試合は終わってノーサイド。
「いやほんと、まじですげーわ、お嬢ちゃんは!!」
「うふふ、お褒めに預かり恐縮ですわ!」
波乱ばかりだった腕相撲勝負から、1時間ほど。
あまりにあまりな敗北に、むしろすっきりした顔でそれを受け入れた大男が、ニコールの隣で豪快に笑っていた。
場所は先程テーブルを提供してくれた店、メンツは腕相撲をした五人二組の十人に、カシムとともに歩いていたプランテッド家に雇われている人足達。
そして、ニコールにベルである。
「おいこら、お嬢ちゃんとか気楽に話しかけてんじゃねーぞ、こんにゃろ!」
「あら、わたくしは構いませんよ、カシム」
「だってよ、お嬢ちゃんがお認めになってんだ、口を挟むんじゃねーよ!」
いきなり気安い態度にカシムが口を挟むも、当のニコールが気安いのだから、止められるわけもない。
大男にしても悪意があるわけでなく、むしろ親しみの表れでしかないのが見て取れるから、カシムとしてもこれ以上は物申しにくい。
そう、酒も入って宴もたけなわ、カシム達に難癖を付けていた男達は、すっかり打ち解けていた。
むしろ打ち解けすぎていた。まるで、数年来の友人であるかのように。
「調子良すぎだぜ、まったく。あん時の殺気立ってた様子はなんだったんだっての」
「あ~……あれは、ほんとすまんかった。ちょっとこう、むしゃくしゃしててなぁ」
呆れたようにカシムが言えば、流石に決まり悪そうに大男が答える。
それが、カシムの直感に引っかかった。
確かに彼は荒くれ者といった容貌通りの荒くれ者だが、それでいてリーダーらしい求心力や思考力もあるらしい。
腕相撲の時も、今こうして杯を交わしていても、それはひしひしと感じ取れる。
その彼が、むしゃくしゃして理不尽とも言える絡みをしていたのは何故なのか。
「なんだそりゃ、むしゃくしゃって、何かあったのかよ?」
「あ~、それがなぁ……酒の席だけの話ってことにしてくれるかい?」
「もちろんですわ!」
カシムの問いに大男がばつが悪そうに言えば、ある意味この場の総責任者であるニコールはすぱっと即答で答えた。
その後ろで、頭が痛いと言わんばかりにベルが額を押さえて首を横に振っているが。
「んじゃ、お嬢ちゃんだから教えるぜ?
実はなぁ、俺達は纏めて西部から追い出されたんだよ」
「……は?」
思わぬ告白に、カシムは随分と間の抜けた声を出してしまった。
確かに彼らはあまりよろしくない部類の人間だろうが、だからといって問答無用で追い出されるいわれもないだろう。
何か言葉に出来ない憤りを微かに感じながら、続く言葉を待つカシム。
「いやまあ、確かに綺麗な暮らしはしてなかったさ。豚箱にぶち込まれるようなことも、まあ、やった。
だがなぁ、追放刑を食らうような重罪はやってなかった、つもりなんだが……街の区画整理だとか再開発だとかで問答無用とばかりに追い出されてなぁ」
ぼやくように言いながら、男が頭を掻く。
追放刑とは、文字通り住んでいた場所から追放されるという刑罰である。
現代日本の感覚であれば、なんだそれだけかと言いたくなるかも知れないが、この時代、この国においては死刑にも近いものがあった。
単に住処を追われる、というだけでは済まず、住民としての登録も剥奪されるのが追放刑の実態。
追われて流れ着いた場所で新たな居場所を獲得できればなんとか生き延びることも出来るが、まともな戸籍制度もないこの時代、この国において、それは容易なことではない。
身元の保証もない怪しい人間に対する目は、山賊の類いに向けられるものと大差は無い。
まして、彼らは見た目からして『いかにも』なのだから。
「だから、まっとうな場所でまっとうに食っていける仕事にゃありつけねぇと思ってなぁ」
「それで現場仕事を牛耳って稼ごうとした、ってわけかい。流石にそれは、考えが浅いっつーかなんつーか」
「わかってるよ兄弟、俺だってわかってんだ。だがなぁ、女房子供がいる連中もいるんだ、どうにかして少しでも稼ごうと思ったら、なぁ」
