無責任は荒波を越えて。
ニコールが発した、『サーシャのお手柄』という言葉の真意を探るべく、彼女らは熱帯雨林の奥地へと向かった。
ではなく、ニコールに言われるままサーシャはニコールに連れられて南方へと向かった。
「あれ、こっちって……」
サーシャの実家が治めるラスカルテ領を過ぎて、更に南へと。
ここまで来ると、地元民であるサーシャはどこに向かっているかがわかった。
馬車で二日ほどの距離を移動すれば、鼻をくすぐってくる潮風。
そこは港湾都市を抱える、アドマウント伯爵領。
からっと晴れ渡る空、明るい日差しの似合うその地は、先日ニコールがバカンスに訪れた場所だった。
「ええ、お察しの通り、アドマウント伯爵領ですわ。先日訪れた際に、アドマウント伯爵様とお近づきになれまして」
「さ、流石ニコール様、バカンスでも人脈を広げてこられるとは……」
「おほほ、皆さんが働いていらっしゃるのに、私一人遊びほうけているだけというのも申し訳ございませんからね」
感心したようなサーシャの声と視線を、ニコールは笑って受け止める。
実際の所は遊ぶ気満々だったことを知っているベルは、若干目を細めたジト目で見ていたりするのだが、ニコールはスルー。
その空気に、『あ、これ偶然なやつだ』とサーシャも気付くが、それを口にしない程度の分別が彼女にはあった。
「と、ということは、ニコール様のいい考えって、船で運ぶってことですね!?」
「はい、その通りです、サーシャさん!」
殊更に大きな声で、若干強引に話題を変えれば、それこそ渡りに船とばかりにニコールはその話題に乗ってきた。
やはりちょっと後ろめたかったのかなと思いつつも、やはりサーシャは触れること無く。
それはともかく。先日ニコールが利用したようにアドマウント領が抱える海は避暑地としても有名だが、貨物運搬の港湾としてもかなり利用されている。
そこに目を付け、ニコールはバカンスついでに色々と下交渉をしていた、というわけだ。
「船だったら重い物を大量に運ぶのも得意ですし、こっちだったらうちの領地経由だから、通行税も抑えられると良いことずくめじゃないですか!
あ~、なんで考えつかなかったかなぁ」
「おまけにアドマウント領の通行税も、船による運搬費用もかなり抑えていただけるとお約束いただいております!」
「そうなんですか!? それだったら、今までよりも安く運べるとこすら出てきそうですね!」
ニコールの言葉に、サーシャもつられて喜びの声を上げて。
それから、小首を傾げた。
「あれ? どうしてそんな好条件を獲得できたんです? 確かに土木事業の資材だとかの領を考えるとアドマウント領にとってもいい取引でしょうけど、それにしても破格すぎません?」
むしろ、プランテッド家の現状を考えれば足下を見られてもおかしくない。
加えて、アドマウント伯爵家とプランテッド家は特に親しいと聞いたこともないのだから、謎は深まるばかりである。
どうにも理解が出来ず怪訝な顔をしているサーシャへと、ニコールはにんまりと笑って見せた。
「まさにそこです! そこが、サーシャさんのお手柄だったのです!」
「そこなんですか!? いや、でもほんとあたし、一体何のことやら……」
何のことやらわからないからこそ、解明のためにここまで来たのだが、ニコールはもったいぶって中々教えてくれずにいる。
少々やきもきしつつも、こうして海の見える街に来たことで少々心が浮かれていたりもした。
何しろこちらの世界に生まれ変わってからというもの忙しく、隣の領に海があるというのに、まだ一度も来たことがなかったのだから。
そんなサーシャの顔を見て、ニコールは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「ふふ、もう少しでお教えいたしますよ。
まあその前に、領主であるアドマウント伯爵様にお会いしていただくことになりますけど」
