無責任会頭の密かな爆誕。
エイミーとサーシャの二人が、それぞれに着実かつ迅速に成果を上げている間、別邸に残っているニコールは左うちわで報告をただ待っている……わけでは、流石になかった。
本来の出資者であるジョウゼフの代理として商会を取り仕切らなければならないため、書類仕事は山盛り。
そのため、彼女一人が遊んでいるわけにはいかないのである。
ないのだが。
「さあさあおじさま、こちらの方もお願いいたします!」
「おいおい、まだあるのかい、ニコール嬢ちゃん。おじさんももう歳なんだから、勘弁してくれよなぁ」
本来であればニコールが着席しているはずの机には、一人の男性。
長身で細身、若干威圧感の強い顔立ち。
少々言葉遣いはざっくばらんだが、着ているものは品が良く、腕の良い職人が仕立てたものであることがわかる。
そして何よりも、その処理速度。
ややもすれば、相当な処理能力を持つジョウゼフにすら勝るとも劣らない速さで、次から次へと書類が処理されていく。
「何をおっしゃいます、流石は音に聞こえたアンカーリヤ伯爵様。流れるように次から次へと処理されていくご様子、とても勉強になりますわ!」
「よしてくれやい、くすぐったくて仕方ないねぇ」
ニコールの賞賛に、むず痒そうに返しながらも悪い気はしないらしく、若干手の早さが増した感すらある。
アンカーリヤ伯爵は、領地を持たない宮中伯であり、ラフウェル公爵の実の弟である。
兄に万が一のことがあった場合には公爵家を継ぐ、悪く言えばスペアとして育てられ……結果として、その必要がなくなった男だ。
だが彼はそれを一切恨むこともなく、また、兄から領地割譲の申し出があったのも断り、宮中伯となって様々な部署を歴任。
公爵家当主にもなり得るだけの知識教養、執務能力をもって政務、法務、財務、更には軍務に通じ、おまけに芸術方面にも明るい、と実にマルチな活躍をしてきている。
「にしても、やっと宮仕えも終わったと思ったら、次は民間でのお仕事がくるんだからなぁ。もてる男はつらいよってなもんだ」
「この場合は、できる男は、の方が正しい気もしますけども。
それに、お忙しいのは今だけですよ。一通り教えていただいた後は、顧問として悠々自適にお過ごしいただく予定ですし」
「そのためにも、嬢ちゃんには可及的速やかに身に付けていただきたいんだがね?」
「すみませんおじさま、わたくし難しい言葉はわかりませんの」
ぼやくように言う伯爵へと、ニコールは気にした風もなく冗談めかして返す。
伯爵も気を害した様子もなく笑っている辺り、かなり気安い関係なのだろう。
「しかし嬢ちゃん達も面白いことを考えるもんだなぁ。
無駄を極力省いて最適化しつつも既存の商会の指示系統は基本残して、その上に総元締めとなる商会を新たに設立、プランテッド家の人間である嬢ちゃんがその会頭となる。
商会の会頭達は支店長扱いにはなるものの、基本的には権限も待遇も変わらない。むしろ責任の一部が嬢ちゃんに移行するから楽になるくらい。
人事権は握られるが、解雇に関する規定を明文化して、まっとうに働いてりゃそうそう首を切られない保証もしている、と」
「何しろこれだけ大きな変革ですからね、あまりあちらにごねられても困りますもの。
それに、誰も損をしないのであれば、それが一番ではございません?」
手にした書類を眺めながら感心した声でアンカーリヤ伯爵が言えば、ニコールはあっけらかんと笑いながら返す。
そんな彼女へと伯爵は苦笑を見せながら、ゆるりと首を横に振って見せた。
「いんや、一人だけいるじゃないか、貧乏くじを引かされてるのが」
「あら、誰ですの?」
「わかってるんだろ? お前さんだよ、ニコール嬢ちゃん」
そう言いながらアンカーリヤ伯爵は、手にした書類……組織の概要が書かれたものを指し示す。
それを見る限り、文字通り各商会を傘下に入れた、トップダウン式の組織図に見えるのだが。
「各支店長の人事権は握りつつも、基本的にはその業務に対する指示・命令は行わず各支店の方針を尊重。
そのくせ管理責任だけはあるから、各支店から上がってくる数字を監視して適正な業務が行われてるか、神経を張ってないといけないだろ?」
「それはもう、業務の細かいところや勘所は、わたくしではわかりませんからね。今までの会頭さん達にお任せした方が間違いがないというもの。
こちらは数字を眺めていればいいだけですし、幸い、数字から色々読み取る能力が高い方が補佐についてくださいますしね!」
「はっはっは、数字を読むのもお任せで、後はサインをするばかりってかい?」
ニコールの無責任な発言に伯爵は笑って返すが……本当に彼女が全てを丸投げするとは思っていない。
そもそも本当に丸投げするつもりならば、本社の会頭などには就かないはずなのだから。
「それで全て終われば、実に気楽な稼業でよいのですけれども……流石に何も考えずサインばかり、というのは問題がございますでしょう?
