第十二話 涙は飲料
北部諸侯レーテ加盟都市であるカイネは同加盟都市間での関税が極めて安い。軍事や経済などの包括的な契約を共にする共栄圏、それらを話し合う議会を意味するのがレーテである。
更に税の少ないカイネは、商人が活気的に動き回り、その影響はとても強いものがある。
まぐまぐとおやつを買い食いするツェーリを連れて市場へと潜り込み、これを買うならここ、となにくれアリウスが教えると、ツェーリは分かっているのかこくこく頷く。
時々アリウスは店の人間と会話をしている、最近領主はなにをどれくらい仕入れたか、だとか、流通に関わる情報を集めているようで、ツェーリは興味深そうに聞いていた。
不思議なことに市場の人間はアリウスから一歩引きつつも、ある程度協力的に見えた。こと質問することに厭いのないツェーリは焼き菓子を一つ食べ終えてからアリウスに尋ねた。
「なぜ商人はアリウスに情報を渡す?」
言外に暴力的な人間なのに、と言われたアリウスであるが、見目のいいはっきりと物事を言う人間には寛容だった。情報料だと言ってツェーリの持つ焼き菓子の袋から一つ奪うと、アリウスは答える。
「俺も商売をやっているし、都市の有力者と顔繋ぎが出来るからだろう。商人であろうが俺は殴るが、損はさせない。喧嘩は相手の選び方も大事だが、手法も大事になる。敵になるよりお友達になった方が利になるようにしてる」
すぐにはお前には真似出来ないやり方だ。とアリウスは言って一口で菓子を食べた。
「お前が見習うべくは俺ではない。仲間を作れるやつだろうな、魔神を殺すような狂気沙汰、愛してくれるやつを作った方がいい」
俺にはそんなこと出来なかった。アリウスはそう言って黙った。悲しげな様子はなく、シニカルな諦観が伺えた。
次の日、ツェーリの方が先に起きた。故郷の寝具とは違ってはるかに快適で、家屋の中にいても吐く息すら凍るほどの寒さもなく、暖かな部屋で眼を覚ます。
身を刺すような冷たく、年中降る雪で白一色の、時が止まったような代わり映えのしない落ち着く土地。生きるために猟をし、家長の語る昔話を子守唄にしていた懐かしく愛おしい土地。
「もう、無い」
ツェーリは瞳を閉じて、三つ数えた。そのあと為すべきことを口にして、眼を開ける。
薄い寝衣を脱ぎ、誰もいない部屋にすらりと細いを晒す。肉付きの薄い身体はしかし均整の取れた美しい黄金比で、きめの細やかな肌と彫刻のように変わらぬ顔から生きた像なのではないかと疑うことだろう。生命らしい反応で、呼吸に合わせて動く腹が生きていることを示す。
雪絹の服を纏って、再度深呼吸。決意を新たに部屋を出る。ぼんやりと明るさを放つ魔石灯の光を頼りにアリウスの部屋の前に立つ。
小さな手でどんどんと叩く。がたんと部屋の中で音が鳴った。鳴った、鳴ったがまた静まった。もう一度叩く。反応がない。
昨日は結局一通り案内をしてもらって、別れた。飲みに行くと言ったアリウスだったが、酔っているのか。ツェーリは扉に軽く力を入れると、抵抗もなく扉が開いた。
「不用心な」
言ってからツェーリは思ったが、この男を物盗りや強盗が狙うだろうか。だとすれば双方にとって不幸なことだろう、寝ていたところを起こされるアリウスもそうだろうし、物言わぬ屍になった侵入者もそうだ。
となるとやはり不用心だった。危険な人物が入っている部屋の鍵はきちんと閉めておくべきだ。
世間知らずのツェーリでも、都市の治安の悪さは理解してきた。うんうんと頷いて文句を言うべくそのまま扉を開けて、部屋には入らずそのまま声をかけることにした。
「アリウス、朝だ。鍵は閉めた方がいいと思う」
扉から見えた部屋の様子は、当然だが自分と同じくらいの広さで、紙が部屋に散らばっていた。床には酒瓶を持ったアリウスが唸りながら眠っていて、酒の匂いがぷんとした。たぶん、ベットから落ちたのであろう。
