第五話 『餓狼の牙』の様子
カイネの迷宮群。迷宮とはマナの溜まる周辺に発生する空間災害である。膨大な現実異常性を持つ魔神の残滓は、魔法という異常現象をおこすそれが空間に対して作用したものである。
巨大なカイネの迷宮は癌細胞のように周辺へと広がり、攻略された後にも周辺に異常をもたらした。しかし人間もふてぶてしいもので、産出される魔石を加工して人類社会の発展に使っていた。
そんな迷宮の一つで、『餓狼の牙』が探索を行っていた。
"眠る風の"イェル=イツェクの子、風の精霊の鬼の合いの子、緑色の肌の巨躯ウィンドオーガが棍棒を振るう。ウィンドオーガに侍るように、緑色のひらひら蠢くオカコンブがウィンドオーガを守る。
「ふんっす!!」
重装甲の鎧を纏う獣人、グルルが盾を構えてそれを受け止める。大きな音が響いて、盾越しにもびりびりと痺れる感触がグルルに伝わった。
「"踊る赤の獅子、鬣の一束を――"」
赤髪の少女は、片手に握った短杖をウィンドオーガに向けてタルタンシアが詠唱する。ウィンドオーガは脅威度の修正を行い、攻撃の対象をタルタンシアに変更しようとするが、重装甲のグルルがそれをさせまいと防ぐ。
オカコンブがひゅんと鋭い鞭のようにしなり、グルルを避けて魔術師タルタンシアを狙おうとするが、だんと煌めく鋼色が両断する、軽装の獣人ガルーガの振るう剣だった。
「っと、させるかよ」
「"与え給え、嘆願するは汝が子なり――"」
後ろに控える金髪のルクレツィアが聖印を両手に掴んで祈るような仕草をすると、金の髪が光って頭の上に環が浮かぶ。ぎらんとそこからグルルとガルーガの動きに鋭さが増した。聖秘術の効果である。
「がんばえ~」
ちゃらちゃらとした茶髪の男ウェーラが声を出す。軽装のまま投石具をくるくると回す。軽業師である彼は戦闘において余裕があれば、という契約であった。
「"我らが血の契約によって――"」
がんと大きくグルルがシールドで殴って距離を取る。
「"放て――炎の鬣"!」
凄まじい劫火が敵を包み込み、辺りを赤く照らし上げる。じゅうっと水分が蒸発するような音がして、残ったものは魔石だけだった。
「――それであいつ、組まないか? って聞いてきたの」
「なんつうか、すごいっすねぇ。噂に違うことない人なんすね」
がやがやと騒がしい、カイネの酒場にて。赤髪の少女は水を飲みながら『餓狼の牙』のパーティメンバーに早朝の出来事を話していた。
ピンと立った茶色い毛並みの耳が生えた獣人はははあと感嘆の息を吐きながら相槌を打つ。『餓狼の牙』からアリウスを追放した代わりに入ってきたものの一人、グルルであった。分厚い装甲の鎧に身を包んでいる。
「当然断ったけど、ルクレツィアや、よりにもよってガルーガにも誘いをかけるって言ってたのはもう、大物よ。悪い意味で」
「……冗談だろ? 追放された人間が誘いをかけるなんてあるか?」
「あるらしいわ。どうする? ガルーガはアリウスと組む? カイネ二番の冒険者にさせてくれるそうよ」
「勘弁してくれ……暫くあいつの顔見ないで済むと思ってたのに。酒癖悪いし喧嘩はするし、あの人剣を抜いたら血が出るまで収めないんだぞ」
ガルーガは眉間に手を当ててガルーガは溜息を吐いた。
「暫くあそこの飯屋使うのやめとくか」
「…………」
無言でルクレツィアが更に盛られた豆の殻を割っては口に運ぶ。会話に興味を示さずにもきゅもきゅと小動物のようにひたすらに食べている。
「でも腕は立つんすよね? 一度話してみたいもんっす」
「あー。グルル、話すんなら酒の無いところで、人の多いところにしとけよ。絶対に馬鹿にしたり煽ったりしなけりゃ怪我はしねえから」
「アリウスも一回怪我させられたって聞いたっすけど、なにやったんすか?」
