見えてきた策謀。
こうして、ニコールは西部地域から追放された大男達を雇い入れることにした。
その後調べてみたところ、治安が悪化した街はいずれも同様に西部方面から追放された犯罪者達が流入していたことが判明。
ニコールが陣頭に立って急ぎ彼らに職を与えたことで、治安は急速に回復していった。
「治安の方は、これで何とか落ち着きそうだねぇ」
報告を受けたジョウゼフは、ほっと息を吐き出す。
執務に追われ動くことの出来なかった彼の代わりに、『何とかなりますわ!』といつもの調子で安請け合いしたニコールを派遣したのだが、そこはやはり人の親、大丈夫だろうとは思いながらも、娘の身が案じられてならなかった。
結局それは杞憂に終わり、元犯罪者達の就職斡旋も一段落付いたとのことで、ニコール達は今こちらへの帰途についているという。
「ええ、これも素早く手を打たれた旦那様と、あちらでご活躍なされたお嬢様のおかげ。
このエルドバル、感服しきりでございます」
「ちょっと大げさじゃないかねぇ。確かにニコールは大したものだけど」
執事のエルドバルから褒められ、謙遜するも親馬鹿が滲む。
治安悪化の原因特定までは、恐らく他の者でも然程時間をかけずに掴んだことだろう。
だが、彼らを取り込んで治安を安定させるだけでなく労働力にしてしまうなど、果たしてどれだけの者が出来るだろうか。
そう思うとジョウゼフの頬も緩みがちになるのだが。
「……しかし、気になることが一つあるんだよね」
「おや、それは一体?」
エルドバルに問われ、ジョウゼフは机に置いた書類へと目を落とした。
そこには、西部から流れ込んできた元犯罪者達の犯罪歴が記載されている。
「ざっと彼らの経歴を見たんだがね、いずれも、殺人や放火などの重罪を犯した者はいない。
つまり、凶悪犯が一人もいないんだよ」
「ああ、そのことでございましたか……たまたまですが、西部を探らせている者の報告にございました」
「そんなことまで掴んでいたのか、流石だね、エルド。……いやまて、指示を出すまでもなく掴めるということは、まさか」
嫌な予感に顔を引き締めたジョウゼフへと、少しばかり固い顔でエルドバルは頷いて見せる。
「はい、お察しの通り、そういった凶悪犯は全員処刑されておりました。それも、広場での公開処刑という形で」
「なんてことを……いや、確かに法の範囲内ではあるんだが……」
予想通りの言葉に、ジョウゼフは顔をしかめ額に手を当てた。
この国では最終的な裁判権は領主が持っており、旧パシフィカ領西部地域においては代理であるベイルード伯爵が代行することになる。
とはいっても勝手なことは出来ず、あくまでも法が定めた範囲の量刑を逸脱することは出来ない。
例えば殺人罪はその罪の重さに応じて懲役、鉱山での強制労働、死刑といった重い刑が課せられるのだが……。
「例外なく全て公開処刑だなんて、聞いたことがないぞ。それも、たった数ヶ月で」
「私もそれなりに長く生きておりますが、初めて耳にいたしました。何やら尋常でないものを感じます」
ジョウゼフが憤りと困惑が混じった声で言えば、エルドバルも重々しく頷いて返す。
死刑と言っても斬首、縛り首などいくつかの手段があるのだが、公開処刑は中でももっとも残酷なものと言える。
何しろ公衆の面前へ引き立てられ、民衆……いや、観衆から罵詈雑言や時には石や物を投げられ、お祭り騒ぎのような中でその命を絶たれるのだから。
「ちなみに、殺人は殺人でも裕福な商人や貴族を殺害した者に対しては火あぶりだったそうでして」
「火あぶり、か……生きたまま焼かれるから、長いこと苦しんで死ぬことになるという……何かそこには意図を感じるね」
「はい、全て公開処刑ということも含めて、富裕層へのアピール、パフォーマンスの意図が感じられます」
「問題は、何故そこまでしてアピールするのか、か……」
ややもすれば感情に押し流されてしまいそうな中、それでもジョウゼフはそれを理性で抑え付け、思考を巡らせる。
一度も罪人を公開処刑に処したことのないジョウゼフにとっては聞いた話でしかないが、処刑の見物に来た人々は、熱狂的に盛り上がる、らしい。
