ある種の戦後処理
パシフィカ侯爵が子爵となった事件から、しばらく経った後。
クリィヌック王城の一角で、主立った高位貴族が集まっての会議が開かれていた。
「さて、一通り事も落ち着いたところで……旧パシフィカ侯爵領をどうするか、なんだが」
上座に座る国王ハジムが口を開けば、居並ぶ貴族達はあるいは視線を交わし、あるいは思案げに視線を上にやり。
いずれにせよ即座には口を開かず、どうしたものかと計算を巡らせる。
ここに居るのは公爵と侯爵のみ。いずれ劣らぬ大貴族であり、それぞれに充分な力を持っている。
そして、持っているからこそ、この議題には簡単に口は挟めなかった。
「今は王家から派遣した代官が一時的に統治しておるが、このまま王家の直轄領とするわけにもいかん。
となると、誰かに渡すことになるわけだが……」
ハジムが視線を動かすも、見えるのは煮え切らない表情ばかり。
何しろ旧パシフィカ領は、土木工事の大半を担っていた商会や関連する商会が多数ある。
そのため物流の一大中心地でもあり、手にすればその利益は計り知れない。
……だから、彼らは手を挙げられない。
手にしてしまえば、力が強くなりすぎるのだ。
そうなってしまえば今のパワーバランスが崩れ、様々な裏工作の的となるのは間違いなく、それは大変にリスクが大きい。
何故ならば、事の発端となった商会のやらかしは未だに尾を引いており、言わば爆弾を抱え込むようなもの。
そこに海千山千の公爵・侯爵達の裏工作が集中すれば、どうなるかは火を見るよりも明らか。
下手すれば、元の領地まで失うような事態になりかねないわけだ。
となれば、どうすべきか。
「……陛下、旧パシフィカ領は、ここにいる我々の領地からはいずれも離れており、もしこの中の誰か、となりましたら飛び地となり、統治には少々不都合が生じるのではないかと」
挙手しながらもっともらしい理屈で逃げ口上を述べたのは、ラフウェル公爵だった。
実際の所、彼らの政治力と抱えている人材があれば、飛び地の統治くらい大した問題ではない。
ただ、少しだけある問題点を密かに容赦なく突いてくるような連中が、今この部屋にいるというだけで。
それは、既に充分力がありこれ以上のものを望まない面々にとっては、リスクでしかない。
「ふむ、そうなると……やはり、伯爵位にあるものに任せることになる、か?」
「はい、代官としてしばらく任せ、問題がなければそのまま昇爵させてもよろしいかと」
ハジムとラフウェル公爵のやり取りに、他の貴族達も異を唱えない。
ここにいる誰かの力が大きくなるよりも、彼らから見れば力のない伯爵が侯爵へと上がる方が、まだ彼らとしてはましなのだ。
後はその人選さえ間違いがなければ、だが。
「であれば、まず旧パシフィカ領に隣接している伯爵から、となりましょうな。
その中でも、まず人柄が篤実であること。有能であればなおよいですが、そこは補佐官をつければ何とでもなりましょうし」
一人の侯爵が言えば、他の人間もまた頷く。
この場合の『篤実』とは、下手な野心を抱かぬ者ということであり、そのことは全員認識していた。
何しろ今までの倍どころではない領地と財力を手にするのだ、人によっては血迷うことも充分にありえる。
そうなっては、また彼らの心配するパワーバランスが崩れるのもありえるだろうし、それは避けねばならない。
「そうなると、まず適任であろう人物が一人浮かぶのだが……彼をそのまま、というのは少々、なぁ」
「ジョウゼフ・フォン・プランテッドでございますね。確かに彼であれば条件には適合しておりますが……」
「ああ、パシフィカ失脚劇の主役だからな、彼をそのままあてがうのは、要らぬ邪推を招きかねん」
真の主役はともかく、表立っての主役はジョウゼフ。
彼がパシフィカ元侯爵の様々な不正を暴く端緒となり、更には失策の穴埋めまで成し遂げた形になっている。
それらは様々な偶然が重なった部分も大きいし、ジョウゼフにパシフィカ元侯爵を失墜させる意図はなかったのだが……ここで領地が与えられたとなれば、そうは取らぬものも少なくないだろう。
おまけに王家が領地をすんなり与えては、その失脚工作を王家が容認したとすら取られかねない。
そうなっては、裏での工作合戦が始まってしまう可能性すらある。
