第十七話 動員
招集が始まった。氾濫期が近づいて地表魔力構造物――氾濫核が地表に露出し、近辺に魔物が出没し始めたのだ。
氾濫核、要は魔石のでっかい版であるが、これは一定以上に魔力が溜まった魔石が周辺のマナを食い散らかし、さらなる捕食範囲として広がるために肢たる魔物を濁流のごとく出すものである。植物の種子が飛ぶのにも似ている。
こうなればもう氾濫は目の前である。
そういうわけで、領主であるタマデ・カイネは軍事力を保有する勢力に対して人員配置を含めた呼び出しを行ったのである。その中にはアリウスも含まれていた。
しかし、なぜ単なるいち冒険者がこれに呼ばれるのであろうか。至極簡単な理屈である。
ゴブリンであれば誰でも倒せるが、クジラゴンを殺せる人間は限られているからだった。
どれだけ有象無象がいたところで有象無象でしかない。強いヒトは生体兵器としての運用として遇されるだけの単純な事情だ。
余談であるが、貴族とはこれら生体兵器を指す。強いものは神に遇された血統という考えだ。よって人間社会の地位とは直接的な関係は薄く、どちらかといえば聖界――教会社会よりの意味が強い。
つまりは領主であるが貴族ではない、という事例はなくはない。が、領主最大の義務が領の保護(領がなければ領主ではないのだから当然だが)であるため、なんだかんだ領主は貴族であるべしという考え方は強い。
カイネの領主もまた、そこから逸脱することはなかった。
閑話休題。
カイネの領主は招集した場所は卓議場で、そこにはカイネにいる幾人かの有力者が集められている。
まず上座に座るのが領主タマデ・カイネ。筋骨隆々の身体な、下品とも揶揄される紫の衣服に身を包み、指には宝石のついた指輪を嵌めている。
その隣に座るのが息子のヤーラ・カイネ、父とは違い眼鏡をつけて地味な茶色の服を纏う、どちらかといえばインテリ然とした顔立ちの男だった。しかし、顔に不釣り合いなまでの筋肉が衣服を押し上げている。
その一つ下座にいるのが教会の人間、次が北部諸侯レーテ加盟都市から来た援軍の将、"偏食"リープニッツ将軍。その次がカイネ常備軍の将コルドール。
そこから以下が冒険者となり、キタ最大の冒険者集団の長にしてカイネ家傍系の血を引く"親方"シラン。独自に商会を持ち、単独でクジラゴンの討伐が出来るアリウス、他有象無象と続いていく。
口を開いたのは領主の息子、ヤーラであった。
「都市南部、ヨーデル支川デルベ川の中洲付近で氾濫核が確認された。既に空中にクジラゴンの監視航行を確認している。おおよそ、規模は中規模と推察される」
「中規模、か。クジラが出てる時点で胡乱な言葉に感じるが」
「まあ文句言って消えるものではありませんから。リープニッツ将軍」
クジラゴン、超巨大な鯨に似た姿で、鯨の十倍から二十倍の体躯は二百イーネから四百イーネ程度のサイズであり、攻撃には魔導ロケット二百発程度、マンタなどの小型魔物を発進させる能力を持つ。上空八百イーネ程度を飛ぶ飛行能力も有する。
口からはマナに干渉する波動を放つ強力な魔物である。伝説上の生物である龍を参考にして作られたとも言われている大型魔物である。
「規模感からすると五は湧くな。ついでに付近は湿地で足場が悪い、服が汚れる」
口を開いたのはアリウス。卓上の地図を見ながら、誰かがまた口を開く。
「この村は防衛せにゃならんか?」
「ここ戦場にしたほうが足場がマシだーな」
わいのわいのわいわい話が進む。顕現領域――地上に出てくる最大範囲――の推定から防衛ラインの話に進み、作戦が立てられていく。
強い主導権は領主になかった。主導権を握る権力は最も力を持っていなければならず、援軍や増援を頼む立場のものには与えられない。必然的に取りまとめ役に回っている。
より組織的な戦術の話は各軍閥内で行うしかない。
