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第十九話 決壊

 氾濫の開始を観測したのはカイネの南方、靄のかかった未明の頃だった。


 前日からしとしとと小雨が降っており、河はやや増水し、河付近での偵察を控えていたのが一手遅れる要因となった。


 泥濘んだ音を立てずに静かに進む蛙の群れが、集落の一つに襲いかかった時点では、まだ散発的な顕現の一つとして考えているほどだった。滞在してきた冒険者が三つや四つ斬り殺して、数が多いことで騒ぎ出す有様である。


 その後すぐに魔石を利用した信号弾が打ち上げられたが、生憎の靄で信号を受け取ることが出来なかった。それと同時に放たれた連絡役が辿り着いたのが約一時間後、村人が幾らか犠牲になったあと。


 つまり、想定の範囲内で、許容される程度の被害に過ぎなかった。





 『餓狼の牙』のウェーラとグルルは歩くたびに泥の撥ねるのに辟易としながら、前線にいた。


「道、泥濘んでやんなるね」

「戦いの時と場を選べると思うな、じっちゃんが言ってたっすね」

「贅沢はしたい、それがいかなるときであっても、とはうちの父様の言葉だもんで」

「人間は度し難いっすねぇ。はぁ、ちょーっと隊を離れたらアリウスさんから離れるんすから、見たいもんも見れなくてテンション下がるっす」


 二人のテンションは低い。さもありなん。


「アリウスさんの戦い見てどうすん? たぶん、参考にならないやつだよ」

「強い人って格好いいっすよ?」

「え、グルルってホモなの?」


 言いながらウェーラは糸のように細い刃物でもって、異形の蛙、グリーネトードを切り裂いた。その太刀筋は下手な戦士のそれより鋭利で、達人の技だった。


「違うっすよ……っていうか、戦えるのなら迷宮でも戦ったらどっすか?」

「ぼくは働きたくないんだなあ」

「変わってるッスねぇ」


 ピッとトードの汚濁を払うと、真正面を足を止めて真正面を見る。


「社会が労働を押し付けてくる」


 ウェーラがはぁと溜め息をついた。買ったばかりの外套にも泥がはねている。戦うのが面倒だから鍵開けなどの軽業を覚えたというのに、師弟関係が面倒になって工房を出たのが悪かったのかもしれないと人生を振り返る。


 ウェーラには少し働いて酒を飲み、可愛い子に囲まれて暮らしたいだけなのに、と独りごちる。贅沢な願いだが、夢を見る権利は誰にでもある。


 グルルはむしろ挑発的な笑みを浮かべ、楽しげな雰囲気を見せた。戦うのは嫌いではない、むしろ好ましいと思っているからだ。


 グルルは懐から一つ小瓶を取り出すと、蓋のコルクを片手で開けて一気に飲み干した。茶色い小さなコルト瓶はそのまま投げ捨てられ、小瓶の中に僅かな緑色の液体が入っていた痕跡を残していた。


「キメるのはや〜」


 うぇーと顔を顰めるウェーラを一瞥もすることなく、グルルは聖句を唱えだす。


「狩猟の神、我が親愛なる母“グゥーガ=ルーガ“に感謝を。獲物と、素晴らしき狩り場を与え給うたことに。忠実なる猟犬であることの証明させる機会を与え給うたことを」


 ばちぱちと音が鳴る。空気が爆ぜる。


 グルルの髪が逆立つ、高濃度のマナを宿した水薬が体内のマナとニクの構成比がマナに偏り、ヒト種としての姿を変えていく。マナの過剰摂取による形態変化が起こっているのだ。


「死よりも体に悪いのはないけども、やんなるね」


 靄の向こうに巨大な“動く森“の影が見えている。あの樹木の巨人も雨が降っていてご機嫌だろう。火攻めもコストパフォーマンスに欠ける天候だ。



「本気とかダサいんだけどな」


 ウェーラはぽんと懐に忍ばせている小瓶が割れないか心配して、剣を構えた。






 やや前線から離れた距離でルクレツィアとタルタンシアがいた。二人の目の前には大量の水薬が並べられていて、タルタンシアは赤い瞳で疎むような目で見ていた。


「おくすり、きらい?」

「美味しくないからね」

「辛いことは分かち合う」

「おお、ルクレツィアは良い子ね――」 


 ぽおお、と奇妙に甲高い、しかし響く音が鳴る。クジラゴンが軽く鳴きだしたのだろう。ああやって地形データを測量し、中に飼っているマンタなどに位置情報や敵の場所を教えているのだ。


