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掴んだ糸を、手繰るよに。

 そんなこんなでマシューがバタバタと駆けずり回った後。

 彼が帰ってきたところで軽く労ってから、ニコールとお針子候補の三人は馬車へと乗り込んだ。

 馬車が走り出してしばらくしてから、おずおずと最年長らしい女性が口を開く。


「あ、あの、お嬢様、本当に私達などが乗せていただいてよろしかったのでしょうか」

「ええ、もちろん。この馬車はわたくしが普段使いで乗り倒している、言わば生活の足ですしね」

「は、はぁ……そうなんですか」


 先程まで自分を売り込んでいた勢いはどこへやら、恐縮しきりの彼女達へとニコールは何でも無いかのように笑いかけるのだが、流石に簡単には慣れないようだ。

 実際の所、彼女らが乗っている馬車は、伯爵家の者が乗るものとしては、あまりいいグレードのものではない。

 見るものが見れば、長いこと使われあちこちに傷みがきていることもわかるだろう。


 ただしそれは外見の話で、こうして乗っていると、彼女達が乗ったことのある荷馬車だとかとは雲泥の差。

 マシューや使用人達、あるいは縁あった職人達がちょこちょこと足回りを弄っているため、乗り心地などの性能は実はそこらの高級馬車にも劣らないのだが、そのことを知ってか知らずか、ニコールにそれを誇るような様子はない。

 先程までと変わらない態度は、一緒に乗り込んだ彼女らを緊張させないためだろうか。

 話をしている間に少しずつ緊張の解れていく難民女性達とニコールを乗せて、馬車は走っていった。





 そして、走ること30分、もかからなかっただろうか。

 やがてニコール達を乗せた馬車は、一軒の仕立て屋の前に到着した。


「わ、わぁ……ここが……」


 馬車から降りた難民女性の一人が、思わずといった様子で呟く。

 領都の中心部にあるそこは決して華美ではないが、上品でしっかりとした作りの店構え。

 その後ろにある工房は、確かに何人もの職人が働くこともできそうなほど大きな物。

 明らかに高級な店である、と村から出てきたばかりの彼女達でもわかるその様相におののいていると、店の扉が開いた。


「これはこれはニコールお嬢様、お早いお着きでございますね」


 出てきたのは、ほとんど白くなりかけている頭髪をオールバックに固めている初老の男性。

 にこやかに話しかけながらも恭しく頭を下げてくるその仕草は流麗で、彼もまた貴族なのかと思うほど。

 職人然とした人物が出てくるかと思っていたところへ不意打ちのようにそんな彼が出てきたのだから、女性達はまた驚きで言葉を失っていた。

 ちなみに、いつの間にか音もなくベルがニコールのすぐ後ろに控えているのだが、最早それに驚く余裕もなかったりしつつ。


「あら、親方自らお出迎えくださるとはね、ルーカス。お仕事が忙しいのではなくって?」

「ちょうど昨日、公爵様からご発注いただきました普段使いの夏物が納品出来まして、久しぶりに一段落ついたところだったのですよ」

「公爵様というと、ラフウェル様ね。あら、でも納期はまだ先ではなかったかしら」


 そう言いながら、コテン、とニコールが小首を傾げる。

 その仕草そのものは、とても愛らしい、と言っていいはずのものだ。

 だが、ほんの数時間の間にニコールという人間の色々な面を見てしまった彼女達は、そう簡単には騙されないぞ、と心で呟いていた。

 それと同時に、流されてもいいかな、と思っていたりするのだが、そのことに気付いていない、もしくは気付いていないふりをしながら。


 そして、その言葉と表情を向けられたルーカスは。


「ええ、後二週間ばかりの猶予がございますが、早いに越したことはないかと思いまして。

 何しろこの数年来気候が不安定で、すぐに暑くなることがございますからね」


 あくまでも落ち着いた様子で、ニコールに対応していた。

 その泰然自若とした様子は、なるほどこれだけの工房を率いる親方だけはある、と誰もが思った、のだが。


「さっすがルーカス、仕事が丁寧なのに早い! いわば矛盾を実現する男!

 最強の矛も盾も手にしているなんて、実質的に無敵なんじゃないかしら!」

「はっはっは、からかってくださいますなお嬢様。このルーカス、まだまだ修行中でございます」

「その腕でなお、更なる高みを目指すというの!? 一体ルーカスはどこを目指しているというの、プランテッド一では飽き足らないのね、そうね、目指すは王国一よね!」

「いやいや、私が王国一だなどと、そんなそんな。いえ、ニコール様が獲れとおっしゃいますのならばやぶさかではございませんが」


 ニコールのよいしょを皮切りに、何やら景気がいいというか大風呂敷というか、そんな会話が繰り広げられる。

 いや、日常使いの普段着とはいえども、王族の次に高貴なる存在である公爵から依頼を受けるくらいだ、ルーカスの腕はこの国でも指折りであるのだろう。

 そして、裁縫に長けた彼女達から見てもルーカスの着ている衣服の仕立ては見事で、先程までの浮かれた気分が萎み始めていたりするのだが。

 

