07 森の異変
俺がダズワルドさんの家でお世話になるようになってから、1週間ほどが過ぎた。
俺もようやくここでの生活に慣れてきた。ような気がする。
あれからも、家族の前では何度かギターを披露している。
みんな、その度に喜んでくれる。嬉しい限りだ。
そういえば、数回リィサさんが顔を見にきてくれた。
俺のことを気にかけてくれて、何か困ったことがあったらいつでも相談してね、と優しい言葉をくれた。本当にいい人だ。
その時に一度、俺のギターが聴きたいと言われたので、一曲披露した。
リィサさんも甚く感心し、めちゃめちゃ褒めてくれた。
美人に褒められると悪い気はしない。
その後、「うん、これなら。うん、大丈夫」って何かリィサさんの中で納得していたみたいだけど、あれは何だったんだろうか。
そんなある日。
みんなで朝食を済ませた後、ダズワルドさんは執務室でのお仕事に。
ミックは、集落の近辺で弓矢の訓練。
カンジは、リドリー先生という学者さんの家に勉強を習いに出かけて行った。
順に説明すると、ミックは将来、森の民の自警団に入り、ゆくゆくは王都の騎士団に入ることが目標なんだそうだ。
森の民の自警団というのはこの集落の言わば警察みたいなもの。
フォーレンの森の民は戦うとき、どちらかというと剣や槍などの近接武器よりも弓矢を使うそうだ。おそらく金属が手に入りにくいということもあるだろうが、狩猟によって食料を調達している部分が多いため、弓矢の腕を磨いた方が何かと都合が良いのだろう。
実際、この集落には猟師はたくさんいて、皆、弓矢の腕はなかなかのものらしい。
王都の騎士団に入るにはある程度の実績が必要なため、まずはこの集落の自警団に入ろうと、時間があると周辺の森の中で弓の訓練をしていると言っていた。
やっぱりご両親を盗賊に殺されたという過去が、影響してるのかもしれないな。正義感が強いのだろう。
ちゃんと将来のことも考えているなんて、ミックはすごい奴だ。
そして一方、カンジはと言うと、その見た目とキャラの通り、勉強が大好きなのだ。
何しろここは小さな集落のため、学校のようなものは存在しない。
小さい子供たちは、周りの大人たちの手伝いをしながら、簡単な読み書きや計算は教わっていくものの、勉学という概念そのものがないっぽい。
だが、カンジは昔から知的好奇心がものすごく旺盛で、とにかく本を読み、知識を蓄えることに異常なまでの興味を示した。
そして実際、その吸収力は非凡なものがあった。
リドリー先生というのは、森の民ではなく王都出身の学者さんで、数年前から自然と精霊の関連性について研究するためにこのフォーレンの森の集落の外れに住み着いている、ちょっとした変わり者。
だが、王都から来たというだけあって、この集落ではなかなか手に入らない書物などをたくさん持っているらしく、カンジは一度お使いで訪れてからというもの、リドリー先生にいたく懐いてしまい、事あるごとに先生の家を訪ねていくらしい。
リドリー先生自身も、カンジの才能と熱意に惚れ込み、いろいろと勉強を教えてくれているんだそうだ。
というわけで、家に残された俺とロロは、アンナさんのお手伝いをすることになった。
「じゃあ、そうだねえ、今日は洗濯をお願いしようかね」
「はい、わかりました!」
「ロロも、いっしょにせんたくー」
「家の裏で、洗い桶でやってもいいんだが、今回はちょっと量が多くてね。川でやろうと思ってるんだよ」
「川……ですか」
俺がリィサさんと出会ったあの川岸か。
「今日は私も一緒に行くから、道順も覚えてちょうだいね。今後は一人で行ってもらうかもしれないから」
「わかりました!」
そういうわけで、アンナさんと俺はそれぞれ洗濯物が入ったカゴを担ぎ、ロロを連れてあの川岸に向かって出発した。
一度川岸から集落に向かって歩いたことがある道なので、知った道だと思ったのだが、やはり集落を離れて森の中に入っていくと、歩くのが難しくなる。
森の中をスムーズに歩くというのは、かなりの慣れが必要だと思った。
「どうだい? 森の中を歩くってのは大変だろ?」
道すがら、アンナさんはヒイヒイ言っている俺を見て、笑ってこう言った。
「はい、慣れていないので、……大変です、ふう、ふう」
「ロロは平気だよー」
さすが獣人とでもいうべきか、ロロは森の中をすいすい進む。
「私たち森の民はねえ、森と共に生きてるんだ。森が豊かになれば私たちも豊かになる。森が何かに脅かされれば、私たちにも危険が迫る。森から恵みをいただいて、私たちは森を守る。もうずっと、ご先祖さまのご先祖さまの時代から、そうやって生きてきたんだよ」
「なるほど」
そうか。森の民というのは、森の守護者でもあるのか。
単に、森の中に住んでますよ、というだけではないんだな。
「……でも、ちょっとね。最近、森の様子が変なんだ」
「様子が変?」
「ああ、森の動物たちがね、おかしいんだよ」
アンナさんの表情が曇る。
「今まで、そんなことはなかったんだけどねえ。私たちと森の動物たちは共存共栄。うまくやってたんだ。もちろん、私たちは必要な分は狩りをする。生きていかなきゃならないからね。でも、決して獲りすぎない。森の動物たちがいなくなっちゃったら、元も子もないだろ?」
