業務開始。……のはずだったのに。
ベイルード伯爵の指示によるものか、到着したその日以降、彼が差し向けたと思しき工作員はぱたりと姿を見せなくなった。
もちろんジョウゼフを始めとする大人組は、それでも油断することなく『悪い虫』が来ていないか警戒はしているのだが、彼らの網にかかってはこない。
「エルドやワンさんで見つけられないのなら、来ていないのですわ!」
とにこやかに言い切ったニコールは、二日目以降夜は早めにぐっすりと就寝している。
ワンですら一目置く彼女の直感が何もないと告げているのだ、恐らくそうなのだろう。
そう結論づけたプランテッド領から来た面々は、本来の業務へと取りかかっていった。
ジョウゼフと新たに付けられた補佐官三名は行政の立て直しとそのための情報整理。
エルドバルも当初はそれを手伝っていたのだが、数日様子を見て補佐官達の能力を見極めた後、イザベルの補佐をすべくプランテッド領へと戻っていった。
そしてニコール達は、商会立て直しのために動き出したのだが。
「もお~~! 何なんですかこの帳簿! 杜撰とかそんなレベルじゃなく滅茶苦茶ですよ!」
程なくして、倉庫に設えられた仮設事務所の中でエイミーがぶち切れた。
普段温厚な彼女が噴火してしまうくらいに、旧パシフィカ領の商会は、特に土木事業に関わっていた商会は酷かった。
特に会計士資格を持ち帳簿を見ることに長けているエイミーの目には、その酷さがより明確に見えてしまったのだろう。
「いや、エイミーさんがぶち切れるのもわかります、素人のあたしでも酷いってわかりますもん」
「わかりますか、わかってくれますか、サーシャ様!」
エイミーと簡素な机を並べ帳簿整理を手伝っていたサーシャがそう零せば、エイミーは我が意を得たりとばかりに目をぎらつかせながら顔を向け、肩を掴む。
ルーカス曰くの清楚なエイミーであれば普段は絶対しないようなスキンシップが出てしまう辺り、相当にお冠なようである。
そんなエイミーの剣幕に、あははと冷や汗を滲ませながらもサーシャはこくりと頷いて見せた。
「ええ、まあ。例えばこことかこことか……色々誤魔化してますよね?」
「そうなんです、多分ここの助成金を割り振る時に懐に入れるためなんですよね……それがわかるのもまた、腹立たしくて!」
サーシャに書類を見せながら、ぺしんぺしんと該当箇所を指で突いて見せるエイミー。
怒り心頭な彼女には申し訳ないが、そんな仕草がなんだか可愛い、などとも思ってしまう。
ただ、年上のお姉さんであるエイミーに対してそんなことを思っているとバレてもよろしくないので、黙っているが。
「エイミーさんのお怒りもごもっとも、わたくしですら呆れるほどのいい加減さですからねぇ。
そもそも、お金の流れ、人の動きに無駄が多すぎます。恐らく、これも誤魔化しのためなのでしょうけども」
二人のすぐ近くで報告書類を確認していたニコールも、彼女にしては珍しくぼやくように言いながら目を通していた書類の束を机の上に放り出す。
書かれている内容が不正確だったり辻褄が合わなかったり。
酷いのになると、同じページの中で矛盾したことを平気な顔で書いていたりするのだからたまらない。
しかもそれが、一般事務員などではなく管理職にあるものが書いたものとくれば、どんな教育がされていたのだと頭が痛くなる程。
「管理職といえば、不要な管理職も多すぎます。ちょっとした決済にも複数のサインがありますし……そもそもろくに見ずにサインしたり決済印押してますわよね、これ」
「それもう管理してない管理職じゃないですか……まったくもって笑えないですけども」
ニコールの嘆きに、ひくりと口の端をひくつかせたサーシャの背中に冷や汗が流れる。
そんな管理職の姿は、前世にいやという程見てきた。それがまさか、転生した後にまでつきまとうとは。
思い出したくないあれこれが脳裏に浮かび、サーシャの顔色はうかないものへとなっていく。
「大丈夫ですよ、サーシャさん。こんな方々の下にあなたを配置したりいたしませんから。
というか、この管理職と名乗っていた方々には、再教育が必要ですわねぇ」
