筋書きなんぞどこ吹く風で。
プランテッド領で、ラフウェル公爵が安堵していたその頃。
「まあまあ、こんなに豪快なローストをいただけるなんて!」
ニコールは、冬晴れの空の下、シャボデー辺境伯領名物を堪能していた。
ちなみに、彼女の目の前に設置された特設テーブルの上に鎮座するのは、こんがりと焼かれた豚の丸焼きである。
現代日本人感覚の残っているサーシャなどは目を丸くして驚いているが、その主であるニコールは満面の笑顔を見せていた。
「ありがとうございます、シャボデー様。厚かましくもご相伴に預かりました上に、このような素晴らしいお料理をいただけるなど、望外の喜びでございます!」
「はっはっは、そんなに喜んでもらえるのならば、ワシも招いた甲斐があるというものだよ!」
装飾の少ない旅行用ワンピースを身に纏ったニコールの隣に座るのは、この辺り一帯を治めるシャボデー辺境伯その人。
ニコールよりも頭二つは高いであろう長身、軍人らしくよく鍛えられた厚みのある肉体、左頬には傷痕、とかなり威圧感のある風体なのだが、ニコールはまったく気にした様子もなくニコニコと応じている。
そしてそれは、この辺境伯邸中庭に集った人々……かつての水害で住んでいた土地を追われた村人達も同様だった。
「話を聞いた時はマジかよと思ったんだが、ほんと気さくなお方なんだなぁ……」
その輪の中で、かつてその村に住んでいたカシムが零す。
家族をこの辺境伯領で預かってもらい、数人のグループでプランテッド領にやってきた彼は、その生活が安定するに従って申し訳なさも募っていた。
何しろ彼らの家族はいわば難民としてシャボデー辺境伯が預かってくれていたのだ、どんな扱いを受けていても文句は言えない。
命があるだけまし、と覚悟していたのだが……実際に再会してみれば、それが杞憂だったことに驚いたものだ。
流石に肥え太りはしていなかったものの、十分な食事を与えられていたのだろうとわかる顔色の良さ。
着ているものは、質素ながらもそこらを歩く平民達と比べても見劣りしない普通の、本当に普通のもの。少なくとも、難民に与えられることなど考えもしない質のものだろう。
それだけでも大概だが、ニコールのはからいにより、なんとカシムはプランテッド領で働く面々の代表としてシャボデー辺境伯に直接お礼を言う機会まで得ることが出来たのだから、驚きのあまり腰を抜かしそうになったのも仕方あるまい。
「こんなに手厚く遇していただき、辺境伯様には本当にお礼の申し上げようもなく……」
と、ガチガチになりながらお礼を言えば、実に人好きのする笑顔でシャボデー辺境伯は答えてくれたものだ。
「なぁに、ある時から何故か定期的に寄付が寄せられ、衣服が送られてきたものだから、ワシの懐はほとんどいたんでおらんのだよ。さて、一体どんな物好きが寄付を送ってきたのやら」
それを聞いて、カシムは泣いた。それはもう、人目も憚らず泣いた。
そんな真似をしそうな人間など、カシムは一人しか知らない。
もっともその人物は、まったく素知らぬ顔で「あらあらカシムったら、いきなり泣き出してどうしたの?」などと声を掛けてきているのだが。
だからこそ一層泣けて、しばらく話にならなかった、という一幕もありつつ。
今はこうして辺境伯主宰のガーデンパーティにて、カシムやプランテッド組とその家族達ももてなされている、という状況だった。
それはそれでまた困惑する事態ではあるのだが……ニコールと歓談している辺境伯の顔を見れば、なるほどそういうお人なのかと納得もしてしまう。
「これは、恩返しのためにもますます気合入れて働かねぇとな」
村人達と互いに言い合いながら、肉を食べ、あるいは酒を飲む。
働くためには力を蓄えねばならない。だから今こうして飲み食いするのだ。
それに、シャボデー辺境伯はこうして民に振る舞うことが好きな性格だというのだから、遠慮して食べないのはかえって失礼にあたるだろう。
世話になっていた村人やニコールからそう説明され、カシム達はシャボデー辺境伯への感謝を口々に言いながら、英気を養うべく舌鼓を打ったのだった。
「カシムさん達は良かった良かった、でいいんですけど、私までご馳走になっていいんですかね~」