「これだけ色々引き合いもあって儲かっているルーカスだもの、お針子の三人くらい雇うのは余裕よね!」

「はっはっは、もちろんですとも、当方に雇用の用意はございます。……ただし」


 ニコールへと機嫌良く応じていたルーカスだが、不意に真剣な顔になる。

 その目つきはまさに熟練職人のそれ。

 少しでも手を抜いた仕事をしていれば看破されそうな、そんな鋭さがあった。


「ただし、私の要求するレベルを超えていれば、の話です。

 そうでなければ雇うだけ無駄。いわば飼い殺しであり、お互いのためにならないでしょう」


 ある種の冷たささえ感じる口調で言い放ったルーカスが、パチンと指を鳴らす。

 すると、従業員らしき女性が、トレーの上に布や糸、針を乗せてやってきた。


「皆さんの表情を見るに、どうやら要求される水準というものはおわかりの様子。

 であれば、己を飾る言葉は不要。その腕でもって語っていただきたい。

 この店で雇用される腕と覚悟があるかを」


 そう言いながら、三人の前には既に裁断された女性用の衣服の一部らしき布と、それに合わせた糸、針が渡された。

 それが意味するところは明白であり、理解した彼女らの目には……力が宿り始めた。


 挑発とすら受け取れる言葉。明らかに彼女達を下に見ているように見える視線。

 そこまでされて、へこたれていられる程、今の彼女達は弱くはなかった。

 何しろ彼女達は、先程ニコールに認められ、太鼓判を押されたのだから。


「わかりました、やってやりましょうとも」


 最年長の彼女が静かに、しかし力を込めて言い切れば、ルーカスは楽しげに目を細めた。

 『やれるものなら、どうぞ』という言葉が聞こえたような気がして、一層彼女達は燃え上がる。

 それぞれに与えられた針へと一瞬で糸を通し、布を手にして。


「技量を見られるのですからね、勢いよりも丁寧さと正確さが大事ですわよ」


 そこに、ニコールの声がやんわりと掛かった。

 途端、不思議と肩の力が抜け、頭に冷静さが戻る。

 そう、これはあくまでも採用面接の一環。変に意地を張ってどうするのだ。

 まして、それで失態を犯して、紹介してくれたニコール様の顔に泥を塗るなどあってはならないこと。


 冷静に、丁寧に、正確に。

 彼女達をここに連れてきた、ニコールの見立てが間違っていないと示すために。

 

 すいすいと針が波打つ布の海を泳ぎ、その後には綺麗な道が出来ていく。

 文字通り一糸乱れぬその縫い目を見て、ふむ、とルーカスは小さく首を縦に動かす。

 やはり相変わらずお嬢様のお見立てには間違いがないようだ、などと思いながらも、それは欠片も顔には出さない。

 そうして彼が見守る前で、程なくしてそれぞれのパーツが縫い上がった。


「ふむ。……なるほど。これならば」


 やりきった、とばかりに疲労感と満足感をない交ぜにしていた彼女達の顔に、緊張が走る。

 出せるだけは出し切った。その上で、どう判断されるか。

 ごくり、と思わず唾を飲み込んでしまう。


「これならば、基本的な技術はあると言って良いでしょう。ただ、少々それぞれの手癖がどうしても出ていて、このままでは当店の仕事は任せられません」


 ルーカスの言葉に、思わず肩が、膝が、落ちそうになった。

 だが、認められた部分もあった。そのことが彼女らを支え、なんとか踏みとどまらせる。

 そんな彼女らへとルーカスが向けたのは……笑みだった。


「ですので、一ヶ月ばかり見習いとして修行すること。それを条件に雇用いたしましょう。いかがですか?」


 続いて聞こえた言葉に、彼女達は固まった。

 数秒かけて、ゆっくり、ゆっくりとその意味が浸透していく。

 

「た、たった一ヶ月で、いいんですか?」

「ええ、あなた方が素直に修行するならば、それでいけるでしょう。

 その間は見習い期間ですので給料こそ出せませんが、住む場所と三食、少しの雑費くらいは出します。

 逆に言えば、それだけしか出しませんが。それでも、いいですか?」


 ルーカスの言葉に、三人は互いに顔を見合わせて。


「「もちろんです!」」


 計ったわけでもないのに、全く同時に、全く同じことを口にしていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] これ、ニコ様がどの程度まで意図的にやってるかは謎ですが(何なら「前似たような感じで上手くいったから、多分今回も大丈夫くらいの緩さの可能性もある」)、割と就職シーケンスとして理想的なシステム…
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