悪辣伯爵の性根。
「ふん、心にも無いことを。わざと気配を滲ませたのだろう?
でなければ、こんなところまで来ることなど出来ないはずだ」
姿を現したワンへと、ベイルード伯爵は唇を歪めて見せる。
何しろここは彼が住む館でもあり、当然警備はこの街でも一番の厳重さ。
更に彼の執務室近辺となれば、その中でも特に腕利きが守っている場所である。
だというのに、涼しい顔でこの男はやってきたのだ、誰にも気付かれることなく。
であれば、さして武に通じているわけでもないベイルード伯爵が察知出来るわけがないのだ、本気で気配を消していれば。
「あいやー、流石にバレバレね、これはまいったよ」
全く困った様子もなくいうワンの様子に、ふん、とベイルード伯爵は小さく鼻を鳴らす。
ここまで来れた、ということは、必ずしもここから戻れるということを意味しない。
だが、目の前の男にとっては同じ事。
散歩のような気軽さでここまで来て、ここから帰ることが出来るのだろう。
改めて、暗闘劇に走らなかった己の判断が正しかったのだと思う。
同時に、そちらでは勝負にもならなかったのだ、とも。
「で、わざわざ姿を現してまで、今更何の用だ?
勝負が付いた今、探るものなど最早ありはしないだろうに」
やや芝居がかった仕草で両手を広げ肩を竦めるベイルード伯爵。
多少身構えたところで、この男相手には抵抗することすらできまい。
となれば、せめて余裕をもって相対するくらいの意地を張っても罰は当たるまい。
そんなベイルード伯爵の内心を知ってか知らずか、ワンはいつもの微笑みを崩さない。
「確かに調べ物のお仕事はおしまいよ。でもね、どーしてもワンさん、気になることがあてね?」
「まさか、それを馬鹿正直に真正面から聞きに来た、などとは言うまいな?」
「そのまさかよ、こそこそ探るだけじゃどーしても調べられなくてね」
あっけらかんとした返事に、ベイルード伯爵は眉をしかめる。
舐められている、とは違う感覚。
気になるというだけで、当たり前のようにここまで来ることが出来る。
あまりに差がありすぎて、見下すだとか舐めるだとかの次元にないのだと理解すれば、胸に去来するのは……意外なことに恐怖でも怒りでもなく、笑いにも似た開き直りだった。
「はっ、貴様ほどの腕があって調べられないものがあったとはな、存外うちの連中も大したものだったらしい」
「いやいや、こればっかりは仕方ないね、なんせしまってある場所が場所だからね」
「その口ぶりだと、まるで置いてある場所はわかっているかのようだが? なのに、わからんと?」
揶揄うような口調で軽く挑発してみるも、この程度で揺らぐような様子は、もちろん無い。
そうなってくると今度は、一体何を探しているのかと少しばかり好奇心が刺激されてしまう。
そんな彼の心の動きを見透かしたかのように、ワンは少しばかり口角を上げながら、ぴっとベイルード伯爵を指さした。
「もちろんわかてるよ。そこにあるね」
言いながらワンが示したのは、ベイルード伯爵の胸。
はて、内ポケットに入れているもので彼の興味を引くようなものがあっただろうか。
場違いにもそんな暢気なことを考え、ついで苦笑する。
無ければ無いで全く問題がない、むしろ無い方がいいくらいであるというのに。
何故だか、続きが気になった。
「ほう、ここに、一体何が?」
とん、と少々わざとらしく指で己の胸を突いて見せれば、ワンが口を開いた。
「あんたの動機ね」
「動機?」
思わぬ言葉に、彼らしくもなくオウム返しに聞き返してしまう。
そんなベイルード伯爵へと、ワンはうん、と一つ頷いて返す。
「そう、動機よ。あれだけ頭が回ってたあんたが、策が外れて敗色濃厚になったところで随分と強引な手に出たよ。
確かにあれは強烈だたけど、自分とこへの副作用も強い劇薬ね」
「おかげで、見事に回避された結果、自分で自分にとどめを刺した形になったしな」
「あんたのことよ、その可能性はわかてたはず。この勝負が終わった後、自領への悪影響も残るだろう結果になたね。普段のあんたなら、そんな手は絶対避けるはずよ。
そんな手を打つ程必死になってパシフィカ領を手に入れようとした動機が知りたいね」
苦笑しながら茶化してみるも、その程度では誤魔化されてくれないらしい。
さて、どうしたものか。
もちろん、語る理由も義理もありはしないのだが。
「何、簡単なことだ。この街が欲しかった。ただ、それだけのことさ」
何故だか、語ってしまった。
あるいは負けたからこその開き直り。もしくは諦め。
いずれにせよ、ベイルード伯爵の纏った鎧にヒビが入り、割れ目が出来たからこそのことだ。
「この街が、特別な街ね?」
「ああ。ある意味良くある話、私が語るには随分とらしくない話だがね。
少し昔の話になるが、この街は、そしてこの辺りは、かつてベイルード領だった。
それが政争に敗れ、領土を割譲する羽目になったのが三代前の話。祖母がまだ幼い頃だったそうだ。
寝物語によく語られたものさ、この街の美しさや思い出を。
三つ子の魂なんとやら、どうやら私の中にも刻み込まれてしまっていたらしい」
ベランダの手すりに手をつきながら、目を細める。
かつての街の繁栄を見通すかのように。
「もちろんこの昇爵レースに参加した理由は、利益だ権力だといったものが一番だ。
だが……らしくない足掻きを見せたのは、きっとそれなんだろうな」
勝ちの目が薄くなれば引き際を、そして落とし所を探るのが普段の彼だというのに、今回ばかりは。
まるで理に適うところなど欠片もないというのに。
「つまらん感傷と笑うかね?」
「まさか。ご先祖やおばあちゃん大事にする、当たり前のことね」
自嘲するかのように唇を曲げるベイルード伯爵へと、ワンは首を振って見せる。
ベイルードの隣に並び、街へと視線を向けて。
「ただ。……今のこの街の綺麗さは、おばあちゃんの言ってた美しさとは違う気がするね」
「……かもな」
裕福な人間が多く、繁栄しているはずの大都市。
あちこちに灯る明かりの数は並みの街よりも遙かに多く、不夜城のごとき様相を見せている。
だというのに、どうにも物足りない。
「この街は整いすぎてるよ。夜だからみんな寝てるのか、誰も歩いてないね。
酔って歌う人もいなければ、馬鹿笑いしてる人もいない。それだと街の元気なくなるよ」
「整いすぎている、か。……醜いもの、汚らわしいものを全て排除する、それが美しさだと思っていたんだが、な」
「それは靴底のない靴みたいなものよ。上辺だけね」
「なるほど、そんな靴を履いて足裏を血塗れにしたのが今の私、か。否定出来んのが笑えるな」
はは、と乾いた笑いが漏れる。
滑稽だ。
自身の理想のためにと打った手が、巡り巡って自身を縛る縄となった。
笑い事ではないのに、笑えてしまう。
ベイルード伯爵はそんな自分が不思議であり……同時に、愉快でもあった。




