04 初めて見る魔法
「それじゃあ、リィサ。悪いが、私はまだ仕事が残っていてね。午前中はちょっと手が離せないんだ。昼食までシグマくんを預かっていてくれないか?正午あたりにまたここへ連れてきてくれるとありがたいんだが」
「わかりました、お安い御用ですよ!じゃあシグマくん、行こうか!」
「あ、はい!」
俺はリィサさんに連れられて、ダズワルドさんの部屋を出た。
とりあえず、住むところも決まったし、一安心といったところだな。
ていうか、今がまだ午前中だったことすらわかってなかったな、俺。
ダズワルドさんの家を離れた俺たちは、ひとまずリィサさんの家に向かうことになった。
そりゃあそうだ、洗いっぱなしの洗濯物がいっぱい入ったカゴを持ちっぱなしだったからな、リィサさん。ありがたい。
ダズワルドさんの家から歩くこと5分ほどで、リィサさんの家に着いた。
リィサさんの家はご両親と、リィサさんの3人家族。ご両親は、農業を主な生業としているらしい。
そしてリィサさんは、「薬師」という俺達の世界でいうところの医者や薬剤師みたいな職業の見習いなんだそうだ。
森に生えている薬草や動物の内臓などから、薬やポーションなどを生成する仕事を、お師匠さんの元で勉強中だと言っていた。
「ただいまー!」
「おかえり、リィサ!随分遅かったのねえ!」
リィサさんが家の扉を開けて元気よく声をかけると、奥の方から年配の女性らしき声で返事が返ってきた。
「ええ、母さん。ちょっと森の中でいろいろあってね」
リィサさんは洗濯物の入ったカゴを下ろしながら、家の奥に向かって話している。すると奥の方から恰幅のいい優しそうな女性が出てきた。おそらくこの人がリィサさんのお母さんだろう。ご多分にもれず緑髪だ。
「いろいろって?………おやおや。いらっしゃい。かわいいお客さんが一緒なんだねえ」
「実はね、洗濯の途中……というか、川のほとりでね、この子に出会ったの。シグマくんっていうんだけど」
「はじめまして、シグマです」
「まあまあ、はじめまして。私はリィサの母親の、テレサよ。よろしくね」
「森の中で迷子になってて。行く当てがないっていうから、長のところに行って相談してたのよ」
「行く当てがない? え?」
「どうやら遠くから不思議な力で飛ばされてきたみたい。記憶も少し無くしているっぽいのよね」
「それは……大変だったわね」
「い、いえ……」
なんか過剰に心配されているのが申し訳なくて、俺は頭をかいた。
「でも、安心して。長のところで面倒見てくれるって」
「ああ、そうなの!それなら安心ね。ダズワルドさんと、アンナに任せとけば何も心配ないわ。アンナとは、私、幼馴染なのよ」
アンナさんというのは、ダズワルドさんの奥さんの名前らしい。アンナさんとテレサさんは子供の頃からの付き合いで、親友なんだそうだ。
「お昼ご飯の時間まで少しうちで預かることになったから、連れてきたの」
「すみません、お邪魔しまして」
「あらあらあら、お邪魔だなんて。子供が気を使うんじゃありませんよ。ゆっくりしていって」
そう言うと、ケラケラ笑いながらテレサさんは奥へ引っ込んでいった。
「さてと、私はこの洗濯物を干さなきゃいけないから、ちょっとシグマくんはそこの椅子にでも座って待っててくれるかな?」
「あ、じゃあ僕も手伝いますよ!」
「えー、いいわよ、そんな。あなたお客さんなんだから」
「いいえ。リィサさんにはとてもお世話になったので、何か恩返ししないと僕の気がすみません。お願いします。手伝わせてください」
俺は有無を言わさず、ギターケースを入り口付近に置き、代わりに洗濯カゴを持ち上げた。
「うーん、そう? しょうがないわねえ。じゃあお願いしようかしら」
「はい!」
俺たち二人は一緒に外に出て、家の反対側に移動した。そこには木と木の間にロープが渡してある洗濯物干し用スペースがあった。
「じゃあ、シグマくんはあっち側から、これ、お願いね」
洗濯カゴからひと抱え分の洗濯物を受け取り、俺はリィサさんと手分けして干し始めた。
洗濯物干しならばお手の物だ。何しろ俺は、一人暮らし生活歴が長い。手際良く一枚ずつ手に取っては、ロープに引っ掛け、手で伸ばしてパンッパンッと叩く。このロープは少し摩擦力があるロープのようで、洗濯バサミなんかで挟まなくても、風で飛ばされる心配はなさそうだ。
俺が次々と干していき、預かった分を干し終えて追加の分をカゴに取りに戻った時、リィサさんが驚いたように言った。
「驚いた。シグマくん、随分手慣れてるわね。干すときに叩くのも、知ってたの?」
「え? いやあ、まあ、はい……」
「故郷でも、お家のお手伝いをちゃんとやってたのねえ。えらいわ」
リィサさんが頭を撫でてくれた。照れくさいな。
