心配そうに。魔力無しだから?
……ん?
魔力無しだと思っていたけれど……
「魔力無し、じゃない?」
わたくしの呟く声にお兄様がジロッと視線を向けて来る。
「ま、魔力無しだと思ってたけど、それと間違いそうな程弱い魔力だったのね、ごめんなさい。魔力無しだと思ったわ」
魔力無しで有る事を咎めたように聞こえたかしら。お兄様に急いで謝るとお兄様がため息をついた。
「シュウナ。お茶はいつもので良いよ」
「えっ、でも、アレはお客様には飲めないかも……」
「元は同じだ。大丈夫。それに家族にもあの味を知ってもらいたい」
「そう! そういうことならそうするわね」
いつものお茶。お客には飲めない? でもお兄様は飲んでいるなら毒入りとか不味いお茶とかでは無いのよね? 薬草茶か何かなのかしら。家族にも、と、わたくし達を家族と呼んでくれたのならあまり怒ってない?
やがて女性が淹れてくれたお茶は緑色をしていて、見たことが無かった。女性はニコニコとお茶を出して来るしお兄様も当たり前の顔をしている。という事はコレがいつものお茶なのね。でも。
「あの……持ち手は無いけど、どう持つの、かしら」
お母様が困惑したようにお兄様と女性を交互に見る。そう。この茶器、持ち手が無いのよ。お兄様がそのまま茶器を持ち上げた。そう飲むの⁉︎
「あ、フィオッタが飲んでいるように片手は持ち上げて片手は底で支えるように飲みますね」
お兄様の仕草を女性が説明する。お兄様が飲んだのなら変な物じゃないはずだし。恐る恐る口をつければ、甘みを感じた。砂糖か蜂蜜でも入れているのかしら。……いえ、でも甘味料が入っている感じでは無いわね。でも美味しいわ。
「いつもと同じで美味い」
お兄様が顔を綻ばせる。女性も嬉しそうに笑った。
「あ、家族でゆっくりお話が有るでしょう? 私、ガルドと一緒に勉強しているね」
「分かった。少し話をしている」
「ええと、お父様、お母様、ジャネットさんとフィヨンさん、ごゆっくりして下さいね。あ、私はシュウナ・マジマ。呼び難いと思うのでマーナと呼んで下さい。それでは」
女性はわたくし達を1人1人見ながら頭を下げて自己紹介をした後、サッと居なくなった。途端に柔らかい雰囲気だったお兄様の空気が恐ろしくなる。
「それで? なんで連絡無しに急に来た」
「フィオッタがその結婚した、と。女嫌いのお前が結婚したなら悪女に誑かされたのだろう、と……」
お父様がボソボソと話すのは、多分お兄様が怖いからだろう。わたくしも怖い。
お兄様は、ため息を大きくついた。
「確かに女性が嫌いになっていたから、皆には心配かけた。けれど。シュウナは悪女じゃない」
お兄様はそれから、結婚するまでの経緯を全部話してくれた。国王陛下から子を作る事を厳命されたこと。そのためには結婚しなければならないこと。だけどこの国の女性には嫌悪しか覚えていなかったこと。女神様から異世界から子を産める女性を召喚するように言われて召喚したこと。それが彼女だったこと。
「彼女は向こうで結婚を考えていた男性に不貞を働かれたそうだ。何でも友人とベッドで睦み合っている姿を見てしまったそうだよ。それでそのショックで何も考えられない時に、俺が召喚してしまって。最初は誘拐犯だと罵られて嫌われたよ。その上、俺の子を産まなくては帰れないのだから、彼女にとっては男全般嫌いになるような出来事だったと思う」
わたくしはお兄様の話が嘘では無い事を理解する。お兄様は女神様の声が聞こえる神官だから女神様の名を語った作り話などをしない人だ。という事は、本当にあの人は異世界から来た人で、恋人に裏切られて悲しみを味わう間もなく、お兄様に無理やりこちらに連れて来られた上に、お兄様の子を産む事を強制された……という事。
「お兄様……なんて非道な」
「俺もそう思う。それでも。彼女のお腹の中にガルドが宿り、産むまでの間で俺たちは色んな話をした。俺が女性を苦手だと思う事もシュウナを愛している事も。けれど彼女は、元の世界に帰る事を望んだ。元の恋人ときちんと別れて来ないと気持ち悪いし、自分の家族とお別れしていないから、何も連絡しないで急に私が居なくなったら家族が心配する、と。仕事もしていたから辞める事も伝えないと皆に迷惑をかける、と。シュウナが向こうに帰れば、俺はもう会えないと思っていた。だからシュウナが帰るまで、恋人として愛し合った。ガルドは俺が1人で育てるつもりだった。……だけど。シュウナは1年経って帰って来てくれた。シュウナの世界には魔力なんて無いのに、世界を渡ったからなのか、女神様の声をシュウナも聞いたらしくて。そうしてシュウナが望めば俺の元に帰って来られると女神様に言われていたから……と、帰って来てくれた。家族と別れを済ませて来たから、と。もう二度と家族とは会えないのに、声も聞かせてあげられない。手紙すら届かない。それでも良い、と俺の妻になる事を望んでくれた。だから俺は。何があっても、たとえ家族の手を振り払う事になっても、俺はシュウナを守り抜くと決めた」