そんなカシム達の様子を見ながらぼやくように言うのは、ニコールの侍女として側にいるサーシャだった。
ここが晩餐会などであれば会場の近くにある控え室で、侍女や侍従向けの食事を頂いているところ。
しかし平民達も入り交じっての食事会であればそんなわけにはいかず、むしろ主賓の一人として辺境伯の近くに席を用意されている始末である。
「まあまあサーシャさん、そもそも今回の訪問はあなたの発案がなければ実現しなかったんですから、いわばあなたが立役者、むしろ一番中央で遇されてもいいくらいですよ?」
「どう考えてもそんなことないですよね!? 私なんて末席も末席でないとむしろ落ち着かないというか!」
「あらあら、だからそんなに食事が進んでないのですねぇ」
主であるニコールに言われて思わずいつもの口調で言い返してしまうサーシャ。
最初こそシャボデー辺境伯の目を気にして控えていたのだが、いつもの調子でしゃべるニコールに思わずツッコミを入れてしまったのが運の尽き、シャボデー辺境伯がその様子に大笑いして『是非そのままで!』などと言うものだから、なし崩しにそのままの調子でしゃべっている。
もちろんこれが普通の貴族相手であれば、こんな真似は許されないところだが。
そして、サーシャはまだどちらかといえば普通の貴族寄りな感覚なので、恐縮しきりなのである。
ただ、それだけでもなく。
「その上、例の知らせですものね。サーシャさんの心労もお察しいたします」
「うう、ベルさん……あ、ありがとうございます……って、追加はしてくるんですね……」
主にニコールの世話を焼いていたベルが、サーシャの空いた皿へと肉を盛る。
といっても、主のそれに比べれば随分と控えめ……一般的な貴族令嬢に取り分けられる程度の量ではあるのだが。
サーシャの心労の原因、それは言うまでもなく王太子妃選抜のお触れ。
それが始まることを予見していた……というか前世知識から知っていたサーシャが、シャボデー辺境伯領へ旅行がてらお礼と引き取りに行こうと提案していたのだった。
もちろん、ただ旅行に行こうというだけでは……ニコールは即頷いたかも知れないが、ジョウゼフをはじめとするプランテッド家の面々から許諾が下りるかは微妙なところ。
そのため、サーシャは彼女が『お告げ』として扱っている前世知識をある程度開示して説得、王太子妃選抜のお触れが来るのを回避する形で今回の旅行が実現したのだった。
「伝書鳩の知らせには驚きましたわねぇ、本当に王太子妃選抜が行われるだなんて」
「そうだなぁ、ワシもそんな話は初めて聞く。そんな場に放り込まれることになったらニコール嬢ちゃんはともかく、サーシャ嬢には心底同情するところだが」
「あらシャボデー様、わたくしはともかく、とはどういう意味ですの?」
「いやいや、お前さんなら屁でもないだろうと思ってなぁ」
ニコールが追求すれば、シャボデー辺境伯はわははと笑って流す。
ちなみに、シャボデー伯爵には『お告げ』のことは言っておらず、あくまでもサーシャが気に病んでいるのは王太子妃選抜に関するプレッシャーということで説明しているし、間違いではない。正確でもないが。
彼女が心配しているのは、今後の展開だ。
覚えている小説の内容に比べて随分と違った、ニコールやその周辺状況。
それでいて辻褄合わせのようにプランテッド家は侯爵家となり、小説の開幕と同じタイミングで王太子選抜のイベントも発生してしまった。
もしも参加してしまえば、小説の通りになってしまう可能性もないとは言えない。
例え、ニコールがこれっぽっちも王太子妃の地位を望んでいなくとも。
だから、参加を逃れる口実を得るために、この旅行を発案したのだ。
「とんでもない、窮屈だとは思っておりますもの。ですから、たまたま不在で幸いでしたわ。
わざわざラフウェル公爵様がいらして私の不在と不参加の意思を確認したそうですし、これでわたくしの参加は回避出来ました。
後は伸び伸びとこちらでしかいただけないお料理をいただくだけですわね!」
そう言い切って快活に笑うニコールに、シャボデー辺境伯は若干だけ困ったような顔になる。
ニコール・フォン・プランテッド、十八歳。
普通の貴族令嬢であれば血眼になって良縁を求める年頃だというのに、彼女はまだまだ色気よりも食い気なのであった。