自分の住処には為人が現れるとツェーリの祖母は語った。アリウスの部屋は色んなものが散らばっていた、魔道具らしきものだったり、なにか数字のたくさん書かれた紙……得体の知れないもの、小銭、ゴミか転がっている。
仕事道具である鎧や剣はきちんと場所を取って置かれているのは、なんというか、らしかった。
「あ゛ー。なんて?」
床に寝転がったまま、アリウスが喋った。
「朝だ」
「朝か、朝か……くそ、誰の許可を得て日が昇ってやがる」
「サナト=マフだ」
「あー、頭いてぇ……なんだ、誰かに殴られたか」
「それは寝台から落ちたのだと思う」
「あぁ? 誰が落としやがったんだ?」
「ルト=ベイユだ」
「天罰か……甘んじて受け入れよう」
うぐぐ、と唸って立ち上がると、手に持った瓶に口を運ぶが空だった。神は俺を見捨てたのか? とアリウスは言ったが、ツェーリは酒が無くなっただけだと答えた。
ツェーリは視線を下にすると、落ちている紙が目に映る。
「……数式か」
「あぁー、離散と収束、偏在の予測に関する魔導の……まあゴミだ。手慰みに、うっぷ、考える時のくせで書いている」
「見たことのない記号もある」
「お前に学がねぇ……のか俺の考えた記号かわがんね、うーきもちわる、着替えるから待ってろ、教会行って酒抜いてからギルド行く」
うーうー唸りながらツェーリの目も気にせずアリウスはそのまま服を脱ぐ、ツェーリは無言で扉を閉めた。
「破廉恥な男だ」
ツェーリ、初心な娘子である。
教会に寄って信仰心を強くしたアリウス一行は、ギルドの建屋に入るとギルドの人間をすぐさま脅し始めた。不運なことに今日の受付は男だった。
「いいからインスタント用に枠開けろって言ってんだよ」
「ですけど、あの、来たばかりの者を入れたがるパーティは少なくてですね、今日来て今日開けろと言われるのは」
ぴたぴたとアリウスが受付の頬を触る。これが暴力へと変わるのは一瞬だとギルドの男は知っていた。
「も、もちろん空き次第優先しますが」
「開けろ、って言ったんだが。聞こえづらかったか?」
耳に穴は空いているかな、とアリウスは顔を掴んで横を見た。耳を摘み穴を眺める、詰まってるんじゃないか? なんて穏やかな口調で言いながらだ。
インスタント、というのはその場限りのパーティである。枠を開けろというのは、まあ無理やり既存のパーティに入れさせろだとか、そう言った類の発言だ。
命懸けの仕事なので、当然面子もまあまあ選ぶ必要がある。そこを開けろというのは端的に言って無茶振りだった。しかし、そう言っても許される立場にある暴力と地位を保有しており、のさばっているのを止めれるものは少なかった。
「アリウス、脅すのは駄目だぞ」
「脅してねぇよ。こんなの可愛いお願いだぜ、なぁ? そうだろ?」
「は、はい」
「ほらな? 耳の通りがいいコイツはちゃんと聞いて返事が出来た。俺がお掃除してやる必要もない。じゃあほら、賢くて耳が通ったお前なら適当なパーティに枠開けろって言えるな?」
「……はい」
アリウスが手を離す。満足そうに笑いながら、よく出来た賢いな、と言ってツェーリの方を向く。
やめなよ、とは気軽に言えるが、気軽に言われて引けるものではない。言われてやめましたでは面子が潰れる、冒険者というヤクザ業は面子でやるものでもあるので、言葉の重さも相まって中々難しい話なのだ。
結局誰かが涙を飲まねばならず、今回はギルドの人間が……飲んでいない、飲まされるのは無理矢理パーティを組まされる人らだった。ギルドもまた強者である。弱肉強食。
「じゃ、適当にやれや」
アリウスはそう言って適当な酒場へと足を運ぶのであった。
Q.命名法則について。
A.王国北部は独語風、更に北のエルフは露語風、王国の南にある帝国は羅甸語、貴族は神語なので造語風、獣人とかは鳴き声とかの音に近しい語、今のところはそういう規則があるらしい。