そこには、わたくし達家族を大切にするお兄様とは別の、大切なものを見つけた男性が居るように思えて。言葉が何も出て来なかった。
「あなたは……フィオッタは気付かないうちに1人の男として愛する家族を持ったのね」
お母様の声にハッとする。お兄様はジッとお母様を見てから、わたくし達家族に見せるいつもの優しい笑顔で頷いた。
「彼女は俺の為に愛する家族と別れ、二度と戻れない故郷を置いて俺の元に帰って来てくれた。だから俺はシュウナの家族になるんだ」
「シウナさん、と言うのか」
お父様が呼びづらそうに女性の名前を呼ぶ。
「マーナで大丈夫。俺も最初は呼べなくてマーナと呼んでいた。彼女はそれで気にしないよ。彼女の世界でも他国だと呼び難い名前だと聞いている」
「マーナさんは、若そうだが、その、お前を支えられるのか?」
お父様が尋ねるとお兄様が目を丸くしてから笑い声をあげた。
「ハハハッ。シュウナは俺より年上だよ! 確かにシュウナは若く見えるけどね。シュウナの国の人間は他国からは若く見られがちな人種らしいよ」
「年上⁉︎ あんな可愛らしい人が⁉︎」
フィヨンが驚いた声を上げるとお兄様がフィヨンを睨む。
「確かにシュウナは可愛いが、お前が相手でも渡さないからな」
「だ、大丈夫だよ。ちゃんと義姉上と呼ぶから」
「それならいい」
「フィオッタは……幸せなのね?」
お母様の問いかけに、お兄様は「とても」 と笑って肯定する。それならわたくし達はもう何も言うまい。全てを捨ててでもお兄様を選んでくれた女性を、受け入れるだけ。
「じゃあお義姉様と呼べば良いのね」
わたくしは、実は姉が欲しかったのでマーナお義姉様と話をするのがちょっと楽しみだ。
「お義姉様とお話してみたいわ」
「分かった。呼んで来る。ガルドも一緒に連れて来よう」
お兄様が言えば、お父様とお母様がソワソワしている。孫だもんね。会いたいわよね。わたくしもガルド君に会いたいし、多分フィヨンも可愛がると思うの。
そんなわけで女性改めお義姉様とガルド君がやって来て。わたくしはソワソワした。
「あ、あの、お義姉様って呼んで良いですか?」
「もちろん。でも、私は平民だから“おねえさま”より“おねえちゃん”って呼んでくれると嬉しいわ」
お義姉ちゃん。向こうでは妹さんからそう呼ばれていたとか。
「じゃあお義姉ちゃん。あの、このお茶って何ですか?」
「これは緑茶って言うの。私の故郷で良く呑まれているお茶でね。こちらのお茶の茶葉と元は同じ茶葉なのよ」
わたくしの問いかけにお義姉ちゃんが説明していると、お兄様が詳しく教えてくれた。発酵がどうのとか言っていたが、元々はこの緑の茶葉に変化を与えるとわたくし達がいつも飲むお茶になるらしい。まぁ知らなかった。勉強になりました。お兄様は故郷を置いて来てしまったお義姉ちゃんのために、一つでも故郷を偲ばせる物を、と思ってこのリョクチャを探したらしい。他国に少しだけ流通していて、茶器もお義姉ちゃんの国の物と同じ物を見つけられた、と。
お義姉ちゃんは、嬉しそうだけど、少しだけ寂しそうに笑った。きっと、もう帰れない故郷を思い出しているのだろう。
「あ、そうだ。お義姉ちゃん、もう一つ聞きたいの」
「なぁに?」
「お義姉ちゃんの世界には魔力が無いから魔術が無いって聞いたんだけど」
「そうね。もちろん、有るかもしれないって信じている人もいたけれど、少なくとも私の国では魔術は無いし、魔力も無い。空想上のものだって思われているわ」
空想上、ということは、本当に魔力も無い所なんだわ。だから、わたくしは不思議だった。
「じゃあ、お義姉ちゃんは、魔力無しのはずなのに、どうして微かに魔力を感じるの?」
わたくしの質問にお義姉ちゃんは、驚いた顔をしてから照れた笑顔を浮かべてお腹を守るように両手を置いた。
「ふふ。此処にガルドの弟か妹が居るの。フィオッタと同じ魔力が有るんですって。ガルドの時もそうだったみたい」
「えっ。赤ちゃん⁉︎」
わたくしはお義姉ちゃんのお腹をジッと見た。確かにそこから魔力の気配がする。お兄様を見れば、幸せそうにお義姉ちゃんを見ていた。
「ガルドの時は色々あってかなりシュウナに負担をかけたが、今度はゆっくり育つのを楽しもうと思っている」
お兄様がそんなことを言う。色々についてはさっき聞いたばかり。成長を促進させる事なく自然に任せる、という事だろう。
