表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

72/80

待てば海路の日和あり。

 アドマウント伯爵領を経由する海路の効果は絶大だった。


「わかってはいたが、改めて数字にすると大したものだよねぇ」

「はい、陸路に比べて一度に運べる量も多く、日数も短くて済みますから、大幅なコスト削減になっています」

「おまけに距離が遠ければ遠い程効果が高くなるから、利幅も大きくなる、と」


 ジョウゼフはエイミーから渡された資料に目を通して、ふぅ、と息を吐く。

 海路を活用する効果は理解していたし予想もしていたが、その予想を大きく超える利益が生み出されようとしている。

 そのことに浮かれるのではなく、慎重に事を進めねばと己を戒めるあたりが、ジョウゼフのジョウゼフたる所以なのかも知れない。

 

「ただ、各現場に都度都度別々に物資を運ぶと、船の便数が増えて勿体ないので……王都より西の地域にいくつか物資を集積する拠点を作るのはどうかと考えています。

 こちらがその候補地と、運用する場合の必要人数とその人件費、倉庫の建築費用に地代や税など予想されるコスト、利益をまとめた資料になります」

「流石の目の付け所だね、エイミーくん。……資料の方もわかりやすし、この数字ならば拠点をいくつか作った方が良さそうだと一目瞭然だ」

「お褒めに預かり、恐縮です」


 ジョウゼフが手放しで褒めれば、エイミーは嬉しそうに笑いながら頭を下げる。

 こういった発想や手回しの良さは、かつて務めていた商会での経験によるところが大きいのだろう。

 プランテッド家古参メンバーでは中々気づけないところではあるし、すっかり自信を身に付けたエイミーは物怖じせずにこういった提案をしてくるので、ジョウゼフとしてはかなり助かっている。

 もっとも、その自信を植え付け育てたのは、ニコールを始めとするプランテッド家の面々なのだが。


 その一人であるジョウゼフではあるが、もちろんそれはエイミーの案を無批判で実行するということでもない。


「ただ、集積拠点の立ち上げには時間がかかるから、その間の物資運搬計画は綿密に行わないといけないところだね」

「あ、はい。そちらについては現在修正中でして」

「状況が随分と変わったからね。面倒をかけるけれど、よろしく頼むよ、エイミーくん」

「はいっ、お任せください!」


 ジョウゼフの言葉に、エイミーは元気よく答える。

 その顔は、こういった仕事を任される責任感と喜びに輝いていた。


「それにしても、これなら……遠い場所ほど利率が上がるから、ダイクン親方やカシムくんを派遣出来ないような遠隔地は人足を余計に雇って人手を増やしても十分利益が出せそうじゃないかい?」

「あ、なるほど、質より量と言うと人足の方達に失礼かも知れませんが、旧パシフィカ組の現場監督でも同程度の速度で工事を進行出来るようになりそうです」


 旧パシフィカ組の人足達は仕事ぶりは丁寧だが手が遅い。

 現場監督達にも似た傾向があり、ダイクンやカシムが受け持つ現場に比べるとどうしても遅れる傾向があった。

 ならば人を増やせば、という単純な解決方法が、今まではコストの関係で出来なかったのだが、これで出来るようになるかも知れない。


「現地で雇う人足との相性もあるけど、一度試してみるのはありだと思うんだよね」

「ええ、ありだと思います。……ただ、人数が多いとそれだけで纏まりが悪くなってしまうのがネックかとは」


 ジョウゼフの意見に同意を示しつつも、考えついた問題点を上げるエイミー。

 これが狭量な貴族であれば不機嫌になったり中には激高する者もいるだろうが、ジョウゼフはむしろ意見が嬉しいとばかりの顔で鷹揚に頷いて見せる。

 

「そうだね、そこは確かに問題だが……何とかなりそうなんだ。ほら、例のケイト達が鍛えてる連中。

 彼らが、そろそろ使い物になりそうだと連絡があってね」

「なるほど、では監査という形で現場の空気の引き締めが出来るようになって、であれば人足の数で押し切るのもいけそうですね!」

「ああ、後は人足が集まるか、だが……こればかりは現地でやってみないとわからないから、やるしかないね」

「では、知り合いの口入れ屋などにも話を回しておきますね」


 と、早速動き出しながら、エイミーは内心で思う。

 恐らく、十分過ぎる程に集まるだろう、と。

 何しろプランテッド家が提示する条件は、良い。飛び抜けて、と言って良い程に。

 これは労働者の立場で見ることが出来るエイミーには強い実感としてあり、恐らく他地域の人足にとっても同様だろうと思っている。

 

