逆転査問。
「……は?」
思わず間の抜けた声を上げたのは誰だったのか。
次の瞬間には静寂に包まれた会議場の中では、それを確かめることなど出来なかった。
何しろこの場にいた誰もが呆気に取られたのだ、それも無理の無いこと。
誰もが呆然と、発言した少女……ニコールを見つめてしまっている。
ベイルード伯爵の述べた内容を、『概ね間違っていない』と、あっさりと認めた。
それが何を意味するか、皆が皆、わかりすぎるほどにわかっている。
だからこそ、そんなことをあっさりと認めたニコールを、信じられないものを見るかのような目で見ざるを得なかったのだ。
「ニコール嬢、事実と認めるのかね?」
目をひん剥きそうになりながら、国王ハジムが問いかける。
事実と認めるのであれば、つまり犯罪者と交流があったと認めることになるわけで。
そうなってしまえば、商会経営者として失格であるどころか、令嬢としても大きな瑕疵となるのだが。
ゴクリ、と喉を鳴らして返答を待つハジムや貴族達の顔に比べ、ニコールのそれは随分と軽やかなものだった。
「はい、おおむね。ただし、一つ。それも、とても大きな事実誤認がございます」
「なんだと? 一体どこに誤認があるというのだね、こちらはしっかりと裏も取ってあるのだが」
ニコールの言葉に、ベイルード伯爵は表情を動かすことなく資料を軽く叩いて示す。
念入りに集めた資料の中には身元の確かな者達からの証言も大量にあり、彼女の行動は全て事実であると言える証拠はこれ以上なく積み上げた。
そして実際、彼女の行動は事実だったのだ。
行動は。
問われたニコールは、臆することなく胸を張り、何なら高笑いの一つでも出そうな程のドヤ顔を見せた。
「簡単なことです。彼らは犯罪者ではありません! 元・犯罪者でございますから!」
「……は?」
完全に予想外だった言葉に、ベイルード伯爵は思わず間の抜けた声を出してしまった。
何を言っているのだこいつは、と言わんばかりの表情で数度瞬きをしてから、ゴホンと咳払いをして改めてニコールへと向き直る。
「それこそ何を言っているのだ? 彼らは確かに犯罪者だ。いいかね、君が交流した人間は……」
と、用意していた資料からニコール曰くの元犯罪者達の名前、罪状を述べていく。
何しろ彼らは元々西部地区で犯罪を犯したのだ、その資料を持ってくるなど造作も無いこと。
「……他にもいるが、人数にして数百人も居たことになる。いずれも、西部地区で正規の裁判によって裁かれた人間だ」
流石に全員を読み上げることはしないものの、十数人も読み上げてしまえば事足りるはず。
数百人、と聞いてどよめく会議場。……その中で数人だけが、何かに気付いたのか首を捻っている。
何となく感じる違和感。その正体は、次なるニコールの言葉で明らかになった。
「そして、彼らは全て、追放刑に処せられていますよね?」
「ん? あの罪状で、追放刑?」
彼らが感じていた違和感。それは、罪状が然程凶悪でないこと。
本来であれば罰金刑や懲役刑、強制労働刑が妥当な程度の犯罪だ。
もしそうであれば。
しかし彼らは全員、揃いも揃って追放刑だったという。
「例えば懲役刑であれば、刑期が終われば元犯罪者。社会へと更生する支援をするのもまた貴族の務めでございましょう。
そして死刑であれば、執行された時点である意味元犯罪者になると言ってもよいかと思います。
さて、では追放刑は?」
そう問われて、ベイルード伯爵は即座に言葉を返すことが出来なかった。
いや、周囲で聞いている貴族達もまた、明確な答えを持っていないのか、あるいは眉を寄せて悩み、あるいは隣に座る者と言葉を交わす。
誰もわからないのだ。何故ならば。
「そう、追放刑に関しては、刑法に規定がないのです。何しろ追放刑は、実質死刑と変わりませんからね」
可愛い顔してバンバンと物騒な言葉を口にするニコールに、誰も口を挟むことが出来ない。
何しろ彼らは、誰一人として、追放刑になった人間がその後どうなるかなど、考えたこともなかったのだから。
財産を没収され、身分もなくして街の外に放り出された人間が、生き延びることなどほとんどない。
まして、真っ当な職を手に入れて生活を安定させるなど。
ということは。