でも、そうすると……。
「困ったな」
わたくしはポツリと零す。
「どうしたの?」
お義姉ちゃんが尋ねるから、わたくしは困ったように周囲を見ながら、困りごとを話した。
「お義姉ちゃんの国ではどういう教育を施すのか分からないんだけど、この国ではわたくし、もうすぐ15歳になるから学園に入学するのよ。学園は王都だから家から通うのは遠くて。寮に入るか王都に家が有る親戚の所から通うか王都に家を持っているなら良いけど、我が家は残念ながら無いから、お兄様の家で有る此処から通おうかと思っていたの。でもお義姉ちゃんとガルド君と赤ちゃんが居るなら大変でしょ?」
「あら……良いわよ、別に」
「えっ」
「フィオッタ。ジャネットさんが学園に通う間、うちから通っても問題無いのでしょう?」
「問題は無いけど、シュウナは子育てが大変だろう」
「それなんだけど。ジャネットさんは、家事は出来る?」
「えっ、あ、いえ。メイドがやってくれるから……」
「そっか。じゃあ、掃除、洗濯、料理を覚えながら子育てを手伝ってくれれば嬉しいわ。もちろん、学業が1番。だから勉強の合間に少しでも構わない。どうかしら」
「えっ」
「もちろん、寮生活を送るならそれはそれで良い経験になると思うの。私の国でも寮に入って勉強する人は居て寮生活を楽しんでいたわ。ただ、学費の他に寮生活のためのお金も掛かるからお金が無い人は遠くても通ったし、後はやっぱり親戚の家から通う人も居たの。その辺は変わらないわよね。
だから自分で考えて決断してみて。でも15歳では中々決断も難しいと思うの。だから例えば、なんだけど。最初は寮生活を送ってみて合わなければ途中から我が家に来ても良いと思うの。もちろん逆でも。途中からでも寮生活が送れるのか確認してみたらどうかしら」
お義姉ちゃんはテキパキとわたくしに色んな可能性を教えてくれた。
寮に入ったらずっと寮生活を送らなくちゃいけないって思ってた。調べてみないと判らないけれど、途中で退寮してお兄様の家から通う可能性というのを教えてくれた。
寮生活も気になったけれど、その金額が分からなかったからお兄様の家から通おうって何となく思ってた。でも、何も調べないうちから決める事は無い。入学までまだ半年程。寮に入居するのは3ヶ月前までに報告する必要が有る。
「折角王都に来たから、寮のお金とか途中で出られるのかとか聞いて来ます!」
「というか……こっちの世界ってパンフレットが無いの?」
わたくしが勢い込んで宣言すると、お義姉ちゃんが何か言う。
「ぱ?」
「あー、なんていうのかな。パンフレットって向こうでは言ったけれど、学園の案内図や学費がいくらかかりますって書かれた冊子。私の国に学校……こちらの学園ね。学園は沢山あって。どこの学園はこのくらいの学費が必要です。あと寮生活を送れます。寮は学園から歩いて何分とか書かれているの。後は学園の特色ね。こちらの学園の事は知らないけど、例えば語学を勉強したいならこの学園が語学に強いとか。数字に強くなりたいならこの学園。身体を強くするならこの学園で鍛えましょう、っていう冊子があったのよ」
「シュウナの国はそんな物が有るのか。この国には無いなぁ。多分学園が一つしか無いから必要が無い」
「あら? 一つしか無いのね。でもそれじゃあ地方の人は大変ね。通えないわ。だから寮生活か親戚の家から通うのね。でも一つだけだとしても、ジャネットさんみたいに寮生活に掛かる金額が判らないとか学園がどんな感じなのか不安よね。向こうの冊子には通っている学生さんが、この学園はこういう行事が楽しい。とか意見も載せてあるのよ?」
「はー。聞けば聞くほど、シュウナの国は凄いな」
「そうかしら。それが当たり前だったから良く解らないわね」
お義姉ちゃんの世界では、それが当たり前なのかと尋ねたら、お義姉ちゃんの国では当たり前だったけれど、他国は違うかもしれないわね、と教えてくれた。
「お義姉ちゃんの世界では他国の情報がそんなに簡単に手に入るの?」
「うーん。一応、大きな戦争は私が生まれるずっと前に終わって、それ以降は内乱とか隣国同士での戦争の有る国もあったわ。でも私が居た国は戦争はしません。って宣言していたから、そういう意味では平和だったわね。国の有る陸地の周りが海ばかりの国だったけれど。そうね……遠くにいる人の声を直ぐ耳に聞こえるような道具とか、便利な物が有ったから情報は早く伝わっていたかしら」
「えっ、何それ。義姉上、その道具って何?」
わたくしが楽しくお義姉ちゃんと話しているのにフィヨンが割り込んで来た。もう、道具の事なんか後回しにしなさいよ!
