まさかの切れ味。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよお嬢様! なんだっていきなり首突っ込んできてんですか!?」
一番最初に立ち直ったカシムが、プランテッド側の総意を代表して声を上げた。
何しろむさい男共が力比べをやっている最中だ、貴族令嬢であるニコールが近づくような場ではない。
まして、参加しようなどと、誰が思うだろうか。
「あら、だって何やら楽しそうなことをやっているのですもの、気になっても仕方ないと思いますわ?」
……いた。ここに一人。
しかも、どうやら先程の参加表明は冗談でも何でもなかったらしい。
「それにほら、わたくしこう見えても、腕相撲は強いんですのよ?」
そう言いながらニコールはぐっと腕を曲げて見せるのだが……当然、そこには秘めたる筋肉が盛り上がったりはしていない。
無駄に貴族令嬢らしい細腕があるだけである。
「いやいや、そんな細っこい腕で何を……ほら、ベルさんも何か言ってくださいよ!」
どうやら説得が難しいとみたカシムは、付き添っているベルへと縋るような目を向けるのだが。
諦めたような顔で目を伏せたベルは、ゆっくりと首を横に振った。
「残念ながら、お嬢様が腕相撲を得意となさっていることは事実です。以前、マシューさんに勝ったことがありますし」
「……は? マシューさんって、あのマシューさんですかい?? え、う、うそでしょ……?」
真顔のベルから返ってきた思わぬ言葉にカシムは絶句し、信じられないものを見るような目でニコールを見る。
そのニコールは、得意満面の笑みを浮かべ。
「とは言いましても、両手でのハンデをもらってですけども!」
「な、なるほど、そりゃぁ……って、いやいや、それでもやっぱおかしいですよね!?」
納得しかけたカシムだが、慌てて首を振った。
何しろカシムはもちろん、マシューでも片腕で持ち上げられそうな程にニコールは細い。
腕は勿論のこと、全体的に細く、恐らく令嬢としても軽い方だろう。
その彼女が、隠してはいるがああ見えてかなり鍛えているマシューに勝つとは、例え両手を使っているとしても信じがたいものがあり。
そして、もっと信じられない人間がこの場にはいた。
「わはは、おもしれぇこと言うお嬢ちゃんじゃねぇか! いいぜ、次の相手はお嬢ちゃんだ、両手のハンデつきでな!」
「おい、何勝手に決めてやがんだ!」
「まあ、ありがとうございます! わたくし精一杯頑張らせていただきますわ!」
「お嬢様もほんとに受けないでくだせぇよ!?」
がははと下品に笑いながら大男が言い出せば、カシムが抗議の声を上げるのに割り込むようにニコールが承諾してしまい、カシムとしては頭を抱えるしかない。
これがどこぞのお坊ちゃんでもしゃしゃり出てきたのならば、ぶん殴ってでも止めているところ。
ところが相手は大恩あるニコールだ、まさかそんな手段を取るわけにはいかない。
羽交い締めにするのも恐れ多く、口で止めるしかないのだが、その口で彼女に勝てるわけもない。色々な意味で。
最後の頼みの綱であるベルまで諦めているのだ、もはやカシムに出来ることはなかった。
いや、一つだけあった。
「い、いや、まだ大丈夫だ、お嬢様が負けても後二人で勝てばいいんだから……」
これでニコールが負けても一勝二敗、あと二人が勝てば三勝二敗で勝ち越せる。
そんな算段をし、最後は自分が出るとしてあと一人を厳選して必勝態勢を作ることが、彼に残された出来ることだった。
そんな彼の悩みを知ってか知らずか、ニコールはそれはもう楽しそうな顔でベルに袖まくりをしてもらい、肘をテーブルに衝いていた。
「おいおい、こりゃ握っただけで潰れそうな手してんなぁ!」
対戦相手の男が向かいに立ち、ニコールの右手を握る。