 よりアクティブなときは指向性を持たせ、そのまま音波攻撃で人体の中から攻撃する素敵な仕様になっている。戦略級の魔物であるクジラゴン、脅威のハイスペックモデルだが、そのハイスペックさが仇となり、本格稼働には十分なマナの充満が必要となる。


 人間には幸い、最初からフルスペックでの行動は起こさない。近寄れば、また話は変わってくるのだが。


 やれやれとタルタンシアは首をすくめて、瓶の蓋を二人分開けてやり、軽く傾けてルクレツィアに見せる。意図を理解した金髪の天使も、同じ仕草で返す。


「主の恩寵に」

「来たる報酬に」


 乾杯、と声を合わせて二人一気に飲み干した。


 タルタンシアの赤髪が僅かにうねる。うっすらと輪郭が朧気になっていき、周囲の気温が上がる。


「さぁて、稼ぐわよ。カイネん所のやつらちゃーんとタルタンシア·コートウェン様の活躍を観測しておくことね」

「水薬代とでお釣りが出るといいね」


 ウロナの貴族、タルタンシア·コートウェンが前線の方角に指を指す。


「"踊る赤の獅子に汝が子が嘆願する。揺らぐ輪郭、高貴なる紅き御姿、我らが美しき血の契約と、死後炎の宮殿で仕えることを約束す。汝が従僕にして子の嘆願に応じ――」


 タルタンシアの足元からもうもうと水蒸気が昇る。泥濘んでいた大地がぐつぐつと音を鳴らして沸騰していく。熱量が増大していく、タルタンシアのうなじに汗が浮かんで消えていく。


「威風ある輪郭を顕し給え。我らが共通の敵を薪木とし、その姿を顕し給え」


 ぼっ、とタルタンシアの赤い短髪に火がついた。

 否、彼女自身が焔となってきているのだ。


 後ろで立っているルクレツィアも瞳を閉じて、両手合わせて祈るように口を開く。


「万軍の主よ、すべての父母にして最も貴き館の主。秩序と光輝のあなたに乞い願う」


 ルクレツィアの頭上に光の輪が姿を見せる。ひらひらとした白いワンピースのような僧衣が靡き、大地から足が離れていく。


「救いたまえ」


 瞬間、ぎらりと太陽のごとく輝いた。遠くにいても、未明のときに太陽が登ったのかと錯覚させるほどだ。その光を浴びたものは一様に昂揚感を覚え、股ぐらがいきり立つほどの強い情を感じる。


 カッとルクレツィアが瞳を見開くと、その瞳は充血していて、血がだらりと溢れた。過度なマナの供給と人の身に過ぎた聖秘術を行ったためだ。天使族である彼女だからこの程度で済んでいるが、常人が行ったならば死ぬだろう。


 周りの僧侶がおお、と声を上げる。


「さすが天使様、力が湧いてきますぞ」


 ぼとりとルクレツィアが地に落ちる。分かっていたことのように一人が小瓶を片手に駆け寄り、ルクレツィアに渡す。無言で飲む。命を削る行為に彼女は嫌がる素振りを一切見せない。


 僧侶隊の誰かが賛美歌のような詠唱を始める。彼らもまた寿命を賭しているのだ。死はどこにでもよくあるが、偏って発生しうるのである。縁遠くことを願われる隣人だ。


「――焼き尽くしたまえ」


 呪文を唱え終わったタルタンシアの足元から焔が湧き上がる。吹き出した炎はやがて意志を持つかのように、うねり蠢き、ぐるりとタルタンシアの全身を一度だけ包んで、指差す前線へと飛んでいった。


 ぷすぷすと焦げ臭い匂いが立ち込める中、タルタンシアはぷはぁと息を吐いて、また小瓶の蓋を開けた。ぷるぷると震える腕に鞭打って、一息に飲み干す。


「飲みすぎ注意ったって、やってらんないわよね」


 飲み干した瓶を放り投げようとして、その小瓶回収費を思いだし、タルタンシアはせこせこと割らないように地面に置いた。



Q.村人死んでも許容内?

A.暴力を自力で保持できないほうがわるい。

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