 そして実際その通りで、集まりすぎて困るレベルになるのは、ちょっと後の話だ。




 こうしてアドマウント領の港が使いやすくなった結果、恩恵を受けたのはプランテッド家だけではなかった。


「さあさあ寄ってらっしゃい見てらっしゃい。こっちじゃ滅多にお目にかかれない、西から渡ってきた珍しい果物だよ!」


 旧パシフィカ領東部のある街にて、商人がそんな呼びかけをしている。

 見れば、確かにこの辺りでは見かけない大きめの柑橘類。

 瑞々しい輝きを放つそれはいかにも美味しそうで、しかも思ったよりは手頃。

 ちょっと余裕のある珍しもの好きな平民であっても手が出る程度とあって、中々の売れ行きを見せていた。


 始まりは、資材を運んだ船の帰りに西の農産物を乗せたこと。

 陸路よりも早く、ラスカルテ領経由で旧パシフィカ領東部まで運ぶと、意外と売れることがわかった。

 そうなると今度は、様々な地域から集まった品がアドマウント領の港から様々な地方へと運ばれるようになっていく。

 それは、単に通行税が安いというだけではない。その方が利幅が大きな商売になりやすいのだ。


 何しろまだまだ陸路は馬車の時代だ、クリィヌック王国の西の端から東の端まで移動するなど時間が掛かって仕方が無い。

 だから西にあるものは東で珍しく、東にあるものもまた同様。

 当然高く売れるのだが、同時に輸送費も跳ね上がる。


 しかし『船乗り病』を克服したアドマウント伯爵領の船であれば、西の端から東の端まで無寄港で運ぶことすら可能。

 そうなると速く安く運べるため、コストや日持ちのせいで扱うことが出来なかった商品に高い付加価値を付けて扱うことが出来るようになってきた。

 目端の利く商人達が、こんなチャンスを見逃すわけもなく……アドマウント伯爵領は、そしてラスカルテ子爵領は、今までにない活況となっていく。





 その煽りを受けたのは当然旧パシフィカ領西部である。


「く……減税程度では最早戻らんか……」


 ランプの明かりに照らされた物流に関する資料を見ながら、ベイルード伯爵は大きく息を吐き出す。

 流通が悪くなったこと、そしてその原因に気付いてベイルード伯爵はすぐに通行税を大きく引き下げたのだが、一度逃した物流は戻ってこなかった。


 何しろ、急に限界まで上げたと思えば、いきなりの大幅減税。

 税収を上げなければいけない事態が特にあったわけでも無かったのに唐突に増税したのだと、聡い商人であればあるほどわかってしまう。

 そしてそんな彼らが、『ということはまた根拠もなしに通行税を上げられる可能性がある』という考えに至るのもある意味必然であり……出来る限り西部を通らない商流を構築するのもまた必然であった。


「利益が薄いとなれば見切りも早い。義理だ何だで動かないのはお互い様、先に足下を見たのはこちらとなれば、恨み言の一つも浮かばんな。

 むしろ益も損も己次第と割り切ってる分、付き合いやすいかも知れん」


 そう零しながら、執務机の片隅に詰まれた手紙類を見る。

 それは、彼に同調して通行税を上げた貴族達からの恨み節が詰まった抗議文、あるいはそれに近い手紙の数々だった。


 物流の変化はベイルード伯爵の治める旧パシフィカ領西部だけに留まらず、彼に同調して通行税を上げた周辺の貴族にも及んでいる。

 男爵、子爵といった面々は上位であるベイルード伯爵に表立っての抗議などはしてこないが、根に持たないわけがない。

 同格の伯爵などは公然と非難してくる者もおり、流石のベイルード伯爵も今回ばかりは言い返すことなど出来はしない。

 もちろんベイルード伯爵の誘いに乗って決断したのは彼らであり、物流危機に陥ったのは彼ら自身の責任なのだが……この状況でそれを指摘して火に油を注ぎかねないような真似は、流石の彼も出来なかった。


「詰み、だな」


 打った手はことごとく返され、むしろプランテッド家の利へと変換されている。

 これ以上の手は明確な妨害行為と認定されるだろうし、資金的な余裕もあまりない。

 まして、最終手段とも言える暗殺など企めば、ベイルード領も彼自身の命もないだろう。


「そもそも成功するとも思えんし、な」


 力無く首を振ったベイルード伯爵は、表情の抜け落ちた顔で立ち上がると、ベランダへと出た。

 

 月に照らされながら眼下に広がるのは、あちこちに街灯が灯り端整な街並み。

 元からの市街地に彼が手を入れて整えていったその光景は、計算し尽くされた美しさがあった。

 

「取り戻せると思った。あと少しだった。しかし、それも最早、か……」


 呟きながらベランダの手すりに手を置けば、思わずぎゅっとそれを握りしめる。

 手に入れる好機であったにも関わらず、その手をすり抜けていくのを繋ぎ止めようとするかのように。

 そんなことをしても、最早どうにも成らぬとわかっていても。


 そうしてしばらく街並みを見つめていたベイルード伯爵は、不意に視線を横に向けた。


「……盗み聞きとは感心しないな」


 誰も居ない空間に向かって声を掛ける。

 いや、誰もいないはずだった。


「あいやー、気付かれるとは驚いたね」


 気の抜けた声とともに、すとん、と人影が一つベランダに降り立つ。

 それは、へらりと気の抜けた顔で笑うワンだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