「そうねぇ。うーん。ねぇ、フィオッタ。魔術で、紙を強化して筒の形にして、それに底を作れる?」
基本的にお兄様の魔力は強いため、割と何でも出来る事をわたくしは知っている。お義姉ちゃんがチャキを指してこんな形、と言ったら紙でその形にした物が出来た。それをもう一つ。それをお義姉ちゃんが底に穴を開けて糸を通す。それも魔術で固定して二つの筒が糸でくっ付いた。
「フィヨン君、コレを耳に当ててみて」
フィヨンはよく分からないまま言われた通りにする。お義姉ちゃんが長い糸をピンと張るようにしてもう一つを持つとガルド君を呼んだ。
「ガルド」
お義姉ちゃんが何やら説明してガルド君が頷いて紙の筒を口に当てる。なんだか話しているように見えるけど、聞こえない。それなのに。
「うわっ! 此処からガルドの声が聞こえた! 何の魔術⁉︎」
フィヨンが飛び上がった。
わたくしには魔術が行使された気配など無くてフィヨンの言っている事が理解出来ない。お義姉ちゃんがクスクス笑いながら「イトデンワ」 という物だと教えてくれた。原理を詳しくは覚えていないから話せないけれど、音を集めて糸を伝ってフィヨンに届いたらしい。向こうではカガクというのが発達していて魔術とは別の物だとか。
そんなこんなでお義姉ちゃんは、あっという間にわたくし達家族の心を掴んでしまって、お父様とお母様にも今度は遊びに行きますね、なんて言うものだから、2人共顔が緩みっぱなし。悪女に誑かされた! なんて騒いだわたくし達の早とちりを反省したものだった。もちろん、帰宅して執事や侍女やメイド達にお兄様は騙されておらず、とても幸せな家庭を築いていた、と教えるのも忘れない。特に執事は、女性嫌いになってしまったお兄様の将来を案じていたから、とても良い人、と教えたら号泣していた。
***
それから半年。わたくしは無事に学園に入学し、寮生活を送っていた。お義姉ちゃんと過ごしたいなぁって思っていたんだけど、お兄様がわたくし宛の手紙を出して来て。
「家事と子育てはとても大変で、これから2人目が生まれたら更に大変になる。ガルドは昼も夜もよく泣いていて、眠らせるのも一苦労だった」
と書かれていた。それなのにわたくしが一緒に暮らして益々お義姉ちゃんが大変になったら……と思うとお兄様は安心して仕事も行けないし、わたくし自身も赤ちゃんの泣き声で眠れなかったり勉強出来なかったりするかもしれない、と。此処まで書かれてしまえば無理に暮らしたいとも言えない。
そんなわけで寮生活です。最初の1ヶ月は慣れなくて辛かったけれど、今は快適。寮生活の方が先に始まって友人も出来た。新しい生活は凄く楽しみがいっぱい。不安も有るけれど、お義姉ちゃんと手紙のやりとりをしていて相談すればアドバイスも貰える。だから結構順調だった。
学園生活も瞬く間に数ヶ月が経過して。勉強も魔術も学ぶことがとても楽しい。
わたくしが楽しく過ごしている間にお義姉ちゃんは女の子を産んだ。その子を見に行きたい、とお兄様に連絡したら少し待て、と返信が来て、今は連絡待ち。産んだ直後は身体がとても疲れ易いらしい。わたくしの我儘でお義姉ちゃんに負担を掛けるのはよろしくないので、今は出来る事をして待っていよう。
そんなわたくしは、最近、気になる男性がいる。
わたくしの自惚れで無ければ、多分相手の方もわたくしの事を嫌いでは無いはず。
だけど。
あちらから告白をしてもらえない。わたくしに魅力が無いから?
