伯爵家の憂鬱。
そんな、難民達にとっては千載一遇の、そして領民やニコールにとっては当たり前の出会いから数日後。
初夏の日差しに明るく照らされた、伯爵家の邸宅としては質素な部類だろうプランテッド伯爵邸で、ドタバタという足音が響いていた。
その音源はかなりお年を召した女性。肩で切りそろえた焦げ茶の髪には大分白いものが混じり、少々、いやそこそこ丸みを帯びてふっくらとした、肝っ玉かあさんだとか言われそうな体つき。
まさにその通り、怖い物なしとばかりにずんずんと廊下を突き進んで。
「旦那様! 何とかしてください、またニコールお嬢様が難民を何人も拾ってきて!」
激しい足音そのままの勢いで、ノックもそこそこにバーン! とプランテッド伯爵邸、その執務室のドアが開かれる。
その向こうに見えるのは、かなり年代物の執務机とそこで仕事をしていたらしい男性。
年の頃は三十後半か四十前後、貴族らしく長く伸ばした髪はキラキラと日の光を反射する金色で、その瞳は夏空を思わせる青の色。
整った顔立ちではあるのだが、年齢のせいか少々その顔は丸く、おまけに激務からか疲労の色が濃い。
そんな彼は、ゆっくりと顔を上げて。
「やあケイト。もしかして、難民と何人で韻を踏んでいるのかい?」
「そんなわけがないでしょう! 拾われた難民、これでもう何人、だとか流行の音楽みたいに言うわけないでしょチェケラッ!」
「いや、随分ノリノリに見えるけど?」
ある意味どころか割と本気で失礼な勢いでまくしたてる様子に、怒る様子もなく穏やかに笑って返すその人物こそ、ニコールの父であるジョウゼフ・フォン・プランテッド。プランテッド伯爵家の当主である。
この当たりの鷹揚さは、流石ニコールの父と言ってもいいかも知れない。
「ノリノリなのではなく、必死なんです!
恐れながらこのケイト・タニバレイ、先代様に拾っていただいてから二十余年、粉骨砕身、お家のためにと尽くしてきたつもりでございます!
だからこそ、言わないわけにはいかないとご理解ください!」
長台詞を噛むことなく流暢に言ってのけるケイト。それだけこの台詞を言い慣れている、という悲しい現実もあるのだが。
ケイト・タニバレイは、元々は男爵夫人である。
早くに夫を亡くしてからは男爵家当主代理としてなんとかタニバレイ男爵家を切り盛りし、息子が成人・婚姻すれば息子夫婦に家督を譲って男爵家を離れたのだが、決して裕福ではなかった男爵家ゆえに老後を過ごす蓄えもろくに無く、さりとて若いながらも必死になんとかしようとしている息子夫婦に頼るわけにもいかず。
どうしたものかと困っていたところを、縁あって拾い上げてくれたのが先代プランテッド伯爵だった。
以来、メイド長としてこの邸宅を取り仕切っている彼女は、先代の息子である現当主に対して物申せる数少ない人物でもある。
その彼女の問い詰めに、しかしジョウゼフは穏やかな笑みのままだ。
「なるほど、言わないわけにはいかないと。さらっとケイトを分割して入れ込んでいるんだね」
「違いますよ!? まったくもって偶然、本当にたまたまです!」
思わぬ返しに、ぎゃぁとばかりにケイトは噛みつくような勢いで言い返す。
これが許されるのもまた、プランテッド家らしいと言えばらしいのだろう。
実際、ケイトの振る舞いを咎めるでもなく、ジョウゼフはうんうんと頷いて見せ。
「たまたまでそれなら、よほどケイトは言葉のリズム感があるのかもねぇ」
「今それは、褒め言葉になりませんからね!?」
おっとりとした口調で言えば、ケイトは顔を真っ赤にして言い返した。
それが怒りからなのか照れからなのかは、彼女にしかわからないが。
ともあれ、彼女のご注進にも一理ある。確かにジョウゼフも困ってはいるのだから。
「まあ、それはともかくとして。私も確かに困っているんだよね」
「そうでしょうそうでしょう!」
我が意を得たり、とばかりに追従するケイト。
だがしかし。
「何しろニコールが拾ってきた人達は皆、軒並み有能でねぇ。見合う給与を捻出するのが大変なんだよ」
「はい? なんですって?」
思わぬ言葉に、シパシパシパと瞬きをしながらケイトは聞き返した。
そんな不躾ともいえる態度にもやはりジョウゼフは気を悪くした様子もなく、当たり前のように答えていく。
「いやほら、例えばこないだ洗濯係のメイドとして入ってきた彼女」
「ああ、もの凄く力が強くて、三人分の仕事を軽々とやってくれてますね」
「それから、託児室係になった若い子」
「初日から子供達が懐いて、むしろ懐きすぎて身動き取れないくらい纏わり付かれてましたね。あんなの初めて見ました」