「そういえばアリウスよぉ、お前なんかまたなんか新参飼ったらしいな」
声をかけたのはキタの冒険者、"親方"であった。かつては同じ徒党を組んだ――どちらかというと共同経営者の趣が強かった――深い関係にある人物であった。
アリウスが"親方"の娘に手を出していなければまだ一緒にやっていたかもしれない。そういう関係の仲であった。
「新参ばかり育てて、新しい玩具は楽しいか?」
その言葉にはからかいと嘲笑が混じったようなもので、いくらかの人間が顔をあげてアリウスたちの話を伺った。賛否の否が多い人物ではあろうが、都市名物であり自他ともに認める筆頭冒険者であるものの話は実に興味深いのである。
「面白いぞ、なんせ魔神を殺すつもりらしいからな」
アリウスはさほど侮辱の混じった視線を気にする様子はなく地図を眺めていた、時折手元の紙に幾らか数式を書き込んで渋そうな顔をする。
「ふぅん、口はだいぶ大きそうだな」
「そうだな。人一倍よくものを食う口だ」
ふんと鼻を鳴らして揶揄に揶揄で返す。
「都市から出ないモグラの分際で"冒険"者を騙る口よりよっぽどマシだな」
親方はお前もそうだろ、と言おうとしてやめた。いい加減にしろと領主が視線を向けていたからだった。
紫色の服が筋肉でパツパツになっている人間がじろりと見ているのは圧があり、商売相手に面倒だし禍根を残す。
血の気の連中がこういった話し合いをしていると喧嘩をするというのは往々にしてよくある話で、魔物を前にして喧嘩でボロボロになるなんてお話は有名なものである。
武器の類の持ち込みは禁止されてるとはいっても、金属の棒で魔物の装甲を破壊できる蛮人の腕力が素手で人を殺せないだなんて想像力の欠陥は死を招くので気をつけよう。
その後は堅実に会議は進み、血を見ることなく終わった。
そうして会議は終わった後に、モルンネン伯タマデ卿がアリウスを呼び止めた。断る理由もなく、アリウスはそれに従った。
「用件は?」
「いい加減アタシのところに仕えるつもりはないの?」
些か変わった特徴の口調でタマデが言った。上腕二頭筋が自己主張している男性の顔を見てアリウスは嫌そうな顔をした。
「無い」
「そう、ま、いつでもアタシは待ってるわ」
挨拶は簡潔にして、と言って。
「今回の氾濫、どう考える」
「外的要因があるとしか考えられん。前回の氾濫が二年前、いくらカイネが異常なまでに迷宮が多いとはいえ早すぎる」
眉間に皺を寄せるタマデ卿、後ろのヤーラが口を開いた。常識的な格好をした神経質そうな顔をした男だ。
「迷宮禍を人為的に起こす方法があるんですか?」
「氾濫核、もしくは高純度の魔石を大量に持ち込んで加工すれば、理屈上はマナの集積を加速させて起こすことが可能だ。それと、上位魔族であれば氾濫核の代用として都市のマナを活性化させることで可能だと思う」
「……大量とはどれくらいですか?」
顎に手を当ててアリウスは思案して、概算だがと言って答える。
「この部屋いっぱいくらいか」
「……氾濫核でも持ち込んだ可能性のほうが高いということですか」
「氾濫核を生きたまま確保したなんて話は最近とんと聞かないな」
しばらく沈黙が部屋を支配した。
「では、上位魔族ですか?」
「可能性は否定しない。最近人がいなくなるってことはあるか?」
「ないですね」
「"大量に"魔石を買い込んでいるやつは?」
「ないです」
「ふうん、じゃあまあ、いたとしたら迷宮にでもこもり続けてるんじゃないか」
ふうと息を吐いてアリウスは席から立ち上がる。
「なにか分かったら伝える。今日はもう帰る」
「飯でも食べていく?」
「遠慮する」
立ち去っていくアリウスだったが、ふと少し考えるところがあった。氾濫核のその素材元は魔神であることを。
そして、どこにいるかも教えない魔神を殺そうとするスノウエルフについて、を。
Q.大事なことはなんですか?
A.根性ッ!