01 刺激的な出会い
目が覚めると、そこは鬱蒼と木々が生い茂った森の中だった。
俺は、岩にもたれかかって座った状態で寝ていたようだ。
今のは、夢? だったのか?
いや、確かに俺はトラックにはねられた後、奇妙な空間に飛ばされていた。
………てことは、………つまり。
ここは転生先の世界っていうことか!
あたりを見回してみる。
うお!
俺の右隣に巨大な黒い物体が見えた。
これは………楽器ケースみたいだけど………チェロ?ウッドベース?
いや、ちがう。ギターケースだ。しかも自分の。ちゃんと希望が通ったんだな。ギターも一緒に転生、っていう希望。
やけに大きいな!おい!どういうことだよ!
………あれ?ちがうか?
これは………、俺が小さくなったのか。
そうかそうか、俺、10歳くらいの子供になりたいって言ったっけ。
しかしこいつも一緒に来てくれたのは嬉しい。なけなしの金で買ったギブソンJ-45。
俺の唯一の宝物だ。
さてと、それはそれとして、とにかくちょっと異世界とやらを散策でもしてみるか。
俺は立ち上がり、身の丈ほどのギターケースを背負って少し歩き出した。
しかし、ここは………。結構な深い森だな。遠くから動物や鳥の鳴き声が聞こえてくる。
とにかく、ちょっと開けたところに出たいな。
そう思った俺は、木々の間を抜け、道なき道を草をかき分けてひたすら歩いた。
半刻ほど歩いた頃だろうか。
遠くから水の流れる音が聞こえてきた。
お、川かな。ちょうど良かった。少し喉が渇いてきたところだった。
幸い、体は若返っているようで、長い間こんな大荷物を担いで歩いても大して疲労は感じない。
若いってすばらしい。
俺は、水の音がする方向へと急いだ。
自分の身長よりも高い茂みをかき分け、かき分け、ようやく少し開けた場所に出た。
そこは河原で、少し大きめの川が流れていた。幅20メートルくらいだろうか。
「おお、川だ」
思わず声が出る。
そして、声変わり前の自分の声に驚く。俺、声たっけえ。
すぐにでも水が飲みたかったので、川の方へ近づこうとした時、俺の目に人影が映った。
あ、人がいる。
しかも、あれ? ちょっと待てよ。
俺は咄嗟に茂みに戻って身を隠してしまった。
なぜなら。
女性がすっぽんぽんで水浴びしていたからだ。
一糸纏わぬというのはこのことだ。
見てはいけないと思いつつ、こちらの世界に来て初めて遭遇した人なので、興味本位で覗き見してしまった。
驚いたのはその髪の色だ。
エメラルドグリーンとでもいうべきだろうか。
元の世界では、コスプレでしか見たことのないような、鮮やかな緑のロングヘアー。
肌の色は透き通るような美白。
まるで、女神様を見ているような錯覚に陥りそうなほどの美女だった。
すげえなこの世界。
本当に美しい神々しいその姿に、俺はエロい感情というよりも、ありがたい気持ちになって見惚れていた。
いや、エロい感情も少しはあったが。
美女は水浴びを終え、そばに置いてあるカゴから大きな布を取り出し、体を拭き始める。
と、その時。
本当に運が悪いな、俺は。
一匹の羽虫が俺の顔に向けて勢いよく飛んできた。
「わあ!」
虫を避けようとして、体がふらつき、思わず声が出てしまった。
と同時に、体勢を立て直そうとして周りの草木に体が当たり、わさわさと茂みが揺れてしまった。
「………!!」
いくら川の流れの音が大きいとはいえ、流石に美女は気配を察し、茂みの方を凝視した。つまりこちらを。
「………誰か、いるの?」
布で体を隠しながら、美女がこちらに問いかけてくる。
これは、だめだ。言い逃れできない。
しかも今気づいたが、思いっきりギターケースの先っちょが茂みの上から顔を出している。
あきらめよう。
異世界に来て早々、覗き魔(変質者)とか、馬鹿だなあ俺。
俺は素直に謝ろうと思って、茂みから顔を出した。
「ごめんなさい」
「………きゃっ」
……あれ? 思ったよりリアクションが少ない。
もう、俺が顔を出した瞬間、ぎゃー!!!へんたいーー!!!のぞきーーー!!!誰か助けてーーー!!!!って騒がれるかと思ってたけど。
…きゃっ、だけ?
「あの、ごめんなさい。覗くつもりはなかったんです。ただ、この森で道に迷っちゃって」
嘘は言ってない。
実際、初めて来た森だし。道わかんないし。そもそもどこ行ったらいいのかわからんし。
「川の音がしたので、水を飲もうと思って」
俺は正直に話した。
「………あっ!そっか、私の方こそごめんね!こんなところで水浴びしてる私も悪いよね。こちらの方こそ、驚かせてごめんね、ボク」
美女は手をブンブン振りながら、こちらに謝ってくる。
おや?おやおやおや? ボク???
あ!そうか!なるほど!!俺、子供になったんだった!!今、10歳なんだった!!
