既に始まっていること。
「どうやら、ラスカルテ嬢もすっかり打ち解けたようだね」
どこか楽しげな声でいうジョウゼフの視線の向こうでは、得意げな顔のニコールにサーシャが何やらツッコミを入れている光景が未だに続いている。
それを見ている周りの使用人達や人足達も砕けた顔で笑っているその様子は、プランテッド領では見慣れたもの。
そこにサーシャが加わった形だが、もはや違和感はどこにもなく。
こくり、と執事のエルドバルが頷いて返す。
「左様でございますね、あの方ご自身が元々農民や職人などの平民と関わることが多かったということもあるのでしょうが。
これでラスカルテ様は『見知らぬ子爵令嬢』ではなく『お嬢様へのツッコミ役』と皆から認識されたことでしょう」
「我が娘ながら恐ろしいというか何と言うか……たった一日かそこらで、よそからやってきた貴族令嬢と労働者を隔てる垣根を壊してしまったわけだ。
おまけに多分あれ、計算なしの天然でやってるよね?」
「はい、恐らく。だからこそ、ああも自然に受け入れられているのでしょう」
肩を竦めて苦笑するジョウゼフと、うんうんと納得顔で幾度も頷くエルドバル。
彼もまた、ニコールシンパであった。もちろん主としてジョウゼフを最上位に置いてはいるが。
ニコールは孫娘だとかそういう枠なのである。つまり、目に入れても痛くない程の存在なのだ。
そんな彼女が、人に悟られることなく自然に子爵令嬢を仲間に溶け込ませるという離れ業を見せているのだ、相好も崩れるというもの。
「……前々から思っていたんだが、エルドは随分とニコールに甘くないかい?」
「滅相もございません。これはお嬢様に対する正当な評価からくるものでございます」
「それを人は、甘いと言うと思うんだがねぇ……まあ、いいけど」
しれっとした顔で言ってのけるエルドバルに、しかしジョウゼフもそれ以上は言わない。
彼もまた、ニコールには甘いのだから。
なんだかんだ結局甘い二人が、あれやこれや言いながらもニコール達のじゃれ合いを眺めているところに、一つの足音が聞こえてきた。
気付いた二人が振り返れば、この辺りではあまり見ない緩やかな衣服を纏うスラリと細身の男性……つまり、ワンがやってくるところだった。
「伯爵様、エルドさん、『お掃除』の第一弾終わたよ」
「ああ、ご苦労様、ワンさん。で、どうだったね?」
「別邸の中は誰か侵入したり工作したとかの形跡はなかったね。
ただ、外で隠れながらうろちょろしてたのがいたから、とっ捕まえたよ」
「……ほう」
ワンの報告に、ジョウゼフとエルドバルの目が少しばかり細められる。
途端に纏う空気も鋭さを帯び、もしもこの場に居合わせたものが居れば背中にびっしりと冷や汗をかいたことだろう。
もっとも、その二人の視線を受けるワンは涼しい顔なのだが。
「まだ全部は話させられてないけど、どうやら今日は下見で、本格的な工作は明日だたみたいね。
『正直になるお茶』も飲ませたから、もうちょとしたらペラペラしゃべり出すと思うよ」
「そうか、ありがとう。詳しいことがわかったら、また教えてくれ。
……しかし、今日が下見で、明日が本番だった、か」
しみじみとジョウゼフが呟けば、ワンはニコニコと楽しげに笑い、エルドバルはうんうんと納得した顔で幾度も頷いている。
「流石はお嬢様、こういった勘は本当に外しませんな。後一日遅かっただけで、状況が大きく変わっているところでした」
「そうね、何かされた後だと、いくらワンさんでも簡単には直せないよ」
例えば、別邸の中に罠を仕掛けられたら。そこまであからさまでなくとも、不慮の事故が起こりやすいよう仕掛けがされていたら。
そこまで直接的でなくとも、井戸やトイレが使えなくされただけでもこれからの業務には大きな支障が出て、出遅れてしまうところだった。
それを未然に防げたというのは、やはり大きい。
大きいのだが。
「しかし、ということは、だ。黒幕はニコールでも対応が紙一重になるくらいの判断スピードを持っている、ということになるね」
「であれば当然、使い捨ての現場要員に直接指示を出すような下手な真似もしていないでしょうなぁ」
げんなりとした顔のジョウゼフへとエルドバルも同意を示し、ワンからも否定の言葉は出てこない。
恐らく工作員を差し向けてきた黒幕であろうと考えられる人物、すなわち、ベイルード伯爵。