ジョウゼフの言葉に、ケイトは律儀に答えていく。
ちなみに、託児所係になった若い子とは、特技がないと落ち込んでいた少女である。
その穏やかで優しい雰囲気と、何より他の使用人達よりも歳が近いお姉ちゃんということもあって、彼女はすぐに子供達に受け入れられたらしいのだ。
プランテッド家は雇用条件がとても良く、結婚出産した後も働き続けたいと希望するメイドが後を絶たない。
そのため、幼い子供を抱えながらでも働けるようにと設置されたのが、従業員用の託児所だった。
まあ、そんな風に福利厚生を充実させているから、プランテッド家はどうにも貧乏なのだが。
そのことを、当主も夫人もニコールも気にしていないのだから、恐らく当分は改まることがないのだろう。
「だろう? そんな働きに見合う給与ってなると、二人分でも申し訳無いしさ。ほんとは三人分出したいくらいなんだけど」
「いやいや、いやいやいや……いえ、気持ちは、わかりますけども」
否定の言葉を探すも、ケイトは渋々同意する。
何しろ彼女こそが、その働きぶりを買われて王都のメイドでも滅多にもらえない高給を与えられている身なのだ。
男爵夫人として充分な教養と経験がある彼女は、例えば公爵家の侍女頭になってもおかしくない程。
そんな彼女がプランテッド家で格が落ちるメイド長をやっているのは、もちろん恩義が一番大きいのだが、侍女頭と比べても遜色ない待遇を受けているから、というのもあったりする。
だから、彼女としても強くは言えない。
「後、あれだ、ルーカスのところに行ったお針子の子達。あのルーカスが、一ヶ月でものにするって言ったんだよね」
「え、ルーカスさんが? あの完璧主義者で妥協なんて欠片も許さない、要求するクオリティが高すぎた結果公爵様にまでご満足いただけたルーカスさんが?」
「うん、そのルーカスが。流石ニコール、我が娘ながら良い目をしてるよねぇ」
また目をパシパシとしばたたかせながら愕然としているケイトへと、ジョウゼフはニコニコとご満悦な顔で頷いて見せる。
元々ルーカスを見出したのはニコールであり、彼女の衣装関係の見る目は確かだ。
そのニコールが自信を持って紹介したのだ、間違いなどそうそうないし、実際そうだった。
「あの、たった一ヶ月で使いものになるお針子が三人も? ということは生産力がまた上がって?」
「うん、また受注可能数が上がって、王都からの注文が増えるかもねぇ。そしたら関税だとかでまた収入が上がるだろうし社交界でも立ち回りが良くなるだろうから、その分をルーカスやお針子に還元しないとかな」
困った困った、と言いながら、ジョウゼフの顔は全く困っていない。
ただまあ、疲労の色はどうにも色濃いのだが、それはこうして仕事が増えるから、であることもまた間違いなかった。
「でも一番は、リーダー格のカシムくんだねぇ。彼、元いた村で村長の補佐をしてたらしくてさ。
書類も読んでて数字にも触れてたおかげか、細々教わりながらだけど仕様書が読めて計算もしっかりできるから、もうすでに現場のまとめ役になっちゃってるみたいでねぇ。
ダイクン親方も、いずれは現場監督を彼に押しつけたい、もとい、譲りたいなんて言い出しちゃったよ」
「ああ、親方は生来の職人気質で、現場で作業だけしてたい、ってずっと言ってましたものねぇ……。
って、いやいや、いやいやいや。ということは」
「うん、彼こそ、三人分の給与を出さないとだろうねぇ。今はともかく、ほんとに現場監督とかになったら。
だから困ってるし、今後もニコールが連れてきた人材のために困るだろうことはわかってるんだけどね。
わかってるんだけと止められないんだよ、このプランテッド領を預かるものとして」
穏やかに。しかしどこか力強さも滲ませながらジョウゼフは笑う。
領地を栄えさせるのが貴族の役目とするならば、ニコールのやらかしていることは、益になりこそすれども、損にはならない。迷惑はかけられているが。
だがその迷惑もまた領主の仕事の範疇であるし、その分の見返りも充分に出ている。
そして、とても残念なことに、ケイトにはそのことが理解できてしまう頭があった。
ジョウゼフの説明を全て聞いて、ケイトは呆然と立ち尽くし。
「ガ……」
「が?」
ぽつりと、小さな声が漏れて。聞き取れなかったジョウゼフが、不思議そうに聞き返す。
だが、珍しくケイトは即座に返事をせず。いや、あるいは返事が出来ず。
数秒間、ためにためて。
「ガチョ~~~ン!!」
処理仕切れなかった感情をまるっと込めて、意味を成さない叫びを上げたのだった。