ってことはこの美女からすると、変質者に覗かれていたというよりも、見知らぬ子供にちょっと見られちゃったくらいの感覚なんだ!
おおおーーー。助かったー。異世界に来て早々、覗き魔(変質者)にならずに済んだーー。
「ごめん、ちょっと服、着ちゃうから少し向こう向いてて」
「は、はい!」
美女改め美しいお姉さん(推定年齢20歳代前半)に言われて俺は、回れ右してしばし待つ。
「ごめんねー、ここには洗濯しに来たんだけど、ちょっと汗かいたから、ついでに誰もいないと思って水浴びしちゃったの」
後ろからお姉さんの言い訳と、服を着る衣擦れの音が聞こえてくる。
「い、いえ!こちらこそ!急にすみません!」
ここはもう、徹底して10歳の子供として振る舞うしかないぞ。俺。
「はい!おまたせ!」
振り向くと、服を着た美しいお姉さんが笑顔で立っていた。
「ささ、お水、飲んじゃって」
「あ、ありがとうございます」
俺は促されるまま、川の方へ歩いていく。
うわあー。すっげえ綺麗な水。
これ以上ないくらいの透明度。
ギターケースを下ろし、しゃがんで手のひらでお椀をつくり、水をすくう。
そしてそれを、ひとくち、口に運んだ。
「…ぷはあ!!おいしい!!」
透き通った水は、冷たくて、さわやかで、体に染み渡るようだった。
俺は、何度も何度も水をすくい、ゴクゴクと音を立てて川の水を堪能した。
「うふふふ、すごく喉が渇いてたのね!」
お姉さんはそんな俺の様子を笑顔で見守ってくれていた。
「…はー!!おいしかったー!生き返るようです!」
「それはよかったわ!うふふふ」
人心地ついた俺は、ギターケースを担ぎ、お姉さんの方へと向き直った。
さてと。
変な誤解もないようだし。ちょっと頭も冷静になってきた。
この目の前にいる美しいお姉さんは、この世界に来て、最初に遭遇した人物。
なんとなく、向こうも警戒していないようなので、この世界についていろいろ教えてもらおうかな。
「あ、あの!突然こんなこと聞いてすみませんが!」
「ん?どうしたの?」
「僕、名前は、………えーっと志熊、進っていいます。ここは、えーーっと、どこですか?」
「シグマくんっていうのね。はじめまして。私はこの森〈フォーレン〉の民のリィサっていいます。ここはどこって言われても、フォーレンの森としか言えないんだけど、シグマくんはどこから来たの?ひとり?」
おっと、どこから来たのときたか。うーむ。なんて答えるべきか。
ここはでも、変に嘘をついてボロが出ても嫌だし、ちょっと脚色して正直に言うしかないか。
あと、俺、志熊は苗字なんだけど。まあいいや、シグマってかっこいいし、このまま名前にしちゃえ。
「はい、ひとりです。えーっとですね。話せば長くなるのですが」
「うんうん」
「………えーっと、生まれ故郷の国から何か不思議な力で飛ばされてきたと言うか、なんと言うか。自分でもよくわからないんですけども、気がついたらここにいたと言うか」
「気がついたら、って、え? そうなの?」
「はい、なので、ここがどこか、なんという国なのかさえわからない状況で、ちょっと記憶も曖昧で……」
「ちょちょちょちょ、ちょっとまって。飛ばされてきたって。……転移魔法か何かかしら……ひょっとしてその影響で記憶も?」
「転移…魔法?……わかりません……」
はい、来ました。「魔法」という言葉、いただきました。
この世界、魔法があること確定。
「ちなみに、あなたの故郷はなんていう名前?」
「………えーっと、日本っていいます」
「ニッポン………ニッポン。聞いたことないわね」
そうでしょうねえ、ええ、そうでしょうよ。
「よっぽど遠い所なのかしら。でも、そうだとしたら、帰るの大変じゃない?」
「………はい。帰れるのかどうかさえ、怪しいです」
「しかもあなた、荷物はそれだけ?」
リィサさんは俺のギターケースを指して、驚きの表情を見せた。
「……はい。これだけです。しかも、これ、ただの趣味の道具です。それ以外のことはちょっと思い出せません」
「それは困ったわね………」
少し嘘を混ぜた。
リィサさんは、しばらく何か考え込んだ様子で黙っていたが、思い立ったようにこう言った。
「わかったわ。とにかく、行く当てがないなら一度うちの集落にいらっしゃい。うちの長に相談してみましょう。ひょっとしたら、ニッポン?という国のことも、長なら何か知ってるかもしれないし!」
さすがに、この世界の人が日本について知っているのは考えにくいが、行く当てのない俺にとっては渡りに船だ。
それに集落、人がたくさんいる所に連れていってもらえるのは、単純にうれしい。
「え!いいんですか?」
「ええ!それに、その髪………」
「髪??」
「あ、ううん!なんでもない!今からちょうど私も戻るところだったし。ついていらっしゃい」
「……ありがとうございます!」
リィサさんが最後に何か言いかけたのは気になったが、まあ気にしないことにしよう。
こうして俺は、フォーレンの森の民、リィサさんの集落にお邪魔することになったのだ。