「……はい? そんな大事なんですか!?」
もう少しで解明するというのに、サーシャの困惑は深まる一方。
そんな彼女を、馬車は運んでいく。
領都でもある港湾都市に入った馬車を、あまりこの辺りに来たことがないはずのマシューが巧みに操って、かなりの人通りだというのに引っかかることがない。
「うわぁ……すごい活気ですねぇ。それに、船乗りが多いのかゴツい人が目立つような」
「そうですわね、この辺りは特に、港湾労働者の方や船乗りの方が多いと聞きます」
「……なんでそんなに街の事情に詳しくなってるんですかねぇ……」
バカンスで一度来たきり、数日しか滞在していないはずのニコールが訳知り顔で語るのを、サーシャは胡乱な物を見るような目で見ている。
これだけ馴染んでしまっているのもニコールだから、で説明出来てしまいそうなものだが、出来てしまうのが理不尽だ。
そうは思うが、それで助かった場面も多いだろうし、これからもきっと多いのだろう。
思考をどこかへと飛ばしている間に、馬車はアドマウント伯爵家の邸宅に到着。
離れへと案内され、そこでサーシャとニコールは旅装から伯爵に面会しても失礼のないドレスへと着替える。
ちなみに、いつの間にやらサーシャのドレスも新調されていたのだが、これは主にお抱え仕立て屋ルーカスのせいだ。
「うわぁ……採寸して仮縫い一回しただけなのに、ぴったりなんですけど。ルーカスさんってほんと凄い仕立て屋さんなんですねぇ……」
鏡の前で感嘆の声を上げるサーシャが着ているのは、夏空色のサマードレス。
ワンピースに近いシルエットで装飾は抑えめながら地味ではなく、上品な仕上がりになっている。
「ええ、我がプランテッド領自慢の仕立て屋ですからね!」
「あ~……そういえば前の夜会でニコール様が着てたドレス、素敵でしたもんねぇ……」
「ふふ、ありがとうございます。そうおっしゃるサーシャさんも、とてもよくお似合いで、素敵ですよ!」
「あ、あはは、ありがとうございます……」
などとサーシャを照れさせているニコールが着ているのは同系統のドレス、色は若草色。
これは、二人の関係、ひいてはプランテッド家とラスカルテ家の関係が良好であることを暗に示すためのものでもある。
何故そうしたかと言えば……それは、伯爵に会った瞬間によくわかった。
「おお~! 君がラスカルテ嬢だね、会えてうれしいよ!」
突然の、イケオジによる熱烈な歓迎。
どうやらニコールの言う通り、サーシャの知らない間にお手柄を立てていたらしい。
『あたし何かやっちゃいましたか!?』と内心で悲鳴を上げながらも、そこはこの数ヶ月で急速に交渉の経験値を積んだサーシャである、顔には全くだしていない。
「初めましてアドマウント伯爵様。こちらこそお会いできて光栄です」
楚々とした仕草で淑女の礼を返してにっこりと笑顔を浮かべれば、うんうんとアドマウント伯爵は爽やかさを絵に描いたような顔で小さく首を横に振った。
「いやいや、そんなにかしこまらなくてもいいよ、何しろ我が領の恩人なんだからね、君は!」
海の男という言葉がこれ以上無く似合う精悍な顔立ち、それでいて人懐っこい笑顔。
身体は良く引き締まっており、日に焼けた肌と相まってワイルドな空気も醸し出している。
そんな伯爵からべた褒めなのだから、サーシャとしては照れていいやら恐縮していいやら。
それでも、どうしてもこれだけは聞いておかねばなるまい、と決意と共に口を開く。
「その、恩人と言われましても、実はまだ詳しい話を聞いて無いものでして……」
「なんだ、そうだったのかい? なるほど、僕から懇切丁寧に説明する機会を設けてくれたわけだ、粋な計らいだね、ニコール嬢!」
「まあまあ、お褒めに預かり恐縮ですわ!」
キラン、とアドマウント伯爵が歯を輝かせながら笑えば、ニコールも負けていない輝く笑顔で返してみせた。