「あ~……それは、まあ、わからんでもない、が」
大男の言葉に、カシムは言い淀む。
カシム自身も色々あって、家庭を持とうかという話も出てきているため、他人事とも言いがたい。
ちなみに、相手は一緒に流れてきた後にお針子としてルーカスに雇われた女性の一人である。
そんなカシムからしてみれば、完全な他人事、とも思えなかった。
「わかった、流石に現場の仕切りは任せられねぇが、食うに不自由しない稼ぎはなんとかなるさ。
何しろ雇用主であるプランテッド伯爵様のご息女がここにいらっしゃるんだからな!」
「……は? あ、え、まさか、このお嬢ちゃんが、噂のニコール様だってのか!?」
カシムの言葉に、大男は……いや、彼と共に腕相撲に挑んだ面々も、驚愕の表情を浮かべていた。
何しろ伯爵と言えば中位から上位に位置する貴族であり、中でもプランテッド家は高位貴族である侯爵に手が届きそうな位置に居る貴族だ。
末端の男爵ですら遙かに目上という生活を送っていた彼らからすれば、直接言葉を交わすことすら一生に一度あるかないか。
ましてや。
「……え、俺、伯爵令嬢様の手を……?」
隣で聞いていた男が、呆然とした声で呟きながら、まじまじと自身の手を見つめる。
言われてみれば、確かに握ったあの手は、今まで握ったことのあるどの女の手とも違った。
細くて、柔らかくて。
……ただ、その根底には、何か通じる強さもあって。
守られるだけのか弱い存在ではない、そのことだけは、よくわかる。
「あ! そういやお前、お嬢さんの手を握ったよな!?」
「そうだ、お前だけずるいぞ!」
しみじみと思い返していたところに、野暮な声が割って入る。
それはまあ、触れることなど出来るわけもないはずの伯爵令嬢、しかもすこぶる付きの美少女の手を握ったとなれば嫉妬を買ってもしかたあるまい。
「こうなったら手を握らせろ、感触を奪ってやる!」
「ばっ、ふざけんな! んなことさせるかよ!!」
言ってしまえば、アイドルと握手をしたことがあるようなものである。
その貴重な体験のおこぼれが欲しい、何なら塗りつぶしてやりたい、という薄暗い情念の元に野郎どもが殺到する。
ちなみに、リーダー格の大男も手を握ったのだが、流石に彼は怖いのか、誰も押しかけないでいる。
てんやわんや、あわやまた乱闘騒ぎか、と思われる程に空気が過熱したその時。
「はいはい、ストップストップ」
ぱんぱん、と話題の中心であるニコールが、手を軽く叩きながら割って入った。
その地位を知った今となっては、流石の荒くれどもも言うことに従い、しばし大人しくなる。
左右を見渡して、騒ぎが一旦落ち着いたと見たニコールはにっこりとした笑みを見せ。
「皆様のお気持ちは、よくわかりました。
でしたら、こちらに居るカシムの指示に従うという条件付きで、皆様との握手会をいたしましょう!」
「は?」
間抜けな声を零したのは、カシムである。
もちろん彼としては、ここにいる男達が部下になることは異論が無い。
少々粗野ではあるが、根は気の良い連中である、指示に従ってくれれば、きっと良い戦力になることだろう。
だが、その条件が、ニコールとの握手会とはどういうことだろう。
そもそも、握手会とはなんぞ。
呆然としているカシムの目の前で、事態は動いていく。
「あ、もちろんただ働きということではございません。皆様にご満足いただけるよう、プランテッド領の相場に合わせたお給金をお支払いいたしますので、ご安心を!」
「ちなみに、給金の条件はこちらになります」
大風呂敷を広げたニコールの隣でベルが提示したのは、人足としては破格のもの。
エイミーという生きた証人の情報を元に作成した条件は、西部から追われた彼らからすれば、信じがたい厚遇だった。
となれば、男達の目の色も変わってしまうのも仕方ない。
「さあ皆様、是非ともしっかり働いてくださいまし!」
信じられないような顔をしている彼らの前で、ニコールだけが当たり前のように笑っていた。




