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渦中にあっても無責任。

 こうして、諸々の準備を終えたサーシャは、プランテッド領へと向けて出発した。

 乗り込んだのは、それなりの乗車賃を払う代わりに専属の護衛が二人付いている乗合馬車。

 乗客も、このクラスになるとある程度お上品な面々ばかり。

 椅子の座り心地もよく、快適な旅路をサーシャは楽しんでいた。


 何しろこちらの世界に転生してから、領地の外へは先日の晩餐会を含め数える程度しか出たことがない。

 成人したのだから今後は増えるだろうが、それでも普通であれば両親と共に周囲を護衛で固められてとなるのは間違いない。

 気楽な一人旅など、言うまでもなくこれが初めてで……。


「もしかしたら、これが最後になるかも知れないものね」


 ぽつりと、そう呟く。

 こちらの世界の常識で考えれば、子爵令嬢であるサーシャはいずれどこかに嫁ぐことになる。

 どこぞの貴族夫人にでもなってしまえば、こうして一人で旅をするなど到底許されないだろう。

 

「だったら、もうせめて今回の旅を楽しむしかないわよね」


 窓の外を眺めながら、誰にともなく、ぼやくように言うサーシャ。

 一抹の寂しさを感じながらも、それでも彼女の目は、流れる景色や行き交う馬車へと向いていた。


「……やっぱり、プランテッド領に近づくにつれて交通量が増えてるし、景気も良さそう。

 若干ガテン系が多いのは、やっぱり土木関係なのかな?」


 パシフィカ侯爵の代わりに土木工事を請け負って以降、どうやらプランテッド伯爵はそのまま事業を引き継いでいるようだ。

 本人は一時的に、のつもりだったかも知れないが、人や物の流れがこうも出来上がってきてしまえば、最早逃れることなど出来はしないだろう。

 そこに来て今回の侯爵領代理統治の話だ、今頃はきっとてんてこ舞いに違いない。

 晩餐会でちらりと見た、温厚そうなプランテッド伯爵、つまりジョウゼフの顔がふと浮かぶ。


「慌てるところが想像出来ないお姿だったけど、流石にこの状況は大変なんだろうなぁ」


 遠くから一度見ただけのプランテッド伯爵様へと、少しばかりの同情を込めながらサーシャは小さく笑った。





 そして、実際プランテッド家はてんやわんやになっていた。


「引き継ぎ資料はこれで大丈夫か、確認しておいてくれエルド」

「かしこまりました旦那様。……大丈夫かと思われます。

 それから、こちらの資料にもお目通しを」


 旧パシフィカ領の代理統治者へと任ずる勅書が届いてからというもの、ジョウゼフと執事のエルドバルは各種資料の整理と確認で大忙しだった。

 何しろ東半分とはいえ、それでもプランテッド領の倍はあろうかという広大な領地だ、確認しなければならないことは山ほどある。

 であればジョウゼフが直接乗り込むしかなく、となるとプランテッド領を任せるための引き継ぎが必要となり、この大騒動というわけだ。


「うん? ああ、あちらの人事関係や組織図か。……いやまて、こんなものを昨日今日でか?」

「いえいえ、流石にいくら私でもそれは無理というもの……以前あれこれあった際に、ついでに調べておいたものでございます。結局使う機会はございませんでしたが……」


 渡された資料に目を通したジョウゼフが驚いた顔をすれば、にこりと邪気のない笑顔で返すエルドバル。

 エイミーの一件で彼女の居た商会を調べた後、パシフィカ侯爵と事を構えるに至った際にも裏であれこれと探りを入れていた。

 結果、その気になればパシフィカ侯爵家とその配下に楔を打ち込む隙をたっぷりと見つけていたのだが……全面抗争となる前に事態は収束。

 結果として使われることの無かった情報が、今こうして日の目を見ようとしているというわけだ。


「これを使ってしまっていたら、今頃領地は大混乱、とても代官として行きたいとは思えない状況になってた気がするねぇ」

「ええ、今にして思えば、使わずに済んだのは幸いでございました。それもこれも……」


 呆れたようにジョウゼフへと、エルドバルがしみじみ返していたところへ、ドアからノックの音が響く。

 入室の許可を与えて入ってきたのは、まさにエルドバルが名前を挙げようとしていた少女だった。


「お父様、お呼びとあって参上いたしましたわ! ……まあまあ、これはまた大変なことになってますねぇ」


 様々な書類が積み重なっている執務室に入ってきたニコールは、大きな目を更に丸くして室内を見回す。

 最近はすっかり補佐官であるエイミーのおかげで片付いていたのだが、その有様はかつてジョウゼフが一人で回していた時の状態に近かった。

 