「いやいや、このくらい、誰でもやってることですって。リィサさんは大袈裟だなあ」
俺は照れ隠しで少しバンダナをなおすフリをし、そそくさと持ち場に戻った。
洗濯物は大した量ではなかったので、二人でやったおかげであっという間に干し終わった。
すると、リィサさんが、胸の前で手のひらを合わせて何やらボソボソとつぶやき始めた。
そして。
「そよ風」
リィサさんがそう唱えた途端、どこからともなく気持ちいい風が吹き始めた。
「え?ひょっとして、今の、魔法ですか?」
「ええ。風の魔法の初歩的なやつよ。まあ、洗濯物を乾かすときぐらいしか、使い道ないけどね。ふふ」
「へえー!でも、すごいですね!」
俺は、初めて目の前で魔法というものを見て、少し興奮していた。
色とりどりの布が、気持ちよさそうに風に吹かれてなびいている。
俺もいつか、使ってみたいなあ。魔法。
「さて。手伝ってくれてありがと。おかげですぐに終わっちゃったわ。あとはこのままお日様の力で乾かして夕方取り込むわ。じゃあお昼まで、お茶でも飲んでゆっくりしましょ」
「はい」
二人で家の中に戻る。
リィサさんは俺に温かいお茶を淹れてくれた。独特な香りがするが、とても美味しいお茶だった。
しばらく休憩していると、奥からテレサさんが出てきた。どうやら奥の台所での家事が終わったみたいだ。
それから3人で、俺の境遇についてや、この集落のこと、いろんな世間話に花を咲かせていると、あっという間に時間は過ぎていった。
「あらあらあら。そろそろお昼の時間じゃない?リィサ」
テレサさんは、窓から差し込む陽の光の角度を見てそう言ったらしい。すばらしいな、ここの人たちは。自然と共に生きているって感じ。陽の光で時刻を読み取っているのか。
俺がその話を聞いて感心していると、リィサさんは「じゃああなたの国ではどうやって時刻を知るの?」と不思議そうに尋ねてきた。
「……うーん、なんて言ったらいいのか、時刻を知らせる機械のようなものがありまして、うまく説明はできませんが」
時計の仕組みなんて、俺は知らない。
しかし、そう考えると俺が元いた世界っていうのは、便利な世の中だった。科学技術の恩恵受けまくりだったからな。
これからは、この世界で死ぬまで生きていくのだから、ちょっと考え方を改めないとな。
でも、雨の日は時間わかんないよな。
「ふうーん。まあいいわ、とにかくダズワルドさんの家に向かいましょ」
俺は身の丈ほどのギターケースを再び背負い、テレサさんにお礼を言って、リィサさんの家を後にした。
俺とリィサさんは、先ほど通ってきた道を逆方向に歩き、再びダズワルドさんの家へ。
中に入るとリィサさんは、さっきとは反対方向に向かい、より奥の部屋につながる扉へと向かった。
「この奥が、ダズワルドさん達の居住スペースよ」
なるほど、長としての仕事スペースとちゃんと分けてるんだな。
扉を開けて中に入り、廊下を進んでいくと、その先に大きな部屋があらわれた。
中央に大きなダイニングテーブルがあり、奥に調理場がある。
調理場では、一人の緑髪の女性が鼻歌を歌いながら料理をしていた。おそらくこの人がアンナさんだろう。
その隣で、ちょこまかと2人の子供達が動き回り、残りの最年長っぽい子が鍋をかき回している。お手伝いしているのだろうか。
「アンナさーん」
リィサさんが声をかけると、料理の手を止め、3人の子供達になにやら指示を出してから、その女性がこちらにやってきた。
「はいはーい。こんにちは。あなたがシグマくんね。アンナです、はじめまして。旦那から話は聞いてるわ」
「はじめまして。シグマといいます。お世話になります」
俺はアンナさんに頭を下げた。
「リィサも、ありがとね」
「いえいえ、私はたまたま出会っただけですので、何もしてないですよ」
「うちに連れてきたのは、いい判断だったと思うよ。子供を森の中で一人で放っておくなんて危険だからね。特に最近はね……」
「……そうですね」
ん? 最近は? なんかあるんだろうか。
「まあ、とにかく! あんたは今日からしばらくうちの子だ!シグマ!よろしく頼むよ!」
アンナさんが俺の頭をポンっと叩いた。威勢のいい肝っ玉母さんって感じだな。
「じゃあリィサ、あとは任せな。あんたは仕事に行くんだろ?」
「はい、そうです。じゃあアンナさん、よろしくお願いします。シグマくんも、またね!」
「あ、いろいろとありがとうございました!」
「あ、リィサ、帰るついでにうちの人呼んできてくれないかい?お昼ごはんの時間だよって」
「わかりました!うふふ、シグマくん、ちょくちょく遊びに来るからね!バイバイ!」
そう言い残して、リィサさんは部屋から出て行った。
去っていく姿も美しい。
本当に、この異世界に来て初めて会った人がリィサさんで良かった。俺はいつか必ず恩返ししようと心に誓った。