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縁は異なもの、乙なもの。

 もちろん、なんとかなるのは男性陣だけの話ではなかった。


「まあまあ、村にいらした頃は針仕事をよく為さっていたの?」

「はい、辺境伯様が率いてらっしゃる軍は、やっぱり軍服が破れたりなんだりが多かったので」

 

 先程まで顔色を悪くしていた女性の隣で、ニコールが割とはしたない距離に詰め寄りながら話を聞いている。

 詳しく聞けば、衣服を繕うだけでなく、辺境伯軍が使う軍服の縫製や刺繍などもやっていたらしい。


「それでしたら、お針子のお仕事を紹介できるかも知れませんわねぇ。

 もしかして、今着てらっしゃるのもあなたが縫われたものですの?」

「ええ、もちろん。……あ、あの、あまりご覧いただくようなものでは……」


 着ている服をまじまじと見られて、流石に居心地が悪そうに彼女が言うも、ニコールは視線を外さなかった。

 先程まで見せていたお気楽な様子はどこへやら、随分と真剣に縫い目を眺めることしばし。


「すみません、少し触ってもよろしいですか?」

「え? は、はぁ……それは、もちろん構いませんが……」

 

 むしろ触られる彼女の方こそ、よろしいのですか? と聞きたくなってしまう。

 貴族と平民に分かれているこの時代、平民が貴族に触れるなど以ての外。

 その逆に、貴族が平民に触れることも、ほとんどなかった。

 あるとすれば、何かの咎で平民を罰する時くらいだろうか。

 だから、貴族令嬢であるニコールが、好意的かつ興味深げに平民の衣服に触れるなど、本来はあり得ないことである。

 

 本来ならば。

 

 このお嬢様なら、そういうこともあるのだろう。

 いつの間にか、あるいは少しばかり回ってきたリキュールのせいだろうか、女性はそんな風に考えるようになっていた。


「ふむふむ……この丁寧な縫い方……そういえば、北部の方は冬は雪で閉ざされてしまうから、こういった縫い物仕事に精を出されるとシャボデー様もおっしゃってましたわね」

「よ、よくご存じで……時間だけはあるものですから」

「それでも、時間を無為に過ごしてしまう人もいるものですわ。こうして形ある仕事が出来ているのは素晴らしいことです。

 まあまあ、こちらの刺繍も丁寧なお仕事で……」

「お嬢様、あまり触りすぎると流石に迷惑ですよ」


 そう言ってベルが引き留めるが、絡まれていた難民女性は、むしろ嬉しいとすら思っていた。

 平民である彼女が、農閑期の手慰みにと施していた刺繍。

 それが、綺麗なドレスなどで目が肥えているだろう伯爵令嬢の目に留まったのだ、たとえお世辞だろうと悪い気はしない。

 彼女の胸にわずかばかり芽生えた感情。自尊心と言われるそれの名を、彼女はまだ知らなかった。


「これなら、ルーカスのところに紹介しても大丈夫そうねぇ」

「お嬢様がそうおっしゃるのなら、そうなのかも知れませんけれども」


 女性が初めての感情に戸惑っているうちに、いつの間にかニコールとベルの間でそんな会話が為されていた。

 初めて聞く人物の名前に、思わず首を傾げて。


「ルーカス、さん、ですか? その方は一体……」


 問いかけに、ニコールがぱっと振り返る。

 それはもう、にこやかで誇らしげな笑顔で。


「よくぞ聞いてくださいました!

 ルーカスとは、わたくしやお母様のドレスにお父様の夜会服も手がける、このプランテッド領一の仕立て屋なのです!

