耐性のない人間の当たり前の反応。
「ニコール・フォン・プランテッド様からスカウトされました」
「は?」
ニコールとのまさかの出会いから数日後。
視察の報告をしようとしたサーシャの第一声がそれであり、それを聞いた子爵は間の抜けた声を出して硬直するしかなかった。
気まずそうな顔のサーシャの対面に座り、絶句することたっぷり30秒ほど。
たらり、と子爵の額を冷や汗が伝い、それが頬に流れたことで意識が戻ったか、はっと大きく息を吐き出した。
「な、何がどうなったらそうなるんだ!?」
「私が聞きたい! いや、実際その場にいたんだけども、理解出来ない!」
悲鳴のような声をあげる子爵へと、サーシャもまた声を張り上げ言い返す。
サーシャが報告のためにやってきたラスカルテ子爵家執務室は混乱の極みにあった。
状況が想定からあまりにも……あまりにも斜め上方向に天高くずれてしまったのだから、仕方ないと言えば仕方ない。
「サーシャ、お前は確か、視察という名の様子見にいったんだよな!? なのになんでプランテッド様のご令嬢にお会いしただけでなく、仲良くなった挙げ句にスカウトされて帰って来てるんだ!?」
「だからこっちが聞きたいんだってば! 視察も視察で、自分で調べるはずだったあれこれの情報、細かな数字までよくわかる資料をお土産にいただいちゃったわよ!」
そう言いながらサーシャは勢いよく書類の束を取り出し、子爵の執務机に叩きつけ……かけて、はっと我に返り軟着陸させる。
中身が重要なのはもちろんのこと、この書類を用意するのにどれだけの手間がかかったか推し量られ、乱暴に扱うわけにはいかないと思い直したのだ。
あの後ニコールに拉致られて向かったのは、プランテッド伯爵邸。
そこでいきなりジョウゼフ・フォン・プランテッド、つまり伯爵家当主との面会までもが実現した上に、彼からの許可により普通は部外者に見せないであろう情報まで提供されてしまったのだから堪らない。
「そこまでの扱いをお前が受けたとあっては、最早うちに選択肢はないも同然、プランテッド様に乗るしかない!」
「全く以てその通りだからそこはごめん! 腹を括る時間くらいはもうちょい欲しかったよね!?」
「淑女が『腹を括る』だなんて言葉遣いをするんじゃない!」
「つっこむとこ、そこ!?」
アポなしでふらりとやってきた格下の子爵家令嬢に対する扱いとしては、下にも置かぬと言っても良い丁重な扱い。
それを受けておいて、今更『やっぱりちょっと考えさせてください』などとはとても言えないところ。
いや、強引に伯爵邸へと引っ張り込んだのは伯爵家令嬢であるニコールなのだが。
実情はともかく、形としては寛大に受け入れられたことになるのだ、失礼な返答など出来るわけがない。
「まあ、頂いた資料を見る限り、プランテッド様との取引を増やすに問題はない、どころかメリットが大きいとすら言えるのだから、乗った方がいいのは間違いないんだが……何だか釈然とせん!」
「そこは飲み込んでよ、大人でしょ、下の上貴族でしょ!」
「やめんか、真実は時に人を突き刺す針になるんだ!」
うぐ、と痛みをこらえるように胸を押さえるラスカルテ子爵。
持ち直しつつはあるものの、未だに大した財力もない木っ端貴族、意地を張り通すなど出来るわけもない。
であれば長いものに適度に巻かれるのは処世術。それは、わかっている。わかってはいるのだ。
少しばかり、それでもまだ残っているプライドが引っかかっているだけで。
まして今回は完全に娘であるサーシャ一人の功なのだから、なおのこと。
「それに、この話は出来すぎと言えば出来すぎだからなぁ……少し身構えてしまうのもわかるだろう?」
「まあ、ねぇ……いや、私が提案したことではあるんだけど」
「お前の言う通りに葉物野菜だとかに切り替えてパシフィカ領に試しで売り込もうと準備をしていたところに今回のことが起こったと思ったら、パシフィカ領だけでなく代理統治することになったプランテッド様のお膝元でも需要がある、だなんてなぁ」
「流石に、うちに都合が良すぎる流れだもんね、こうして纏めると……」
子爵とサーシャは互いに顔を見合わせ、はぁ、と溜息を吐いた。
状況を考えれば、諸手を挙げて喜びそうなくらい都合良く事態が動いている。
都合が良すぎる、と言いたくなるくらいに。