「指落とされた。当時はまだ事実を知らんかったころに噂を聞いて、クズだろ。って言ったら次の瞬間指が落ちてた」
吹き上がるのが一瞬で、対応する間もなかった。とガルーガは言う。
「……おととしの話っすよね? それでも一緒にパーティ組んでたんすか? 指落とした相手と?」
「それはなぁ、まあなあ、普通はそこでパーティ切るんだろうけどな……いや言われるとそうなんだけどよ……」
うーんと説明しづらそうな顔で、ガルーガが唸る。そこでタルタンシアが口を開いた。
「あれはね、それでも付いていかせるだけの力があったのよ。一緒に道を歩けばぺーぺーの私たちに皆が頭を下げるし、実戦での指示についても文句なかった。正直、当時は尊敬していたから、下手なこと言ったガルーガが悪いかも、って思わせるくらいのやつよ」
「今でこそオレはあいつが嫌いだが、まあそうだな。そういうところはあった。でもカネ抜いたら話は変わる。徒党として最低限のところだろ、カネは。……それ以前にも色々あるけどな」
「はえ~。すっごいこわい。ぼくはとても会いたくないと思いました」
ウェーラは前髪を弄りながらちゃらちゃらでどこか聞いていない様子だった。既に顔が赤くなっていて、酔っているらしい。
「ルクレツィアさんから見たときのアリウスってどうなんすか?」
「なんだよ、グルル、やけに気にするな」
「いや、こういうのはトラブルがあるから情報仕入れておくのは大事なんすよ。で、どうなんすかルクレツィアさん」
豆殻から視線をあげて、青い瞳でグルルを見る。
「わたしは好き」
「ぶっ!?」
「よく教会に寄付する。祈りも欠かさない。敬虔だとおもう」
「あ、ああ。そういう信者としての意味の好きっすか。びっくりした」
ルクレツィアは殻を突いて続ける。
「ただ、慣習法を繰り返し犯すのはよくない。暴力を肯定して、ひとに乱暴するし、強引に自分の意に沿わせる。わるいひと。追放は妥当。以上」
短い総評を終えて、また豆に立ち向かう。ふむとグルルは頷いた。
「でもカイネで冒険者やるなら会うっすよね? 氾濫期には率先で最前線で倍給兵やるって噂っすよ」
「ああ。俺らも駆り出されたな最前線。あの人ぐいぐい前に行って……あーやだやだ」
「キタで動けば鉢合わせないだろうけど、儲けが薄いから嫌ね」
「えーっとキタってなんすか?」
グルルが尋ねると、タルタンシアが答える。
「カイネの迷宮群は北部と南部で分布が偏ってるのよ。キタが迷宮多いけど魔物も弱いし、儲けも薄い。ミナミはその逆。ま、ミナミが少ないっていうのはキタとの比較であって、他の地域と比べたら十分多いわけだけど」
「はへー」
ぐいっとガルーガが酒を煽る。
「あいつを追放前から二回くらい潜ってるし、今日も挑んだけど、オレたちなら十分やってける」
「ま、そうっすね。さすがのアリウスとやらも徒党を組んでる人間に報復とかはしないっすよね」
「……しようと思ったらするだろうけど」
「こわ~」
「衛兵はどうしてるんですか? そんなやりたい放題なんて」
眉をしかめてグルルが当然のことを聞く。
「金で解決だろ。そりゃ。ここらへんの衛兵なんて冒険者上がりだし。それに都市の住民に被害がなきゃ基本的に動かねえって。治安もそこそこに悪いからあいつ以外にも気を付けろよ。酔ってスリにあいましたなんて結構あるし」
「うげ、いやっすね」
「まあだから、スリの指を落としても自力救済に入るけど」
野蛮~と言いながらグルルは天井を見上げる。でもそんくらいならカイネでやってけそうっすわ。という様子である。だいたい、冒険者など蛮族のようなものである。水清ければ棲むことができない。
「それじゃあ、明日も迷宮探索よろしくな」
「……明日も? 一日開けるのがセオリーじゃ?」
杯を傾けるグルルの手がぴたりと止まった。
Q.こわいね。
A.こわいとおもった。