謀略と理不尽と。
それは、ニコールが鮮やかな逆転劇を見せた査問会から数日後のことだった。
「……西部の通行税が跳ね上がった? それも、法定ギリギリのラインで?」
執務室でその知らせを受けたジョウゼフは、眉をしかめた。
現在の旧パシフィカ領は西部と東部で統治者が違うため、別々の通行税を取っている。
取り決めの際、ジョウゼフは元は同じ領地なのだから西部と東部の間の通行税はなしにしようと提案したのだが、ベイルード伯爵はそれを拒否。
結果、西部から東部へは通行税が発生せず、東部から西部へは通行税が発生するというアンバランスな状況になっていた。
今にして思えば、それは元犯罪者達を東部へ誘導するためでもあったのだろう。
だが、そんな施策に出たのには、もう一つ理由がある。
「だとしたら、王都に向かう商人達は大変じゃないのか?」
「ええ、左様でございます。かと言って、王都の商売をおろそかにするわけにもいかず。
如何に発展していようとも、こちらの領都だけでは十分とは言えないでしょうし」
ジョウゼフの問いに、執事のエルドバルがやや曇った顔で答えた。
旧パシフィカ領は、王都から見て東の方に位置している。
となると、旧パシフィカ領東部の商人達は、王都へ向かうためには西部を通らねばならない。
言うまでもなく王都は最大の商圏であり、本店を置いている商会も多数。
そして、それには及ばないものの発展している旧パシフィカ領と王都を結ぶ街道は、実によく整備されている。
そのため、商人達は王都へ向かうために東部から西部へ通行せねばならず、そこで通行税を取れば、かなりの税収となるわけだ。
そう。もう一つの理由とは、単純に儲かるのだ。それも、確実に。
「だからこそ、せめて旧パシフィカ領内での行き来はしやすいようにと提案したんだがなぁ。
こちらが土木事業を手にしている以上、王都へ向かう人々の通行税くらいなくては不公平かと考えたのが甘かった」
「左様でございますな、ベイルード様は、何と言うか……人の感情まで計算に入れての策謀がお得意のようですから」
「流石に、ニコールは計算しきれなかったようだけれど、ね」
そう言って、少しばかり親馬鹿な笑みを見せた後、ジョウゼフは表情を切り替える。
「だが、これはこちらの動きが計算出来る、と踏んだんだろうな。何しろ東から西への物流を止めるわけにはいかない。
特に、王都より西での土木事業を止めては大問題だからな……」
「それを見越した、嫌がらせと実益を兼ねた通行税の値上げ、というわけですな。
法に則っているだけに、地味ではありますが効果的です。しかも、この値上がり方……」
「ああ、単に法定ギリギリ、という決め方でなく、宝石だとかの小さく高額なものを優遇し、木材だとか大きく重たいものへの値上がりが大きい。ご丁寧に、重量物は道への負荷が大きいためとの理由も添えてな。
完全にこちらを狙い撃っているというのに、形式的にはその意図は隠された形になっている。
ムカつくやり方だが、考えていると思うよ。おかげで……」
ぼやくように言いながら、ジョウゼフはエルドバルの持ってきた書類を手にして目を通した。
そこには、頭の中で概算していた内容とほぼ同じものが書いてある。
「……今までのやり方をそのままやれば、うちに利益がないか赤字になるか、といったラインになるわけだ」
「人足達への給金、手当をそのまま、ですとそうなりますな。
恐らくあちらも調べたのでしょう、人足達への手厚い報酬こそが我々の武器であることを」
エルドバルの返しに、ジョウゼフはゆっくりと渋い顔で頷いた。
一般的な相場よりも良い日当に加え、日々頑張れば頑張るだけもらえるボーナス。
働けば働くだけ自分達の仕事が評価されるとあって、人足達の士気は高い。
それによって通常の倍近い工事を処理することが可能になり、結果としてプランテッド家に入る助成金も倍増と言って良い額になっている。
だが、もしもそういった報酬を出さなくなれば、カシム達のような恩義を強く感じている者達はともかく、普通の人足達の労働意欲は大きく下がることだろう。
そうなれば工事も進まなくなり、と悪循環が待っている。
「報酬を削れば、人足達に今までのような働きは期待出来ない。
となれば、うちが赤字覚悟で背負うしかなくなるが、そうなると私財の蓄えが大して無いうちでは、今計画している他の施策に影響が出る、と。
普通ならば人足達を優先するなど考えもしないだろうが、残念なことにあの一件でベイルード伯爵も学んでしまったようだな」