でも、何か言いたいような顔をしてくれる事も有る。そんな顔をされる度にわたくしは期待して待ってみるのだけれど、全く何も言ってくれないまま。
どうしたらいいか解らない。こういう時に相談するのは友人なのかもしれないけれど。うっかり相談したら次の日には噂になって告白どころか疎遠になってしまった……という話を聞く事も有る。つまり、誰かに相談したとして、その相談相手が黙っていてくれるのかも分からなければ、相談している時に他人に話を聞かれないとも限らない。
寮のお部屋で話せるのは寮生同士だけ。でも1人部屋じゃないから同じ部屋の人と仲良くなければ気不味いし。
そもそも、相談する相手が同じ人を気になっていたならば……と考えると居た堪れないので。誰に相談したものやら……と悩みに悩んで、ふと気づきました。
わたくしにはお義姉ちゃんという素晴らしい相談相手が居る事に。
とはいえ、お手紙で相談するのもなんだか気恥ずかしくて。お兄様にお義姉ちゃんに会いたいとお願いしたら、次の学園の休日なら良い、と返信が来ましたので。早速わたくしは外出届を出してお兄様の家へ向かいました。
「お義姉ちゃん」
「いらっしゃい、ジャネット」
お義姉ちゃんと打ち解けてからは、お義姉ちゃんはわたくしを呼び捨てで呼んでくれて、本当の姉妹のような仲です。正直、お兄様が邪魔に思うくらい、お義姉ちゃん大好きです。
「お兄様、ガルド君とトウカちゃんの面倒を見ていて下さいな。わたくし、お義姉ちゃんに相談が有りますの」
「俺が聞いていたら嫌なのか?」
「嫌ですわ。女同士だけで話したいんです」
お義姉ちゃんは何の相談なのか理解したようで、お兄様にガルド君とトウカちゃんをお願いして別の部屋に行ってもらうように説得しています。ガルド君は現在5歳にして、空気が読める子なので、渋るお兄様の手を引っ張り、妹であるトウカちゃんを抱き上げました。
ちなみに、トウカちゃんという名前は、お義姉ちゃんの国で使われているカンジという文字書いてそれをオンヨミというもので読んだ名前らしい。良く解らないけれど、お義姉ちゃんがもう会えない妹さんの名前からもらった、と泣きそうに笑って教えてくれた。
こんな時、わたくしは本当の妹では無い事が辛くなる。でもお義姉ちゃんは、わたくしを大切にしてくれているから何も言わない。
そして思う。
二度と会えない家族に別れを告げて、二度と行けない故郷を捨てて、それでもお兄様の元に来たお義姉ちゃん。
それは、どれだけ辛い別れで苦しい別れで寂しい別れなのだろう、と。
顔を見られないだけじゃない。
声も聞けない。
触れ合えない。
手紙も届かない。
贈り物だって届かない。
産まれたガルド君とトウカちゃんの事も教えられない。
いつか、会いに行く。
そんな願いすら抱けない。
それはどれだけの想いなのだろう。
今、わたくしはお父様とお母様と離れているけれど、長期休みには会いに帰れる。結婚して家を出て1年、2年、5年会っていなかったとしても、あの家に帰れば会える、と思っている。
でも。
お義姉ちゃんは、そんな事も思えない。それでもお兄様と一緒に生きていく事を選んで世界を越えてお兄様の元に来た。
故郷を思い出せば泣きそうなのに、決して泣かない。泣きそうな顔で笑顔を浮かべる。お兄様は、そんなお義姉ちゃんを見る度に、いつだってただ寄り添っている。
わたくしには解らない辛さ。
だけど、わたくしには無い勇気を持ってお兄様と幸せを築いているお義姉ちゃんは、本当に素敵なお義姉様だと思う。わたくしの自慢のお義姉様だ。
「それで? 相談は何かしら?」
ボンヤリとお義姉ちゃんの境遇に想いを馳せていたら、お義姉ちゃんがワクワクした顔でわたくしを見ていた。
「その……、気になる男性が居まして」
「あ、やっぱり恋愛相談か! そりゃあフィオッタに聞かれたくないよね!」
そんな風に故郷を思い出す時とは全然別の笑顔を見せながらお義姉ちゃんは続きを促してくる。
お相手がどんな人なのか。気になるきっかけは? なんて次々と聞いてきて。そうしてわたくしは、気掛かりを打ち明けた。
「その、多分、お相手の方もわたくしの事を好ましいと思ってくれている、と思うのです。自惚れで無ければ」
「うん。それで?」
「ですが。その……告白、をしてもらえなくて」
「告白? するわけじゃなくて、してもらうのを待っているの?」
お義姉ちゃんが不思議そうに首を傾げた。
