一日の終わりに。
その後、飲み物を取りに行ったエイミーが気を落ち着けようと勢い込んで飲んだら少々強めのお酒で、飲んだ結果色んな意味でフラフラになってしまったなんてことがあったりしつつ。
バーベキューは無事に終わり、お開きとなった。
やはり好奇心が捨てきれなかったか倉庫の雑魚寝組をじっと見ていたニコールを回収したベルは、ぶぅぶぅ言う主を割り当てられた部屋へと押し込んだ。
お風呂はまだ使えないため、桶に汲んだお湯を使ってニコールの身体を手ぬぐいで拭いていく。
「お嬢様、次は右腕を上げてください」
「はいはい。……ふふ、なんだかこうしてベルに身体を拭いてもらうのは久しぶりね」
「……そうですね、お屋敷ではいつもお風呂を使っていましたし」
恥じらうことも無く、裸の上半身を晒すニコールから、ベルは少しばかり目を逸らした。
普段から入浴の世話もしているため見慣れているはずなのだが……久しぶりに、寝室としてつかう部屋で、となると少々勝手が違うというか緊張してしまうというか。
若干複雑なベルの内心を知ってか知らずか、彼女の心をかき回す諸悪の根源は、当たり前のようにベルへと身を委ねているのが、なんとも憎らしい。
これでベルに悪戯を仕掛ける甲斐性でもあればまた話は変わるのだろうが、あいにくと鉄壁の職務意識が邪魔をする。
仕事は仕事、きちんとニコールの身体を清潔に保たねばならない。
色々な感情を押しとどめて、ベルはニコールの身体を綺麗に拭き上げた。
「はい、これで終わりです。明日も早いのですから、今日はもうお休みください」
「いつもありがとうベル、おかげでさっぱりしたわ。……でも、もうちょっとだけ起きてたらだめ?」
「だめです。お嬢様の『ちょっと』が本当にちょっとだった試しはありません」
夜着である動きの邪魔をしない薄いワンピースを着ながらニコールが上目遣いでおねだりすれば、ベルの手が一瞬止まる。
しかしそれも一瞬だけのこと。すぐにベルの手は動き出し、ニコールの寝る準備を推し進める。
程なくして、後は寝るだけ、という格好にされてしまい、流石のニコールも抵抗を諦め、大人しくベッドに入った。
「はぁ……本当にベルは頭が固いわ」
「固くて結構です。むしろお嬢様の相手をするなら、固いくらいでちょうどいいんですから」
唇を尖らせるニコールの肩まで布団を掛けながら、済ました顔でベルが答える。
実際、ニコールがやらかそうとしたところにベルがブレーキをかけて、良い塩梅になった案件も少なくはない。
まあ、大体の場合は押し切られてしまっているのだけれども。
これもまた務め、とベルが内心で自分に言い聞かせているところで、不意にその手にニコールの手が重なった。
「ベルの手はこんなに柔らかくてすべすべなのに」
「…………いきなり何を言い出してるんですか。手の柔らかさと頭の固さは関係ありません」
ぺしん、と軽くニコールの手をはたくも、自分からは解かない。
主人から触れられて、使用人が振りほどくなど無礼なこと。
……という言い訳を自分にしながら。
「ばかなことを言ってないで、さっさと寝てください。お嬢様が寝てくださらないと、私も寝られないんですから」
「あら、じゃあ一緒に寝ちゃう?」
「………………ですから。使用人である私が一緒になど、とんでもないことです」
思わぬお誘いに、ベルの動きが固まり、息が止まる。
なんとか持ち直して当たり障りのない返答でかわそうとするも、ニコールは中々逃してはくれない。
「小さい頃は一緒に寝てくれたじゃない」
「それは、お嬢様がまだ小さくていらっしゃったからです。もう成人もなさったのですから、そこはわきまえてくださらないと」
「わきまえてしまったわたくしなんて、わたくしらしくないでしょ?」
「それはそうなんですが、それでもわきまえてください」
そうしてくれないと、困る。色々と。口には出せない意味も含めて。
なんてことは、全く表情に出すこと無く。
ベルは、ニコールをベッドに押し込んだ。
「さ、明日も早くに起こしますから、大人しく寝てくださいね」
「はいはい、仕方ないわねぇ……おやすみなさい、ベル」
「おやすみなさいませ、お嬢様」
就寝の挨拶を交わして、ベルは部屋を出る。
そしてしばらく廊下を歩くと……ワンが彼女を待っていた。
「ベル、お嬢様はお休みになたね?」
「はい、先程。……ただ、すぐにはお休みになりませんでした」
ワンに向けて頷いた後、ベルは声を抑えてそう続ける。
すると、納得顔でワンも頷いて返した。
「そう。ということは、夜も『虫』が来るね、これは。
てことは昼の連中は、捨て石なだけでなく囮でもあたかな」
「かも知れませんね。ということで、着替えてきます」
「あいやー、ベルは寝てて大丈夫よ? ワンさん昼間馬車でぐーすか寝てたから、お目々ギンギンよ」
自身へあてがわれた部屋へと向かおうとするベルに、ワンが声をかける。
ベルは、クルリと振り返って。
「私は私で、ちょっと身体を動かさないと眠れなさそうで」
「あらら、それはそれで大変そうね。なら、ちょと身体動かしてすっきりするといいよ」
「ええ、そうさせてもらいます」
ワンに言われ、ベルは小さく微笑みながら微かに頭を下げ。
それから自室に戻って数分後、動きやすい服装に着替えた彼女は、夜の闇の中に音も無く飛びだしていき。
翌朝、牢に放り込まれている工作員が新たに数名増えていたのだった。
それから数日後、旧パシフィカ領西部にある邸宅。
ベイルード伯爵の拠点となった屋敷にある執務室で、執務机に座る彼は何とも楽しげに笑っていた。
「送り込んだ連中からの連絡が、完全に途絶えた、か。どうやらお人好しなだけの平和ボケしたおつむはしていないらしい」
長身痩躯、伸ばした銀髪を背中の辺りで一つに括り、無駄な装飾を排除した上品な衣服に身を包まれたその姿は一見普通の貴族に見えるのだが……纏っている空気に、どうにも剣呑なものが滲んで隠せていない。
どこかピリピリと、うかつに触れれば刺されてしまいそうな空気。
それが彼、ベイルード伯爵の内包するものなのかも知れない。
「まあ、これで潰せれば儲けもの、程度のつもりだったが……いやはやどうして、大した手並み。あちらの防諜能力が相当なものとわかっただけでも成果とすべきだな」
負け惜しみでもなんでもなく、本当に心からそう言っている声音で独り言を言いながら、彼は暖炉に書類を放り込む。
もしスタートで潰せるような相手であれば、と考えていたプランは使えなくなった。
ならば次の手を、と考えを巡らせる。
「これで報復行動が起こればそれはそれでよし。そうでなければまずは地道に地盤固めといこうか」
そう呟きながら、彼は分厚い書類の束を手に取った。
それは、この旧パシフィカ領に関する様々なデータ。
数年以上前から……例の騒動が起こるよりももっと前から集めていたデータが、今彼の手中にはあった。
「既に勝負は始まっている。いや、とっくの昔に始まっていたのだよ、プランテッド伯爵。
ただ、その相手が君だとは定まっていなかっただけで、ね」
芝居がかった口調でそう言うベイルード伯爵の顔には、傲慢とも言える程の自信が溢れていた。