「清貧が仇になるとは、考えさせられますなぁ」
「清貧、だなんてつもりはないんだがね。それはともかく、直近の工事に対しては今までの道を使うしかないが、早急に他の経路を探さないと、まずいな」
「かしこまりました、経路確保のために人を動かします」
「ああ、頼むよエルド」
ジョウゼフの言葉に、エルドバルは恭しく頭を下げ、執務室を退出した。
その姿を見送った後、ジョウゼフは大きく息を吐き出す。
「経路を見つけて終わり、というわけにはいかないのだろうな……ベイルード伯爵、どうしてその知略を、西部のためだけに使わんのだ……」
憂鬱そうに呟きながら、夕焼けに染まり始めた窓の外をジョウゼフは見つめた。
そして、ジョウゼフの懸念は残念ながら的中する。
「だめです、周辺の領地もベイルード伯爵に呼応するかのように通行税の値上げを実施していまして。
大きく迂回する経路はあるにはありますが、日数が掛かる上に結果としてあまり変わらない出費になってしまいます」
「それぞれの領主にも交渉を試みましたが、どんな条件に対しても頑なに拒否をされてしまい……」
数日後、執務室で重苦しい顔のエルドバルが報告すれば、続いてサーシャが補足する。
旧パシフィカ領に隣接し王都へと向かう道を持つ領地が、足並み揃えて軒並み通行税を値上げ。
「ここまでやるか、ベイルード伯爵……」
「確たる証拠はございませんが、伯爵に手を打たれたとしか考えられませんな」
押し殺した声でジョウゼフが呟けば、エルドバルはその隣で首を横に振って見せる。
プランテッド家の事業を邪魔するために、王都へと至る道全てに渡って包囲網を敷いてきた。
そのためには随分と代価を必要としただろうにも関わらず、だ。
「ここまでされたのであれば、王家に訴えて介入していただくのもありではありませんか?」
直接交渉に出向いていたサーシャが悔しげに進言する。
言質を取られないような言い回しはしていたが、彼らの背後にいるのがベイルード伯爵だったことは明白。
しかもその目的はプランテッド家の土木事業を妨害することに間違いはない。
ただ、証拠もなく。
「……そこが、彼の狡猾なところだ。今までのやり方であればギリギリ赤字になるかならないか。
事業の継続は可能だし、人足への報酬を減らせば十分利益も出せる。
つまり、短期的、局地的にいえばこちらの采配でどうにでもなる程度のものなんだよ」
「逆にいえば、長期的には他の事業への影響、あるいは人足達のモラル低下による治安への影響が考えられるのに、ですか」
「ああ。特に人足のモラルについては、低下するのはこちらの落ち度、とまで言われかねない」
「そんな理不尽な!」
「それが貴族というものだよ。良くも悪くも、ね」
悲鳴のような声を上げるサーシャへと、苦みの混じった笑みでジョウゼフは答える。
当主以外の人間から見れば理不尽な程の権力を持つからこそ、こういった理不尽もやってくる。
だから。
「お話は伺いました! わたくしに良い考えがございます!」
それ以上の理不尽でもって乗り越えるような貴族令嬢だって、時には出てくるのだ。
ノックもなしにいきなり扉を開けてやってきたニコールへと、全員が驚いて振り返る。
そこにあるのは、いつものようにキラキラと輝くような笑顔。
なんとかなる。
この場に居る誰もがそう思ってしまうような、謎の安心感。
一瞬、ジョウゼフですらほっと気が緩みそうになったところで、表情を引き締めた。
「ニコール、ノックをしなさいと言っているだろう? いや、今は緊急だから仕方ないとして、だ。
それで、その考えとは一体? 勝算はあるのかい?」
思わず期待が滲みそうになるのを堪えながら、努めて冷静にジョウゼフが尋ねれば、返ってくるのは満点の笑顔。
「もちろんでございます! というか、既に策は九割方成っておりますから!」
「……は?」
まさかの発言に、いつかのベイルード伯爵のように間の抜けた声が出てしまうジョウゼフ。
ニコールの言動には慣れているにも関わらず、彼がそんな声を出してしまうのも、状況が状況だけに仕方のないことだろう。
そんな彼に気遣う風もなく、ニコールはそれはもう楽しげに言う。
「お手柄ですわよ、サーシャさん!」
勢いよく振り返ったニコールが視線を向けたのは、サーシャ。
「はい? ……はい!? わ、私ですか!?」
まさか話が振られるとは思いもしていなかったサーシャは、自身を指さしながら、素っ頓狂な声を上げた。