「つまり、彼らは追放刑に処されて街を追い出された時点で執行完了、死んだも同然の状態となっているわけです、法的には。
であれば彼らは罰を受け罪をあがなった元犯罪者と扱うべきでございましょう!」
「ま、まて、詭弁だ! それはいくらなんでも無理がある!」
「無理があるとおっしゃるのならば、刑法から根拠をお示しくださいませ!」
ベイルード伯爵が慌てて反論しようとするが、ニコールはぴしゃりと斬って捨てる。
そんなもの、あるわけがないのだ。何しろこれは、エイミーが必死になって刑法を調べ上げた結果なのだから。
ただでさえ三人分の仕事をするエイミーが、ニコールの危機に発揮した火事場の馬鹿力は凄まじく、法律書だけでなく旧パシフィカ邸にあった判例集まで読み込んでしまっていた。
それらのどこにも、追放刑を執行された人間が、その後も犯罪者扱いされる根拠足るものはなかった。
何しろ、追放刑を受けた人間を、その後まで追跡したケースは全くと言っていいほどないのだから。
であれば、今手元に法律書を持っておらず、記憶だけが頼りのベイルード伯爵が事例を見いだせるわけもない。
「くっ……よかろう、ならば彼らを元犯罪者として扱うのは致し方あるまい。
だが! 元犯罪者、言わば平民の中でも最下層にあたる人間と杯を交わすなど、やはり貴族令嬢としてあるまじき行為と言わざるを得まい!」
これでもかと用意した資料の及ばぬところからの反論に取り乱したか、ベイルード伯爵の語気が荒くなる。
鋭く刺さるような勢い、睨み付けるような目。
普通の令嬢であれば震え上がり、何なら気を失う者すらいるだろう。
だが、生憎とここに居るのは普通の令嬢ではない。ニコール・フォン・プランテッドなのである。
「これは異な事を! 先程申しましたように、元犯罪者の更生支援は領主の一族として当然のこと!
何よりも! わたくしは土木事業を扱う商会の会頭! であれば、現場で働く人間を労って何の問題がございましょうか!
皆様も、『覇王と始まりの騎士達』の一節、セーフデン将軍が決戦前夜に兵士達と酒を酌み交わし、共に歌った場面で胸を熱くされたことはございませんか?」
問われて、思わず頷いてしまった者も何人かいた。そして、否定の声は上がらなかった。
男の子はそういうのが大好きだし、ここにいるのはかつての男の子ばかりである。今ではすっかり海千山千の古狸ばかりだが。
それでもかつては、こんな風に接する事ができたら、と夢想したことはあったのだ。やがて、それが無理であることを色々な形で知っていったのだが。
「セーフデン将軍の一節は創作だ、物語だ! 何より、命がけの戦場であれば鼓舞する意味もわかるが、たかが工事ではないか!」
周囲の反応を見て、それが馬鹿げた夢想だと斬り捨てなかったのは、好判断と言って良いだろう。
まして、反論の糸口は他にもあったのだから。
だが。
そこに言及されて、ニコールの顔に浮かぶのは笑みだった。
「何をおっしゃいますやら! 荒れ狂う自然に抗いながら進める土木工事現場は、常に死と隣り合わせ!
怪我人が絶えず、事故が起これば死者とて出ます! これを戦場と同じく扱わず、いかがいたしましょう!
……まあ、現場に顔を出されたことのない方には、おわかりいただけないことかも知れませんけれど?」
にっこりとニコールが言えば、ベイルード伯爵は言葉に詰まる。
彼女の言う通り、彼は現場に顔を出したことは一度もない。
そして、彼女が現場に顔を出していることは、奇しくもニコールの行動を調べ上げた彼自身の手によって証明されている。
であれば、現場の空気がどうなのかについて、ベイルード伯爵とニコール、どちらが説得力を持つかなど、火を見るよりも明らか。
「確かに貴族令嬢としては、はしたない行いかも知れません。
けれど会頭として、現場で身体を、時に命を張って仕事をしてくださる彼らを、少しでも労おうとするのは当然のこと。
まして彼らは追放され流れて来た方々、会頭自らが受け入れる姿勢を見せることは大きな意味を持つことでございましょう!
よってわたくしは、彼らと飲み交わしたことを、一切恥じるつもりはございません!」
きっぱりと、高らかに歌い上げるように。
言い切ったニコールの背中に、居並ぶ貴族達は、物語に出てきたセーフデン将軍の幻を見たような気がした。