 いえ、そのうち王国一とまで言われるかも知れませんね! 何しろ最近は遠く離れた王都からも仕事が来るくらいですから!」


 ニコールの返答に、女性は驚いた顔になる。

 ここプランテッド伯爵領は王国東部に位置し、王都へと至る主要街道が通る交通の要衝ではあるのだが、そこまでの間には侯爵領や王家直轄領などがあり、決して近くはない。

 そこまで詳しくは知らない彼女であっても、王都まではまだ何日も歩かないと行けないのは知っていた。

 だというのに、それだけ離れた、そして、仕立て屋も多数いるであろう王都から発注が来るとは、どれ程の腕だというのだろう。


「……え? そ、そんな凄い人のところでだなんて、働けませんよ!?」


 この辺りで一番の職人とも言える人物の元での仕事を斡旋される。その意味に気付いた彼女は、思わず悲鳴を上げた。

 褒められたとはいえ所詮は平民の針仕事、貴族御用達で伯爵領一の仕立て屋の仕事など、出来るはずがない。

 ブンブンと大きく首を振る彼女へと、しかしニコールは自信たっぷりに笑って見せる。


「だ~いじょうぶ! あなたの腕を信じなさい! それが無理なら、わたくしの見立てを信じなさい!」

「え、ええ~……」


 信じろと言われましても。そう言いたいけれど、言葉が出ない。

 出会ってほんの1時間かそこら、信頼関係など出来ているわけがない。

 なのに、信じられない気持ちが半分。信じてしまいそうな気持ちが半分。

 いつの間にかすっかりニコールに毒され始めているのだが、まだそのことにはハッキリと気づけていない。


「わかりました、そこまで疑うのならば、この後仕立て屋に行ってルーカスに見てもらいましょう!」

「え、えええ!?」


 いきなりの展開に、思わず悲鳴にも似た声が上がる。

 何しろ長旅の果てにようやっと食事にありついて人心地ついたばかり。

 着ているものはもちろん顔や手も旅の埃で汚れ、とても見られたものではない。

 だというのに、その格好でいわば採用面接に行こうというのである。


「こ、こんな格好でだなんて、失礼にも程があるのでは!?」

「だ~いじょうぶ! ルーカスの見る目は確かです、ちゃんとあなたの腕を、腕だけを見てくれます!

 何しろ、今までこんな感じで何人も紹介しておりますしね!」

「何人も!?」


 その言葉に、彼女は恐れおののいてしまう。

 つまり、紹介されようとしているルーカスの仕立て屋は、何人もの職人を抱える大きな工房を持つ、ということ。

 考えて見れば伯爵家の御用達で王都からも声がかかるようなところなのだ、規模が大きくないわけがない。

 そんなところに自分が、と思えば、足も震えてくる。


 ただ。

 自分と同じような境遇の者が何人も採用されている、ということに、僅かな希望も感じられたのは事実だ。

 そして、それは連れ立って歩いてきた他の女性達もまた同じだったらしい。


「あ、あの、お嬢様、あたし達も彼女と同じくらいに縫い物仕事が出来まして……」

「あらあら? なるほど、確かにこちらも良い仕事してますわね!」

「お嬢様、あたしは手先は不器用ですが、男達に負けないくらい力仕事が出来ます!」

「まあまあ、確かに立派な体つき……これならまた別のお仕事も紹介できますわ」


 同じく自分で縫ったらしい服を見て評価し、他の女性に比べて二回りも身体の大きい女性の肩をさすさすと撫でる。

 あっという間にニコールの周囲は、ちょっとした自己アピール会場になっていた。


 ひとしきり彼女らのアピールを聞いたニコールだが、話が一段落ついたところでふと視線を動かす。

 視線の先にいるのは、難民達の中では恐らく一番若い、少女と言っていい年頃の女性。

 彼女は一人、自己アピール合戦に参加せずに椅子の上で小さくなっていた。


「あら、どうかなさいましたの?」

「あ、いえ、あの……あたしは、他のみんなと違って、これといった特技がなくて……」


 そう言って、彼女は俯いた。

 なるほど、まだ年若い彼女は他の女性に比べて縫い物だとかの技術はまだ身についていないのだろう。

 かといってその細い身体では、力仕事など出来そうもない。

 しかし旅に耐えられない子供とも言えない、という中途半端な年頃なのが災いした、というところか。


 そんな彼女を、ニコールはしばし見つめて。


「ちなみに、こちらの一団に加わると決めたのは、あなたの意思ですか?」

「えっ、は、はい、私の、意思です……辺境伯様のお慈悲に甘えてはいけないと思って……」

「それで、ここまでいらしたわけですね」

「はい、その……大きな街に行けば、何もできないあたしでも出来る仕事があると、聞きましたし」


 彼女くらい年若い娘が、技能らしい技能がなくても出来る仕事。

 それが意味するところを、少女は聞かされているのだろう、小刻みに肩が震えている。

 

 その肩に、そっとニコールの手が包み込むように置かれた。


「なるほど。ということは、あなたには何とかしようと思う意思があり、ここまで歩いてきた根性と体力があるわけですね。

 でしたら大丈夫、あなたにぴったりなお仕事もありますから!」


 底抜けに明るいニコールの声に、俯いていた少女は思わず顔を上げた。

 目に飛び込んで来たのは、同じく底抜けに明るい笑顔。

 その表情からは、彼女が想像していた仕事に就かせようとする後ろ暗さはまるでない。

 

「あなたに何もない、なんてことはありません。だって、少なくともここまで歩いてこれた意思と足があるじゃないですか。

 それに何よりも!」


 そこまで勢いよく言ったニコールは、一旦言葉を止めてまた胸を張って見せる。

 

「あなたには、運があります! このわたくしに、今日ここで出会ったという運が!」


 堂々と言い切られて。

 ぽか~んとした表情を浮かべてしまった少女は。

 ぷっと吹き出すと、くすくすと笑い出した。


「そ、それを、ご自分で言いますか……?」

「ええ、もちろん言いますとも、わたくし、大体のことは何とかなってきましたもの!

 大丈夫です、大丈夫! そのうちなんとかなりますわっ!」


 きっぱりと言い切るニコールに、少女の笑いは止められない。

 くすくす、くすくすと笑いながら。

 少女は、そっと指で目元を拭った。

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[良い点] もう、完全にやりたい放題であるw 考えてみれば、ほんの僅か前まで困窮極まり、その結果、自尊心というものを失いかけていた彼女たちが、自分達から「何々ができます!」って申告すること自体が快挙な…
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