『あ、パリピだ。もしくは陽キャだ』などと、サーシャは思う。
交渉事の得意な彼女だが、根はどちらかといえばコミュ障ではないオタク。
むしろプライベートではエイミーと話が合うくらいな彼女からすれば、特にアドマウント伯爵は陽キャ過ぎて近づきがたいものがある。顔には一切出さないが。
などと考えている内にニコールとの陽キャ会話が一段落したのか、アドマウント伯爵がサーシャへと向き直った。
「では説明させてもらおう。サーシャ嬢、君のおかげで我が領の船員達は『船乗り病』から救われたんだよ! 君が流通させてくれた、『キャベツの塩漬け』によって!」
「はい……? あ、あ~~!! あれですか!」
伯爵の言葉に、サーシャは思わず大きな声を上げてしまう。
アドマウント伯爵は『キャベツの塩漬け』と言っているが、正確に言えば塩で揉んだキャベツを乳酸発酵させたもの。
ニコールの許可を得て業務の合間にラスカルテ産野菜を売り込んでいたサーシャは、その加工食品である『ザワークラウト』を流通させていたのだ。
開封さえしなければ常温でも比較的長期間保存のきく『ザワークラウト』には、ビタミンCが含まれている。
そしてそれは、アドマウント伯爵が言うところの『船乗り病』、つまりビタミンC欠乏が原因である『壊血病』予防に効果を発揮すると見込んで、前世知識を持つサーシャは近場で大きな港湾都市を抱えるアドマウント領へと暇を見ては売り込みをかけていたのだ。
「おかげで船員達の健康状態もいつになく良くなっているし、海運事業も絶好調。
今まで行けなかった遠隔地にも足を伸ばせるようになったから、これからもどんどんと手が広げられそうだよ。
それもこれもラスカルテ嬢、君が売り込んでくれた『キャベツの塩漬け』のおかげだよ、本当にありがとう!」
「そんな、私なんて大したことは……でも、皆さんのお役に立てたのなら、何よりです!」
謙遜して答えながら、サーシャの脳裏には今までの苦労が浮かんでくる。
山間を利用して葉物野菜の生産を行うよう農家と協力しあい、『ザワークラウト』の試作を重ねた日々。
苦労し通しだった日々が、走馬灯のように流れていく。
しかしそれは、ついに報われたのだ。
『壊血病』に効くとなれば、アドマウント領での定期的かつ大口の取引が見込まれる。さらに。
「もううちとしては『キャベツの塩漬け』は手放せないし、船員達に行き渡らせるためには安くで売ってもらわないといけないからね、ラスカルテ領からの通行税はかなり頑張らせてもらうよ。
それに、船に貨物を乗せる運賃に関しても、恩返しってことでね」
「あ……だから……」
ニコールの言っていた『良い考え』と『お手柄』が結びつく。
こういった事情があれば、特定地域からの通行税を安くすることには正当性が生まれる。
また、伯爵といえども大きな港湾都市を抱えるアドマウント伯爵にあまり強く物を言える家は、周囲にはほとんどないため、横やりも入りにくい。
そう、いかなベイルード伯爵といえど、ここに工作を仕掛けてくることは難しいことだろう。
その突破口を、サーシャのアイディアが切り開いたのだ。
そして何より。
「僕はね、船が大好きでね。だけど、どうしても『船乗り病』のせいでいける距離は限られてしまっていたんだよ。
けれどこれで、今までいけなかった所にもいけるようになる。
何なら、新しい島を探しにだって行けると思えば、わくわくしてくるじゃないか!」
「まあ素晴らしい! そうやって新しい場所へと挑戦していくお姿、素敵ですわ!」
目をキラキラと輝かせながら海への夢を語るアドマウント伯爵と、彼を持ち上げて囃し立てるニコール。
彼だけでなく、きっと船員達も喜んでいることだろう。
そういえば、道中の市場には活気もあり、行き交う船員達の顔色はとても良かった。
「あは……あたし、出来たんだ。何か、人の役に立つことが」
ぽつりとそう呟くサーシャの目には、光るものがあった。