特に火あぶりともなれば、断末魔の声が大きくなるほどに盛り上がるのだとか。
その熱狂に、西部の民を……特に富裕層を飲み込んでいく意味とは。
「……正義は我にあり、か?」
「旦那様、それはどういうことでしょう?」
「ああいや、ただの思いつきなんだがね。公開処刑というものは、見ている人間に『自分達は正義を執行する側だ』と思わせることがあるそうなんだよ。
そうなると、恐ろしいことにね……段々無慈悲で残酷になっていくそうだ」
「……正義の側に立つのに、ですか。いやはや、恐ろしいことですな」
呆れたように零すエルドバル。
そんな彼へと、ジョウゼフは首を横に振って見せた。
「いや、正義の側に立つから、だよ。相手が絶対的に悪い、自分は絶対的に正しいし自分が何をしても正義の行いになる、だから何をしてもいい、とね。
そうなったら、攻撃的な性質を理性で押さえ込んでいた人間であれば、箍が外れてしまって信じられないほど攻撃的になる、と」
「なるほど……自分が間違っているかも知れない、正しくない側にいくかも知れないと思うからこそ人は自重するものですしね。
……しかし、そうなると……」
一瞬納得顔になったエルドバルだが、すぐにその顔は懸念の色に染まる。
そして、彼が感じた懸念はジョウゼフも抱いていた。
「ああ、もしかしたら西部は……正しさの地獄になるかも知れない」
「正しさの地獄……何とも妙な響きですが、しかし本当にそうなりそうで恐ろしいですな……」
二人の言葉が途切れ、嫌な沈黙が二人の間に下りる。
考えれば考える程に嫌な想像は巡り、後々のことを考えれば背筋に冷たいものが走って仕方ない。
「とは言っても、今はまだ仮定の段階に過ぎない。エルド、西部の人手を増やしてくれ」
「かしこまりました、あちらの動きと、何よりもどういった意図があるのか。こちらを探らせます」
「ああ、頼むよ」
ジョウゼフの言葉を受けてエルドバルは頭を下げ、それから部下へと指示を出すために執務室から出て行く。
一人残ったジョウゼフは、エルドバルの去った扉をしばし見遣り。それから、大きく息を吐き出した。
「やれやれ、侯爵なんぞに興味はないんだがなぁ……彼には、彼にだけは負けられなくなってきたじゃないか」
苦々しい言葉と共に吐き出されたジョウゼフの本音は、誰の耳にも入ることなく、空気に溶けて消えていった。
そんな会話がなされていたその頃、西部地域では。
ベイルード伯爵が、執務室の窓からその下に位置する広場を見ていた。
今もまさに公開処刑が行われており、彼が見下ろすその先で長大な処刑剣が振り下ろされ、罪人の首が落とされる。
「ああ、今日は平民殺しだったか。流石に少々盛り上がりに欠けるな」
その光景を見て出たのがこの言葉だ、もしも聞いていたものが居れば耳を疑ったことだろう。
彼の目にも声にも何の感慨もなく、一つの命が失われた光景へと、冷めた眼差しを送っている。
いや、冷めているのは眼差しだけではなかった。
「これで、また少し私の街が綺麗になったな」
ゴミを掃除しただけ。そんな声音で呟いた彼は、執務机へと戻り書類へと目を落とす。
それらの書類……報告書へと目を通した彼は、ふむ、と納得顔で一つ頷いて見せた。
「追放した連中は、想定よりも暴れなかったようだな。治安が悪化したのは一時的にだけ。その後すぐに治安は回復している」
そう、彼が比較的軽めの犯罪者達を全て追放刑にしたのは、東部の治安悪化を狙ってのものだった。
今回の代理統治レースにおいて、治安そのものが指標の一つとなっている。
それだけでなく、当然治安が悪化すれば経済も悪化し、連鎖的に様々な指標も悪化する、はずだった。
だがそれは、ほとんど効果が出ることなく終わってしまっている。
「原因は、ニコール・フォン・プランテッドが土木事業の人足などで雇ったため、か」
効果が出なかったどころか、逆に取り込まれ利用される羽目になってしまった。
だというのに、ベイルード伯爵は慌てた風もなく、こう呟いたのだ。
「予想通りだな」
それは強がりでもなんでもなく。
平坦な響きで、執務室の壁に飲まれ消えていった。