「えっ? お義姉ちゃんの国では女性から告白するんですの?」
「そうね。昔は、告白を待つのが美徳……女性のマナーみたいな考えだったみたいだけど。私の母くらいの頃には、女性から積極的に告白もしていたわね。こちらの世界にも有るじゃない? チョコレートってお菓子」
「有ります」
「そのチョコレートは、私の国では他国で作られていた物だったの。食べた事の無いお菓子を売るために、お菓子を販売するお店が、チョコレートを渡して女性から愛の告白をしよう! って宣伝した……と言われているわ。本当かどうかは知らない。でも、それが切欠で1年に1度、女の子がチョコレートを渡して愛の告白をする日が出来て、それで女の子は勇気を出して告白を覚えたのよね。それからはその日じゃなくても告白するようになったけれど……」
「告白する日……」
「そうねぇ。フィオッタから聞いたこちらの国の常識は、私には良く解らないものも有るから、何とも言えないけど。男性から女性に話しかけるのにプレゼントが必要って意味不明だなって思ったものね。でも告白を女性からするのが恥ずかしい、というのが常識ならば、そりゃあ待つわよね」
「常識というか……そういうものだと思ってましたわ」
「つまり、それ以外の方法が浮かばなかったって事でしょう? そういうのを覆すのは結構大変なのよね。でも。フィオッタみたいに女性にプレゼントをして話しかけるのが苦手だったらどう思う?」
「え、ええと」
「いつまで経っても話しかけてもらえないわよね。お相手の方がとても勇気を出すのが難しかったら? 勇気って男性でも女性でも必要だと思うの。特に相手に気持ちを伝えるのに、相手に嫌われたらどうしよう? なんて考えてしまったら、余計に勇気は出ないわ。だから。女性から告白するのも有りだと思うのよ」
本当にお義姉ちゃんのアドバイスは、驚くものばかり。だけど。
「ええと……」
「もちろん、ジャネットも相手から告白してもらいたい、と願うのは解るわ。でも待ち続けて結局告白されなかったら? 凄く勿体ないと思わない?」
「それは、そうですが」
「恥ずかしいというジャネットの気持ちも解るわ。だから、巻き込んだらどうかしら」
「巻き込む⁉︎」
わたくしはお義姉ちゃんの意味が解らない言葉に声を跳ね上げた。
「例えばね。1人では恥ずかしくても何人も告白をすれば恥ずかしくならないじゃない?」
「そ、そういうもの?」
お義姉ちゃんは具体的な事を話し出す。お義姉ちゃんが生まれるよりも前に、凄く綺麗な他国から遊びに来た女の子が居て。彼女はとても有名で、皆から注目されていた。その女の子が丈の短い服を着ていたらしい。昔は、お義姉ちゃんの国は、足を見せるのは恥ずかしい事だったらしいのだけど。その女の子は太腿を見せるくらい短い服を着ていた、と。わたくしは驚いてしまう。でも、それが似合う女の子だった。それを見た女の子達は、自分達もそんな短い服を着てみたい、という事になって。流行した。
「つまり、物凄く有名な女の子が、男の子に告白するのを見たら、他の子も真似しやすいと思うの。或いは。さっきのチョコレートの話みたいに、一年に一度、女の子から告白する日を作るのも有りよね。例えば学園の行事に合わせて。どんな行事が有るのか知らないけれど。学園のお祭りみたいなのがあったら、そのお祭りの日は女の子から告白出来ます! という日に学園で決めてしまうとか」
つくづくお義姉ちゃんの考えは凄い、と思うんだけど。お義姉ちゃんの国の学園ではお祭りがあって。そのお祭りの日に告白をすると上手くいく……というのが噂されていたとか。そんな噂を聞いて告白をする決意をした男の子や女の子が毎年居た、とか。
「それが習慣化すれば、女性から男性に告白してもおかしくない事になるわね。でも、ジャネットは今、まさに、だもの。だから。1人で告白しよう……なんて考えないで、皆に気になるお相手に自分から告白してみない? と誘ってみるのも有りだと思うわ。それが学園行事に合わせてあれば、気分が高揚しているから皆が賛成するかもしれないわよ?」
お義姉ちゃんの提案は、上手くいくかどうかは解らないけれど。なんだか出来そうな気がしてきた。
お義姉ちゃんは、1人で知らない世界にお兄様のためにやって来た。
その勇気をわたくしだって持ちたい。誰も知り合いも居ない世界で幸せに暮らすお義姉ちゃんのように、勇気を出してみたい。