「ならば、こうしてはいかがでしょう。もう一人の者と分割統治をさせるのです。
例えばそう、ベイルード伯爵などいかがか」
「なるほど、ベイルード領は丁度プランテッド領の反対側、旧パシフィカ領の西に位置している。
東西で旧パシフィカ領を分割統治をさせる、と」
出てきた意見に、他の貴族達も納得顔ではあったのだが、幾人かの公爵が難色を示していた。
「例のあれに絡んではおらぬし、位置的にも能力的にも彼ならば問題ないとは思うがな、時折目にギラついたものを見せるのが気がかりなところだ」
「左様、彼に余計な力を与えては、良からぬ事を考える可能性が否定できぬ」
「しかし、立場が人を作るということもある故、決めつけてかかるのものぉ」
否定的な意見を、一人の老公爵が窘める。
ジョウゼフの時と違って賛否両論といった空気の中、ハジムが小さく咳払いをした。
「わかった。そういうことであれば、こうしたらどうだ。
東西の分割統治は、代官として行わせる。そして、より発展させた方に旧パシフィカ領を与え、昇爵させる。
つまり、競い合わせるという形だ」
「……当然、そこで不正行為などが認められればそこで失格となる、とすべきでしょうな」
ハジムの提案に、一言付け加えながらラフウェル公爵も頷いて見せる。
もしもベイルード伯爵が、その野心を抑えきれず不正工作などに手を出せばそこでアウト。
逆に理性でもって抑えられた上でジョウゼフ以上の成果を出したとなれば、その能力は統治者として充分なものとなるだろう。
その後も抑えていられるかはまた別問題ではあるが。
「ではそのように取り計らうとしよう。両家はもちろんのこと、全貴族家にも通達を出すように」
「は、かしこまりました」
ハジムの言葉に、居合わせた貴族達が恭しく頭を下げる。
こうして、当事者たるジョウゼフのいないところで、またジョウゼフの胃が痛くなるような事案が決定されたのだった。
そして数日後、各貴族家へと通達が為され、もちろんプランテッド家は大騒動になるのだが……それ以外の家にとっても、それは衝撃的なものだった。
「なんということだ、これはどうしたものか……」
一人の中年男性が、通達に目を通して頭を抱えていた。
彼はラスカルテ子爵。旧パシフィカ領に隣接する領地を持つ貴族である。
「プランテッド様かベイルード様か……勝つ方につかねば、我が家は……」
隣接する、大きな市場を持つ領地。そこの主が誰になるのか、そしてお近づきになれているか、は死活問題と言っていい。
かつての領主パシフィカ元侯爵とは頑張ってかなりの付き合いをしていたが、しかし。
「普通に考えれば、我が領から近く、付き合いもそれなりにある上に東部を治めることになるプランテッド様一択だ。
しかしパシフィカ様と付き合いのあった我が家に対して思うところがあってこれを機に、ということがないとも言えぬ……。
かといってベイルード様は西部と遠く、今までの付き合いも皆無……噂では、すり寄ってくる人間を嫌い、斬り捨てるのも容赦ないとか……。」
もちろんジョウゼフがそんなことをするわけもないのだが、彼は自身の尺度で物を見てしまい、無駄に怯えていた。
また、辣腕として知られるベイルード伯爵が領主になれば、縁もゆかりもない自分の家は斬り捨てられるのでは。
どうにも、悪い方へ悪い方へと思考が流れていく。
と、そこへコンコンとドアがノックされ、一人の少女が入ってきた。
際だって華やかというわけではないが整った顔立ち、意志の強そうな目は栗色。
長く明るい赤毛は、今は家の中だからかそのまま真っ直ぐ背中へと流している。
着ているのは仕立てこそ上等なもののシンプルなワンピース風ドレスということは、使用人ではなく子爵家の令嬢なのだろう。
「父さん、ちょっと話が……どうしたの、一体」
「ああ、サーシャか……いや、実はだな」
執務室に引きこもって顔を青くしている子爵を見て、サーシャと呼ばれた少女は目を丸くした。
そんな彼女へと、力無くラスカルテ子爵が事情を説明する。
この世の終わりかのような顔をしている父の話を聞いて、しかしサーシャは。
「あ、なるほど。多分それ、プランテッド様が勝つわよ」
ほんの一瞬だけ考えたかと思えば、あっさりとそう告げたのだった。