かといって、きちんと書類に目を通すにしても、それこそまだまだ未熟なわたくしでは、勘所もわかりませんし」
「おまけに新しい枠組みを作ってとなると尚更だろうねぇ。だから俺を顧問にってのは、いい目の付け所だと思うぞ?」
そう言ってアンカーリヤ伯爵は、にっかりと笑って見せる。
こうして書類を処理していても、既存の商会とは違った処理をしなければならない場面がちょこちょこある。
今後各支店から上がってくる報告を監査するとなると、今までの前例を参考に処理しようにも、そもそも前例がない、なんて事態も起こるだろう。
そんな場面において、法律に詳しく財務にも携わって様々な数字に触れた経験もあるアンカーリヤ伯爵は、総合的な視点から的確な判断を下せる人間としてはこの国でも有数と言って良い。
エイミーに言わせれば、よくこんな人物を引っ張ってこれたなと感心するくらいである。
それもこれも、ラフウェル公爵との付き合いから生じた縁ではあるのだが。
「本当に、おじさまがたまたま最近になって退任なさってお時間があった、なんて偶然がなければ、お越しいただけませんでしたからねぇ。巡り合わせに感謝ですわ!」
「そう言われると悪い気はしないんだが……何だか以前から狙われてた気がするのは気のせいかねぇ」
「まあ人聞きの悪い。確かにおじさまとお仕事出来ればとは思っておりましたが、そこまでギラギラとは狙ってませんよ?」
「てことは、チラチラ程度は狙ってたとも聞こえるんだが?」
アンカーリヤ伯爵がジト目でニコールを見るも、ニコールはオホホと笑って華麗にスルー。
急にやる気を出して、「次はこの書類にいってみましょー!」などと言い出す始末である。
「まあいいんだけどな。……ああ、この書類はさっきの奴とほとんど一緒だな。
丁度良いや、勉強の成果を見たいから、嬢ちゃんやってみな?」
「あらまあ、いきなりですの? ええと、この処理は……ああ、先程あったあれと類似してるわけですね。
確か決済済みの棚のここに……ありましたありました。で、これはこうだから、こうして……」
手渡された書類を受け取って、しばし目を走らせたニコールは迷うことなく棚へと向かい、目当ての書類を見つけた。
それを参考に、手渡された書類と格闘することしばし。
確認を、と書類を戻されたアンカーリヤ伯爵は、一つ一つ丁寧にその処理をチェックして。
「……うん、問題ないな。これはこの処理の仕方で間違いない」
「よかったですわ、いくら失敗はつきものと言えども、最初からけちょんけちょんに言われるくらい失敗してたら、わたくし立ち直れないところでした!」
「いやぁ、嬢ちゃんに限ってそれはないんじゃないかなぁ」
軽口を返しながら、伯爵は改めて書類を眺める。
いきなり渡したというのに、そして、つい先程教えたばかりだというのに、考えはすれども迷いはせずに処理をして見せたニコール。
恐らくプランテッド家でもそれなりに書類仕事を手伝っていたのだろう下地と、飲み込みの速さによるものなのだろう。
王都で出仕すれば、あちこちの部署から引く手あまたとなること間違いなしの能力。
それを、若干16、7の令嬢が見せたのだから、驚きに値するというものだろう。
「この分だと、思ったよりも早くのんびり顧問が出来そうだなぁ」
「ふふ、無理を言って来ていただいたのですから、それこそ可及的速やかにそうなっていただかないとですわね!」
「何だよ、やっぱり意味わかってんじゃねーか」
きりっとした顔でニコールが言えば、笑いながら伯爵がツッコミを入れた。
だが、実際に今日処理する予定だった書類はもう残り僅か、全体の進行としてもかなり前倒しで進められそうである。
これならば、もう少しペースを上げてもいいくらいだろうか。
「よーし、じゃあ次いってみよう!」
「はい、おじさま!」
そう宣言すると、アンカーリヤ伯爵は次の処理へと入り。
元気よく返事をしたニコールは、その処理を目に焼き付け、頭に叩き込んでいくのだった。