「まあね、知っての通り、いきなり通達が来たものだから。おまけに、どうも向こうの状況は待ったなしのようだし」

「あらまあ。パシフィカ様が出来る限りはしていかれたようですが、それでも、ですのね」

「ああ、あの土木関連は氷山の一角、他にも色々とあったみたいでねぇ」


 困ったような顔を見せるジョウゼフへと、ニコールは少しばかり眉を寄せる。


 あの出来事で心を入れ替えたパシフィカ元侯爵、現子爵は、新たな領地へと向かう前に自分がいなくなっても領内が動くようにと出来る限りは手を打っていた。

 だが、如何せん侯爵位を失った立場、更には移動までの期間も短く時間がなかったため、綻び始めていた領内のあちこちの破綻を一時的に止めることが精一杯。

 そのことを察知したジョウゼフは、急ぎ旧侯爵領へと乗り込むことにしたのである。


「別に侯爵位が欲しいわけでなし、ベイルード卿との競争はどうでもいいんだが……ほっといたら民草にどれだけ被害が出るかわからないからなぁ」

「大きな領地で経済規模もそれ相応、となると、完全に破綻した際の影響は計り知れませんものねぇ……難民がプランテッド領に流れ込んでくるかも知れませんし」

「まっとうな人間ばかりなら何とか受け入れもするけどねぇ。流石にそうとはとても言えないだろうから」


 カシム達のような、働く場所を与えられれば真面目に働く人間ばかりではないことは、ジョウゼフもわかっている。

 そして、一つの村の、更に何割か程度の人間ならばともかく、旧パシフィカ領が破綻した際に出るであろう数千、下手をすれば数万となる難民は流石にどうしようもない。

 となれば、何としても今のうちに破綻を食い止めるしかないのだ。


「だからお急ぎになるのは当然ですけども……しかしそうなると、流石のエイミーさんでも捌ききれないのでは?」


 広さが倍になれば、仕事の量も当然2倍、下手したら2の2乗である4倍になってもおかしくはない。

 いかにエイミーの処理能力でも、とニコールも危惧するのだが。


「いや、そこは大丈夫。以前から務めていた補佐官の内、三人をつけてもらえることになったからね。

 ラフウェル公爵がその辺り手を回してくれたらしい」

「まあまあ、公爵様ったらそんなお力添えを……今度お会いしたら手厚くお礼を申し上げなければっ」


 ふんす、と鼻息荒く言うニコールに、ジョウゼフは苦笑する。

 ニコールに甘い公爵のことだ、手厚くお礼など言われればデレデレと相好を崩すのが目に浮かぶかのよう。

 本人の名誉のために、それは言わないでおくが。


「で、ニコール、君を呼んだのはそのエイミーくんも絡むことなんだが……彼女を補佐につけるから、旧パシフィカ領内にある商会のとりまとめ、もしくは再編をやって欲しいんだ」

「え、いやですわよ?」


 穏やかに頼むジョウゼフへと、しかしニコールは即答で断りを入れた。

 これには思わずジョウゼフもがくっと肩を揺らしてしまう。


「そんな大役、めんど……もとい、わたくしのような年端もいかぬ小娘に、流石に背負いきれませんでしょう?」

「今言いかけたことは不問に付すとして。君なら大丈夫だと判断したから言っているのと、後、君しかいない、というのもあるから、なんとか頼めないかねぇ」


 うっかり本音を漏らしかけて即座に誤魔化したニコールへと、ジョウゼフは食い下がる。

 だがニコールとて簡単に責任を背負い込んではくれないようだ。


「わたくししか、とおっしゃいますけども、お母様がいらっしゃるのでは? というか、てっきり一緒に行かれるものと思っていましたが」

「いや、イザベルは動かせないんだ、プランテッド領の方を代わりに治めてもらわないといけないし、ね」


 ジョウゼフの説明に、はて、とニコールは首を傾げる。

 ということは、他に動かせない理由があるのだろうか。しかも、それは今は言えないことの様子。

 ともあれ、イザベルが動かせないとなれば、プランテッド家の人間は後一人しかいない。


「はぁ……そういうことならば仕方ありません。ただし! 反発も当然予想できます、何かあっても責任は持てませんから、そこはご了承くださいましっ」

「それはね、任命したのは僕なのだし。じゃあ、そういうことで頼むよ」


 ほっとした顔のジョウゼフへと、不承不承ながらにニコールは首肯する。


 こうして、ニコールは若い身空で旧侯爵領に多数ある商会立て直しのために、現地に乗り込むことになったのだった。

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