「はい、わかります」
「だから動物たちも、特に人間に対して敵愾心を持っているわけではなかったんだ。ところが最近、急に凶暴化した動物が人間を襲ってくるっていう事件が多発してるんだよ」
「えっ!」
「この間もそうさ。森の奥のほうで木の実を摘んでた若い娘がね、急に野生のポグの群れに襲われてさ。大怪我したんだよ」
ポグというのは森に住む野生の動物で、イノシシの小型版みたいなやつらしい。
「他にも、同じような事がたくさん起きててね。治療院は大忙しみたいだ」
「そうなんですか……」
怖いな。
野生動物に襲われて命を落とす、なんてことは前世でもよく耳にした事件だ。
でも、そこまで多発するような事件じゃない。
それが、頻繁に起こってるとなると、ちょっと普通じゃない。
「だからシグマ、あんたも、森の中を歩く時は細心の注意を払っておくれよ」
「わかりました、気をつけます」
まあ、気をつけてたところで、実際に凶暴化した動物、しかも群れに会ってしまったらもう、どうしようもないけどな。
注意するに越したことはないし、森の中での単独行動は避けたほうがいいみたいだな。
「でも、集落の近辺は大丈夫よ、今のところ。川岸までくらいなら一人で出かけても問題ないと思うわ。結構、森の奥深くで起きてるって話だから。そもそも野生の動物たちは、集落の方には近づいてこないしね」
しかし、永く森と共に生きてきた森の民の人たちが異常だと感じるっていうことは、やはり森の動物たちにとって、何か普通じゃない事が起きているのは間違いないんだろうな。
ただ、その時はまだ森に来て間もなかったし、「あー森の中って危険なんだなー」ぐらいの認識しかなかった。
やがて、俺たちは川岸に辿り着き、洗濯を始めた。
ロロは、洗濯のお手伝いをしているのか、水遊びをしているのか、わかんないな。
俺とアンナさんは、そんなロロを見て笑いながら、せっせと洗濯に励んだ。
その時、遠くの草むらから妖しく赤く光る2つの目が俺たち3人を見ているという事を、俺は知らなかったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
深く薄暗い森の中。
黒いローブに身を包み、フードを目深にかぶった一人の女が佇んでいる。
手には水晶球を持ち、それは妖しく赤く光っていた。
女は、水晶球を前に掲げると、ブツブツと何かを唱え始める。
水晶球はどんどんと赤い光を増していく。
そしてフードから垣間見える赤い唇の端が、ニヤリと上がった瞬間。
水晶球から赤い光の柱が天に向かって一直線に伸び、それが最高点に達したと同時に光の筋が分かれ、四方八方に飛び散っていった。
鳥たちが何かから逃げるように、まるで断末魔の叫び声のような鳴き声をあげて、一斉に飛び立つ。
「………ふん。今日はこんなもんかしら」
女は、独りごちた後、水晶球を懐にしまう。
そして、森の奥深くへと消えていくのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
洗濯を終えた俺たち3人は、集落の家に戻ってきて、洗濯物を干していた。
途中、弓と矢を携えて訓練から帰ってきたミックが、干すのを手伝ってくれた。
その後、少しの休憩を挟んで、アンナさんは昼食作りへ。
俺たちも、調理場でのお手伝いに参加した。
今日は、カンジはリドリー先生のところで昼食を食べるらしい。
「ミック、シグマ、ロロ、今日は昼から行商人が来るから、一緒に見にいくかい?」
準備をしながら、アンナさんが俺たちにこう言った。
「おお!今日は行商人が来る日か!行く行く!行きます!シグマも、行こうぜ!」
ミックがテンション高めで応える。そんなにうれしい事なんだ。
そういえば以前、リィサさんから聞いた事があったな。定期的に行商人が訪れて売買をするおかげで、森の民たちは自ら出かけなくても物資が手に入る。だから、あまり集落の外に出なくてもみんなは生活できているんだと。
と、いうことは、あれか。
行商人は他の地域のいろんなものを持ってきてくれるってことか。面白そうだな。
この世界のいろんな文化に触れる事ができるかもしれない。
「あ、僕も興味があります!行きたいです!」
「よし、決まりだね。じゃあ、昼ごはんがすんだら、全員でお出かけだ」
「みんなで、おでかけ〜♪」
ロロもぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでいる。
「シグマ、多分ビックリすると思うぜ」
ミックがニヤニヤしながら言ってきた。
「ビックリ? なんで?」
「それは見てからのお楽しみだよー」
「気になるなあ」
結局ミックは、昼食を食べ終わっても、なんで俺が驚くと思ったのかは教えてくれなかった。
まあ、いいけど。逆に楽しみになったし。
昼食の片付けを終えた俺たちは、ダズワルドさん、アンナさんと共に、行商人が着くという街道沿いの広場まで歩いていった。