そんなわけで、わたくし、学園の寮に戻ってから、同室の友人や他の部屋の友人達を誘って、近く行われる学園祭にて、そんな事をしてみないか、と誘ってみました。
皆さん、意中の人が居るのに、その意中の人から告白をしてもらえない事にショックを受けたり悩んだりしていた、とか。
なんだ。皆さんもわたくしと同じ悩みを抱えていらしたのね。
という事で、意外にもお義姉ちゃんの提案した女性から告白するという考えは、受け入れられた。これって凄く良い事だと思います。
そして何故か、この話から3日後には、女子寮で暮らす多くの皆さまに知られて……そして皆さまに同意してもらえました。
もしかしたら、皆さん、結構待っているのを気にしていらしたのかも。待っているだけじゃあどうにもならない、と。
それから直ぐに学園祭を執り行う学生会に女子寮の告白希望の女の子一同の提案書として要望書を提出してみる事になりました。
お義姉ちゃんにこの事を報告したら、皆、結構待つのが大変だったのかもしれないわね、なんて返事をもらいました。お義姉ちゃんは、この国の言葉を話せるけれど、書く事は難しかったみたいで、今でも辿々しい筆跡で返事が来ます。でもそれすらわたくしはお義姉ちゃんらしくて良いな、と思っています。
そんなお義姉ちゃんの返事には、要望書を提出するには……という書き方も添えられていました。お義姉ちゃん、そんな事まで教えてくれるんですか。
お義姉ちゃんの書き方には、先ず、誰にそれを読んでもらうのか、考える。と書いて有ります。はっきりと、こういう事を要望します、と最初に書いてから、その理由を書く。要望が何か解らないような文書は、見られない事も有るとか。お義姉ちゃんは凄いですわ。理由もダラダラと書かないで、はっきりと解り易くスッキリと書くのが良い、と。そして、誰が要望しているのか、1人じゃないなら全員分の名前を添える事、と。
成る程。要望している人の名前を書き添える事で、それだけの人達が望んでいる事を相手に理解してもらえるんですね。要望者が多ければ多い程、学生会もきちんと考えてくれるかもしれません。
ということで、要望書を作成したわたくしは、別紙に皆様の名前を書き添えてもらって学生会に提出。あまりにも要望者が多い事から、学生会も真剣に考えて検討してくださったようで。なんだかんだで要望を受け入れてもらいました。
学生会からは、皆の前で女性から男性に告白、というのが斬新なアイディアだったらしく。それも1人じゃなくて何人もの女の子が想う男の子に告白する、という事で。折角なので演出をしよう、とそんな協力をもらいました。
当日。その演出(といっても中庭にある噴水で告白するというものですけど)に合わせて、女子寮の告白希望の女の子達は、それぞれの男の子達に告白をしたわけですが。
全員上手くいった、とは言えませんでした。振られてしまった女の子も中には居たのですけど、でも、気持ちを伝えてスッキリした……と晴れやかなお顔になった方ばかり。その後の学園生活に支障が出るかもしれない、とも思いましたが。それでも伝えられたのは良かった……という女の子達の方が多かったのです。
学生会は許可を出した手前、最後まで様子を見守っていましたけれど。
かなり盛り上がった事を受けて、来年以降も続けてみる、と検討する事になったそうです。
尚、わたくしは、気になっていた男の子に、この学園祭の告白大会で告白しましたら……向こうも同じ気持ちだった、と言って下さり。恋人同士になりました。
もちろん、お義姉ちゃんに報告したら、大喜びでした。
恋人になった方に、前から伝えたかったけれど、もし、友達として仲が良いだけだったら……と考えると言えなかった、と。告白して嫌われてしまったら……と考える程に言葉が出て来なかった、と教えてくれました。
お義姉ちゃんの考え通りで、わたくしが悩んでいたように彼も悩んでいたと知って。女性から伝える事も大切なのね、と。お義姉ちゃんには本当に感謝です。
もう少し、彼との仲が縮まったら、お義姉ちゃんの事を打ち明けて、いつかお義姉ちゃんに彼を紹介出来たら良いな、と思います。彼がお義姉ちゃんを受け入れてくれたら……なんですけどね。何しろ、わたくしのお兄様は少ない神官の1人として有名で。彼もお兄様の名前はご存知です。だからこそ、お義姉ちゃんの存在をお兄様は隠していらっしゃいます。