そして、往々にしてこういう時は足下を掬われるものだ、と子爵はもちろんサーシャも前世や今までの経験から知っている。
「ただまあ、ニコール様は信頼出来ると思うし、その書類の数字も間違いないと思うよ」
そう言いながらサーシャは、書類へと視線を落とす。
これは、ニコールに連れて行かれた先で、ジョウゼフの指示により、補佐官であるエイミーが纏めてきたもの。
その仕事ぶりや説明を聞くに、彼女はとても仕事に対して誠実なように思えた。
「そういえばびっくりしたんだけど、プランテッド様の補佐官って女性なんだよね。それも二十代くらいの」
「ああ、こないだの夜会でそんな噂を耳にしたな……遠目だったからよくわからなかったが、奥方様やご令嬢の隣に居た、見慣れぬ女性がそうなんだろう」
はっきりとは覚えていないが、浮かれていない落ち着いた雰囲気はあったし、理知的にも見えた。
隣国の王子に対するアピールの場だというのにギラついた様子もなく、珍しいタイプの淑女だな、と思った記憶がある。
「……なるほど、だったらお前が気に入られるのもわからなくはないな」
「なんか若干引っかかるものはあるけど、まあいいや。
ということで、ニコール様のお仕事を手伝わないかって誘われて、父に決定権があるからって持ち帰ってきたんだけど。……断りようがないよね?」
「まあなぁ。上手くいきすぎているから怖じ気づいてるのはあるが、それを除けばお断りする根拠もないし、礼儀の面でもお断りするわけにはいかんし」
一瞬だけ子爵を睨むも、サーシャが声も顔も切り替えて尋ねる、というよりも確認する口調で言えば、子爵も渋々といった感じで頷くしかない。
彼は知らない。そしてサーシャですらまだ片鱗にしか触れていない。
直感と勢いと豪運任せなニコールに巻き込まれたならば、往々にして事はトントン拍子に進んでしまうということを。
そこに周到な準備をしていたラスカルテ家がノコノコとやってきてとっ捕まったのだから、後はノンストップで流されるだけ。
今まで巻き込まれてきた面々とラスカルテ家が違うのはただ一つ、他の選択肢もないわけではない、ということ。
だから、最後の一歩を踏み込むかどうかは、彼らに委ねられているのだ。例え、実質一択といえども。
「しかし、お前があちらに行くとなると、野菜の流通に影響が出そうだなぁ」
「あ~……なんかそっちに関しても、ある程度携わっていいって言われたわ。
業務に差し障りのない範囲で、かつ出来るだけプランテッド様にもラスカルテにも良いようにバランスを取るならって」
「は?」
何となく申し訳なさそうな顔のサーシャを凝視しながら、再び絶句するラスカルテ子爵。
またしばし、言われたことを考えること十数秒。
「お前は何を言ってるんだ? そこまでうちに都合のいい条件が提示されるわけがないだろう!?」
「出されたんだから仕方ないでしょ!? うちも儲かってる方がプランテッド様的にもパシフィカ領的にも最終的にはいい結果になるとか言われてさぁ!」
また声を張り上げる親娘二人。
ただ、サーシャにはわかっていた。ニコールが言っていたことは、ある意味で真実だと。
ただそれは、二十一世紀の日本や世界の経済を見たから理解出来ることであって、現段階のラスカルテ子爵が理解出来ないのは仕方のないところ。
むしろ、そんな発想が出来るニコールの方がどうかしているのだ。
『ほんとにニコ様、転生者じゃないの? 違うの?』と更にサーシャは疑念を深めたのだが、少なくとも今回尻尾は掴めなかった。
また、一応近世日本でも、三方よし、売り手と買い手、そして世間に貢献するのがよい商売、という考えが生まれたとも言われているのだから、文明的に近世と言っていいこの国でその考えに至る可能性はゼロではない。
ゼロではないだけで、随分と先進的なのは変わらないのだが。
ニコール・フォン・プランテッドとは何者なのか。
その答えを探すためには、アマゾンの奥地ではなくプランテッド領、さらには旧パシフィカ領へと向かわねばならない。
「とにかく、お受けするってことでいいよね!?」
「ああ、こうなったら私も腹を括る、目一杯お役に立ってこい!」
先の見えない、レールから外れることも出来ないトロッコ列車に乗った気分で顔を強ばらせながらもしっかりと頷くラスカルテ子爵。
それに比べれば随分と力強い瞳で、サーシャは頷き返したのだった。