見た目通りにほっそりとした柔らかな感触に驚き、そこへ左手も重ねられてドギマギしてしまった内心を誤魔化すために揶揄うような声で圧をかけるも、ニコールに動じた様子はない。
そのことに、違和感を感じたのは果たして何人いたことか。
周囲を大男に囲まれ、正面から凄まれて。
なのに、蝶よ花よと育てられていそうな若い貴族令嬢が、怯んだ様子もなくにこやかな笑みを浮かべている。
あまりに当たり前にしているから、そのことにほとんどの者が気づけなかった。
「お嬢様、ほんとにいいんですね? いきますよ?」
「ええ、もちろんです。いつでもどうぞ!」
「ああもう、そっちもいいな!?」
「おうともさ、早く始めてくれよ!」
審判役の男も困惑しきりながらも二人に確認を取って。
もうどうにでもなれ、と一つ深呼吸をした。
「レディ、ゴー!」
二人の手をポンと叩いてから、開始の合図。
途端。
男の体勢が、かくん、と崩れて。
こてん、と男の右手の甲がテーブルについていた。
その光景に、しん、とその場が水を打ったように静まり返る。
「……え? え、え?? お、お嬢様の、勝ち……?」
「やりましたわ~!!」
目にした光景が信じられない審判が、疑問符を大量に並べながら勝利を告げればニコールは快哉の声を上げながらガッツポーズ。
負けた男は茫然自失、周囲の誰も一言も発することが出来ない中、一人ベルが諦めの溜息を吐きながらパチパチと小さく拍手をしている。
あまりにシュールな光景が、果たして何秒ほど続いたか。
「い、いやまて、おかしいだろ!? なんだ今の!? イカサマじゃねぇのか!?」
リーダー格の大男が声を上げるが、誰も答えることが出来ない。
唯一答えることが出来るはずのニコールは、えへんと胸を張りながら得意げな顔を見せるばかりだ。
「あら、イカサマとは人聞きの悪い。何でしたら、あなたもやってみますか?」
「おうともさ、望むところだ!」
売り言葉に買い言葉、ニコールが挑発すれば、誰もが止める間もなく大男が応じる。
あれよあれよと二人が対峙し、テーブルの中央で手を組んで。
「レディ、ゴー!」
仕方なしに、流れを止めることもできないまま審判が開始の合図をした。
その声と同時に、大男はぐっと力を入れてニコールの手を巻き込むようにしながら腕を倒そうとした、のだが。
急に、その手から力が抜けた。
彼が全力をぶつけようとした瞬間、ニコールの手は、完全に脱力。
巻き込もうとしていた男の手首は力の行き場を失い、かくんと折れ曲がって力が抜けてしまったのだ。
その無防備に折れ曲がった男の手首の関節を両手で極め、ついでにワン直伝のツボを押しながら男の腕を返せば、先程と全く同じ形で、ことんと男の手の甲がテーブルに落ちた。
「お、お嬢様の、勝ち……?」
「またやりましたわ~!」
二度目とあって、先程に比べれば疑問符はなくなっているが、それでも狐につままれたような顔で審判が告げれば、ニコールはまたも無邪気に勝利を誇る。
それから、びしっと敗者である大男に指を向けて、高らかに告げた。
「おわかりになりまして? 今のはイカサマではなく、護身術のちょっとした応用ですわ!」
「ちょっとした応用であんなになるかぁ!? いやまて、もう一回、もう一回だ!」
ニコールの説明に、もちろん納得の出来ない大男は食い下がるのだが。
その目の前に、すっとカシムが立ちはだかった。
「いんや、もう終わりだ。 今のでこっちは三勝目、勝負あったからな!」
「……あ」
カシムの宣言に、大男は今更ながらに気付いたような声を漏らし。
理解したのか、ばしんと音を立てながら自分の額をはたく。
「ああくっそ、やられた! まじで何なんだよ、このお嬢ちゃんは!!」
嘆くように、呆れたように天を仰いで声を上げる。
だがその響きには、素直に負けを受け入れたような潔さがあった。