いくら神官として女神様の声を聞いたからとはいえ、それでも異世界から妻を迎えた、なんて知られたら……お義姉ちゃんが見世物にならないとも限らない。そんな状況はお兄様もですが、わたくしだって望んでいません。だから、彼にもお義姉ちゃんの事は内緒です。
女子寮の皆さんにも、学生会にも、女性から男性へ告白する事の申し出をした時に説明したのは。
「お兄様に相談したら、お兄様が女神様からのお言葉で、女性から男性へ告白をしてもおかしくない、と教えてくれました」
でした。皆様、お兄様の言葉を信じて下さり、とても混乱無く納得してくれたのです。お兄様、お名前を勝手に使ってごめんなさい。手紙で謝っておきましょう。
でも、お兄様に言いたいのは……
お兄様、異世界から来たお義姉様は、世界で一番素敵な女性です。お義姉様を連れて来て下さり、ありがとうございます。
という事でしょうか。
お父様もお母様もフィヨンも、そう思っている事は知っています。長期休暇で家に帰る前に、お兄様の家によってお義姉ちゃんに甘えて、ガルド君とトウカちゃんと遊んで帰るつもりです。多分、長期休暇に合わせて、家族がお兄様の家に集まる事でしょう。お義姉ちゃんとガルド君とトウカちゃんに会うために。
お兄様の事は後回しにする事でしょう。だって、わたくし達家族ですから。お兄様よりもお義姉ちゃんとガルド君とトウカちゃんに会う事の方が何倍も幸せよ。もしかしたら、わたくし達が家に帰るのに合わせて、お義姉ちゃん達も連れて帰ろうと、お母様あたりは考えているかもしれません。だってわたくしはお母様の娘ですから、お母様が考える事くらい、お見通しです。執事を含めた使用人皆がきっと会いたくてウズウズしていますものね。
そもそもお兄様は神官として王都で過ごすようになり、家を賜ってからというもの、ちっとも家に帰って来ないんでしたから。それがいきなり結婚した、という手紙を出して来て。そりゃあ女性嫌いのお兄様の事をわたくし達は心配していましたからね、結婚したという報告は嬉しかったですわ。
でも、もしかしたら王命で焦るあまり、変な女性に引っかかってしまったのかもしれない……とわたくし達家族が心配した気持ちも理解するべきですのよ。それを、久しぶりに会った家族に対して睨み付けて来るとか、どういう事でしょうね!
あれを思い返す度にお兄様ってば、わたくし達家族をどう思っているんですの? と問い詰めたいのですわ。
こっちはお兄様が女性に悩まされていないか、魔術師の仕事と医官の仕事と神官の仕事でとても忙しくしているのだろうか、身体は大丈夫なのだろうか、と随分と心配していましたのに。お兄様は貴重な神官……神の声を聞く者ですから、あまり仕事に追われて身体を壊すような事にはなっていないだろうとは思っていましたけれど。それでも中々帰って来ないお兄様を皆は案じていましたのに。
使用人達だって皆、心配していたのは、執事が時々ふとお兄様がどうしているのか……と零す度に気付いていましたわ。
それなのに。それなのに、あの態度をわたくし達に取るなんてどういうことなんです。そりゃあわたくし達だって、お義姉ちゃんに対してお兄様を誑かした悪女だと思い込んで、最初から敵意を持って会いに行ったのは悪かったとは思いますけど。あの日のうちに、お義姉ちゃんの事は誤解だったと理解したのに。
あれからかなり時が過ぎても、お義姉ちゃんを連れて家に来ないし、なんだかんだでお兄様の家で暮らそうとしていたわたくしに、遠回しに来るなって手紙を寄越したわけですし。今思えば、わたくしが勉強に集中出来ないとか、眠れないとか、わたくしの為のように書いていましたけれど、アレ、絶対、お義姉ちゃんに苦労させない為の牽制に決まってますわ!
もちろん、わたくしだってお義姉ちゃんの負担にはなりたくなかったので寮生活を納得しましたけど。思い返すとなんだかイラッとしますわ!
だから、もう、お兄様なんて放っておく事にすれば良い、とわたくしは思います。きっとお母様だって今頃はそう思っているはずだわ。だから、お兄様は王都でお仕事を頑張って、お義姉ちゃんとガルド君とトウカちゃんの事はわたくし達家族に任せれば良いのよ。お義姉ちゃん達と離されて仕事に明け暮れると良いのです!
いい気味ですわ。ちょっとはわたくし達家族に振り回されて色々と悩んで空回りして、お義姉ちゃん達に会えない切なさを味わっていれば良いのよ。
そんな事を考えていたら、今からとても、長期休暇が待ち遠しくて楽しみですわ。
(了)