「え、再教育って、雇用を継続なさるんですか? リストラしちゃってもいいと思うんですけど」
「りすとら??」
げんなりした顔でサーシャがこぼせば、ニコールがきょとんと小首を傾げた。
どうやら通じなかった様子に『あ、やば』と思いながら、サーシャは誤魔化しにかかる。
「ええと、以前聞いたことのある言葉で、不要な人をやめさせることっていうか。
本来の意味は、組織の再編とか再構築って意味のはずなんですけど、イコール大量解雇ってなっちゃうことが多かったらしくて」
たはは、と頭を掻きながらのサーシャの言葉に、どうやらニコールは誤魔化されてくれたようだ。
というか、サーシャが口にしたことに興味を引かれたらしい。
「ほうほう。組織の再構築、そのための大量解雇。
流石に大量解雇は望むところではございませんが、それくらい思い切って大鉈を振るう気持ちは重要ということですねぇ」
感心したように幾度か頷いたニコールは、また書類へと目を落とす。
ぺら、ぺら、と幾度かめくって。
別の書類を手にして。
また最初の書類に戻って。
今度は別の書類に目を通して。
そんな、無駄としか思えない作業を淡々と繰り返すことしばし。
「うん、無駄ですわね!」
どう考えても朗らかな声で言うべきではないことを、抜けるような明るい笑顔で言い切った。
ついでぽいっとまた書類を机に放り出し、とんとん、と自身の肩を叩く。
もちろん、肩こりするような歳ではないのだが。
その仕草から、サーシャは前世の記憶にある『肩たたき』を一人ひっそりと連想したりもしつつ。
「無駄、なのはわかりましたけど、じゃあどうしましょう?」
「正直なところ、絡まったスパゲティみたいにこんがらがりすぎていて、どこから手を付けたものやらですし……」
サーシャの問いかけに、少し落ち着いたらしいエイミーが普段に近い声音で追従する。
ちなみに、この世界にも多種多様なパスタはあり、中でも細長いものが好んでよく食べられていたりするのだが、それはそれとして。
二人の視線を受けて、ニコールはぶれることのない笑顔のまま。
「やっちゃいましょう、りすとら! それはもう、ぶわ~っとならぬ、ずば~っと!」
「「はい??」」
『ずば~っと』と言うのに合わせて、切り払うように手を左から右へと動かすニコール。
その思わぬ言葉に、サーシャもエイミーも呆気に取られたような声が出てしまい。
沈黙が落ちることしばし。エイミーが、我に返って。
「え、り、りすとらって、さっきの話からすると……大量解雇しちゃうんですか!?」
あまりにニコールらしくないその決断に、思わずエイミーは悲鳴のような声を上げるのだが……しかしニコールは、ある意味やはり、首を横に振った。
その仕草に、エイミーは思わずほっと吐息を零したりする。
「解雇はいたしません。……極力、という注釈はつきますけども。
ともかく、ずば~っとやるべきは、人ではなく、組織です!」
「組織を、ずば~っと、ですか?」
まだ合点のいっていないらしいエイミーに、ニコールはこっくりと頷いてみせる。
隣で聞いているサーシャは……現代知識のある彼女は、ニコールの言わんとするところを理解できていたりするが。
「ええ、組織を。率直に申しまして、こんなにたくさんの商会、要りませんよね?
例えば土木関連の商会だけでも数十。それでいてやっていることは一つの指揮系統にあるがごとく上意下達。
だというのに建前は違う商会だから無駄に書類が行き交い、処理が増え……ここまでくるともう、わざと無駄を増やしているとしか思えませんね!」
あまりに朗らか、あまりにあっけらかんと言うニコール。
……もしかして、怒ってるのだろうか。そんなことを、サーシャなどは思う。
もしもそうであるならば。
「ということで、ばっさりずば~っといかせていただきましょう!」
きっぱりとそう宣言するニコール。
ふと、サーシャは思い出した。
大人しい人ほど怒ると怖い、という前世の言い回しを。
恐る恐る見れば、ニコールの目は、笑ってない、気がする。
「……これ、もしかして大変なことになる……?」
小さく小さく。ニコールに聞こえないように小さな声で。
サーシャは、ぽつりと呟いたのだった。




