色男の受難。
「さて、話が纏まったところで、善は急げ! カモン、マシュー!」
話が一段落付いたところでニコールがそう言いながら、指をパチンと鳴らす。
すると、バーンと食堂の扉が勢いよく開かれ、一人の男が入ってきた。
短く刈り込んだ黒髪、少々垂れ目だが二枚目と言っていい顔ぶり。
颯爽とした足取りで入ってきたその姿はどこぞの看板俳優かと思わせるもの。
「お呼びですか、お嬢様」
おまけに低めだが良く通り、若干甘い声。
そんな彼が恭しく頭を下げるのだから、難民の女性達は思わず見蕩れてしまった。
彼の名はマシュー・スモルパイン、プランテッド家で雇われている護衛兼御者である。
見慣れているのか、そんな彼へと特に動じた様子もなく、ニコールはあっさりと用事を言いつける。
「ええ、わたくし達は食後のお茶を楽しんでるから、その間にダイクン親方のところに『いい若い衆が居る』って伝えてもらって、それからルーカスのところへ訪問の先触れに行って戻ってきてちょうだい」
「はい? ……え~っと。連絡や先触れに行くのは勿論構わないんですが、行って、戻ってこいと」
「当たり前でしょう? だってあなたが居なかったら、乗っていく馬車が動かないじゃない」
「お嬢様達が、のんびりお茶してる間に? というか、お茶が終わる頃までに戻って来いと?」
「だって、食事をした後にすぐ動くのは身体によろしくないし、のんびりしてたら日が暮れてしまうわ?」
ニコニコとした笑顔でさも当然のように、若干鬼畜なことを言うニコール。
それに対してマシューと呼ばれた彼もまた、笑顔を見せていたのだが。
「んも~~! どうして! どうしていっつもそんな無茶ぶりするの、おせーて!」
いきなりクネクネと身を捩りながら、悲痛な叫びを上げた。
見蕩れていた女性達がぱちくりと目を瞬かせていると、全く動じていないニコールは相変わらずの笑顔で答える。
「それはもちろん、マシューなら出来ると信じているからよ? わたくし、出来ないことは言わないわ」
「出来ますけども! 出来ますけども!」
「では、早速ひとっ走り行ってきてちょうだいな」
「もーイヤ、こんな生活!」
突如始まったコントのようなやり取りに、周囲で見ていた難民達はオロオロとするばかり。
だが、周囲で見ている他の客や女将さんは慣れているのか、まるで気にしていないか笑いながら見ているか。
そんな中ベルが一歩ニコールへと近づき、顔を寄せるようにしながら口を挟んだ。
「あの、お嬢様。それでしたら、私が先触れに行ってきましょうか?
私の方がマシューさんより足が速いですし、そうしたら、お針子候補の人は三人ですから皆さん馬車に乗れますし。
恐らくそのままルーカスさんのところで預かることになるでしょうから、そこで私が入れ替わりに乗ればいいですし」
「え~、ベルがいなくなったら、誰がわたくしの面倒を見るんですの~?」
「ほいほい人を拾うお嬢様の自業自得です、ご自分でなんとかなさってください」
甘えたような声を出すニコール相手に、やはりベルはにべもない。
そんなベルへと、マシューはキラキラとした目を向けてきた。
「ベルさん、まさに救いの女神……俺のために……」
「いえ、マシューさんのためではなく、効率的な移動のためです」
すがるような言葉に、しかしやはりにべもない。
ガーンとショックを受けたような顔で固まるマシューを気にした風もなく、ベルはニコールへと向き直り。
「ではお嬢様、そういうことでよろしいでしょうか」
「仕方ないわね~……じゃあ、あちらで落ち合いましょう。ルーカスによろしくね」
「かしこまりました」
確認を取ったベルは、ニコールへと恭しく頭を下げ。
それから、固まったままのマシューへと視線を向けた。
「では、マシューさん」
「は、はいっ、ベルさん!」
声を掛けられ、何か期待するような眼差しを向けるマシュー。
しかしベルに慈悲はない。
「お嬢様の身辺をお願いします。腑抜けていたら後で容赦しないですよ」
「ひぃっ!」
ギロリと睨まれ、マシューは震え上がる。
彼とて伯爵家で護衛兼御者として雇われ、ほとんどニコールの専属となるくらいなのだから腕は立つ。
その彼が一睨みですくみ上がってしまう程に、ベルの目力は強かった。
意に介した風もなくベルはニコールへと向き直り頭を下げる。
「それではお嬢様、行って参ります」
「ええ、お願いね。あなたなら心配いらないと思うけれど、気をつけて」
「はい、ありがとうございます。では」
ニコールからの言葉を受けてベルは顔を上げ、ほんの少しばかり微笑みを見せて。
その姿が、消えた。
「……え?」
思わず、といった風の声が、誰かの口から零れる。
そんな間の抜けた声が出るくらいに、今目の前で起こったことが信じられなかった。
「まあまあ、ベルったら、また足が速くなったのかしら」
「なんか、どんどんワンさんみたいになっていきますね……」
「いいじゃないの、頼もしいことだわ」
のんびりとしたニコールの言葉に、マシューがぶるりと背筋を震わせながら応じる。
ちなみに、話題に上がったワンさんとは、ワン・チャンヤンというプランテッド家の庭師である。庭師の、はずである。
王国の遙か東から流れてきたという彼は何故か異様に投げナイフが上手く、素手で重武装の騎士も組み伏せるほどの腕を持つが、同時にプランテッド邸の庭を綺麗に保っている庭師である。
そのワンさんからベルは体術や投げナイフを習っており、彼を師匠として崇めている。
それでいいのか、とマシューは思ったりしているのだが、ニコールがよしとしているのだからいいのだろう。恐らく。
「さ、皆様おくつろぎの所をお騒がせして申し訳ございませんでした。
しっかりお腹も膨れたようですし、一休みしましたらお針子候補の皆様は移動しましょうね」
と、先程までベルにだだをこねていたとは思えない程良い笑顔を見せてから。
何かを思い出したようにマシューへと振り返る。
「あ、そうそう。マシュー、ダイクン親方のところには行ってちょうだいね」
「んもうっやっぱり走らされるんですねぇ~!!」
そんな主従のやり取りを、当事者であるはずの難民達は呆気に取られた顔で見ていた。