旧パシフィカ領西部を代理統治することになった、言わば今回の競争相手。
その彼が、早速裏工作を仕掛けてきた、ということなのだろう。
「やれやれ、不正行為があった場合は失格となるっていうのに、思い切りが良すぎないかねぇ」
「よほどバレないという自信があるのでしょうなぁ」
そう返しながら、キラリとエルドバルの目が光る。
プランテッド家にて諜報関係も担っている彼の情報収集能力は、極めて高い。
その彼からすれば、このような裏工作合戦など望むところというものだろう。
穏やかな顔の裏で、エルドバルはメラメラと闘志を燃やしだしたのだが……そこにワンが水を差した。
「それか、バレてもいい……いや、これはほんとの捨て石、最初から成功させる気がなかった可能性もあるね」
「……それは、陽動ということかい?」
思いがけないワンの言葉に、ジョウゼフは落ち着き払った声で問いかける。
普段は穏やかな彼だが、こうした時の雰囲気は貴族家当主の貫禄とでも言うべきオーラが強い。
もっとも、それを受けているワンは相変わらずの涼しい顔なのだが。
「もしかしたら、陽動ですらないかも? こっちがどうするかを見てる……試してるみたいな?」
「なるほどね、こちらがどんな速さでどう対処するか、対応力や判断力を見ようという腹か。
であれば、この早いだけの雑な仕掛け方も納得がいくね」
ワンの言葉を受けて、ジョウゼフは顎に手を当てながら少しばかり視線を下げる。
相手の本意はわからないが、捕まった連中が捨て石だった可能性は高い。
聞いた人数は少なく、例えばジョウゼフやニコールの暗殺などにはとても足りないところ。
伝え聞くベイルード伯爵の性格を考えれば、ただの無駄に終わる手は打ってこないところだろう。
「……気に入らんやり口だな」
ぽつり、と零す。
工作員達は端からその命を落とす前提でここに派遣されていた。恐らくそのことは告げられずに。
それは、ニコールはもちろんのこと、ジョウゼフの流儀にも大いに反するところ。
そんな手を、まだ序盤も序盤のこの段階で、趨勢がどちらにも傾いていないこの段階で打ってきたことも気に食わないところだ。
「確かに気に入りませんが、直接殴り返すわけにもいかないのが何とももどかしいですな」
「お、エルドさんもやる気ね? ワンさんも殴りに行きたいとこだけどね~」
ケラケラと軽く笑ってみせるワンだが、チラ、チラ、と横目でジョウゼフを伺うあたり、行けと言われれば行ってしまうつもりなのだろう。
だが、如何に気に入らないとはいえ、まさか早速報復措置に出るわけにもいかないところだ。
「ワンさん、君はうちの切り札なんだ、軽々しく切るもんじゃないよ」
「あいやー、伯爵様にそう言われたら仕方ないね、ワンさん大人しくしてるよ」
ジョウゼフが肩を竦めながら冗談めかして言えば、上機嫌な顔でワンもあっさりと引いた。
ワンとてわかっているのだ、今はまだその時ではない、ということを。
「とはいえ、『害虫掃除』はやってもらわないとね。それは任せたよ」
「それはもう、ワンさん得意だからね、お任せあれよ」
「エルドは、あちらの情報収集を頼む。どんな手を打ってくるのか、出来る限り事前に掴みたい」
「かしこまりました。随分と思い切った手も打ってきそうですから、微に入り細を穿つ程に集めてまいりましょう」
ジョウゼフが指示を出せば、二人はそれぞれに頷いて返す。
普段は穏やかで人格者なジョウゼフだが、それは刃を持たないということでは決してない。
振るうべき時には、果断に振るうことも出来る男なのだ。
表面は穏やかなものの、どうにも剣呑な空気が張り詰めた、その時だった。
「お父様~! エルドもワンさんも! お夕飯の支度が出来ましたわよ、こちらにいらしてくださいな!」
突然、明るい声がその空気を破った。
見ればニコールが手を振っているその後ろ、倉庫の前にいくつものバーベキュー用グリルが設置されていて、既に炭も熾された状態になっていた。
後はもう、焼くだけ。ニコールだけでなく使用人達も人足達も、取り皿を片手に待機している。
そして、まさか当主であるジョウゼフを抜きにしては始められない、というところなのだろう。
「ああ、わかった、すまないね、すぐにいくよ」
表情を切り替えて、いつもの表情に戻ったジョウゼフは、エルドバルとワンを引き連れて、バーベキューグリルへと向かうのだった。




