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そしてまた、明日は来るから。

 こうして、エイミーの解雇を発端とするパシフィカ侯爵汚職事件は、終わりを迎えた。

 あの後ひとしきり泣き叫んだ侯爵は、憑きものが落ちたかのような顔でバルコニーを、そして晩餐会会場を去り。

 後日下された沙汰を、粛々と受け入れた。


 所領を没収の上、子爵へと降爵。以前別の子爵家が治めていたが、家が途絶えてしまったため王室預かりとなっていた土地への転封という、かなり屈辱的な沙汰だったというのに。

 降爵だけでも相当だというのに、まして二階級のそれなど歴史上早々あることではない。

 体面を重んじ、屈辱に塗れるくらいならばと狂気染みた工作を仕掛けてきたパシフィカ侯爵が受け入れるとは、誰も思わなかったのだが。

 彼は、それを厳粛な面持ちで受け入れた。

 ……いや、もしかしたら、たった一人だけ、それを予見していたのかも知れない。


 パシフィカ侯爵……いや、今は子爵となった彼へと処断を下す際に、その中心となったラフウェル公爵は、最大の被害者であるはずのニコールへと意見を聞いてきていた。

 そして、思わぬ返答に、口をあんぐりとあけてしまったのだが、それも仕方が無いところだろう。


「……もう一度聞くよ、ニコール嬢。本当に、この件に関して彼を不問にする、と。それでいいのかね」

「はい、ラフウェル様。わたくしは、今回の……晩餐会に至るあれこれに関して、パシフィカ侯爵を訴えることはいたしません」

 

 きっぱりと。それはもう晴れやかなほどの笑顔で、ニコールは言い切った。

 貴族の中でも最上位である公爵が、色々と言葉にしないプレッシャーをかけてきているというのに。

 あるいは、『やっちゃお? おじさんが何とかするから、ぎゃふんと言わせちゃお?』

 という空気を滲ませているというのに。

 ニコールは笑顔のまま、匂わせてきているそれをあっさりと断る。


「いや、しかしだなぁ、今回のあれは、流石に悪質すぎる。きちんと裁判にかければお家取り潰しは確定、その上極刑だってありえる話だ。

 王国内の秩序という面でもそうだが、何より君自身がいわれのない恥を受け、社会的な危機に陥ってもおかしくなかったというのに」


 パシフィカ子爵のやらかしたことは、外交において瑕疵を生む可能性すらあった。すなわち、国家への不利益である。

 となれば、もっていきようによっては、内乱罪を適用の上一族郎党根切りということすら可能だった。

 後顧の憂いをなくすという意味ではそうした方がよいとすらラフウェル公爵は思っているのだが。

 だが。ニコールは、そうは思わなかった。


「それでも、何とかなりましたでしょう? でしたら、わたくしはそれ以上を望みません」


 にこやかに。しかし、揺らぐ気配なく。

 言い切るニコールの笑顔を前に、老獪なラフウェル公爵すら呆気にとられ。それから、溜息を一つ吐いて。


「なあジョウゼフ、君からも何か言ってはくれんか、この豪胆なお嬢さんに」


 本人がだめならば父親、というある意味至極もっともな考えのもと、同席していたジョウゼフへと声を掛けるも。


「実際、何とかなりましたからねぇ。それに、ニコールがやりたいようにやると、大体上手くいきますから、私としては何とも」

「まったく、この似たもの親子め……もう少し欲だとかエゴだとかを出してもよいのだぞ?」

 あまりの迷いの無さに、ラフウェル公爵は溜息と共に再度問いかけるけれども。

 彼が予想した通り、ニコールは首を横に振っていた。


「お気遣いありがとうございます、ラフウェル様。

 ですが、わたくしは本当にそれでよいのです。何も無かったのですから、何も無いのが一番なのです」


 迷いが、欠片も無い。

 そんな風に言われてしまえば、いかなラフウェル公爵といえども、これ以上言い募ることは難しかった。


「わかった、そこまで言うのならば、これ以上は何も言うまい」


 仕方なしにそう言って。


 『でも気が変わったらおじさんに言うんだよ、後からでも天罰下してあげるからね?』と言わんばかりの顔で言うのだけれど、やはりニコールには通じない様子。


「ええ、それでどうぞよろしくお願いいたします」


 あっさりと下げられた頭を前に、一瞬公爵は言葉を失い。

 苦笑と共に、頷いて返すしか、なかったのだった。





 こうして、パシフィカ侯爵……いや、子爵は、見知らぬ土地へと向かうことになった。

 ほんの数ヶ月前の彼であれば、『向かう羽目になった』くらいは思ったことだろう。

 だが今の彼は、どこかすっきりとした顔で小高い丘から新たなる領地を眺めていた。

 後はここから下るだけ。今日中には、与えられた仮住まいへと辿り着くことができるはず。

 そう思えば、安堵の溜息も零れて。

 

 それから、ゆっくりと背後を振り返った。


「なあ、本当に良いのか? 今からでも実家に戻っていいんだぞ?」


 問いかけた先に佇むのは、一人の老婦人。言うまでもなく、パシフィカ子爵の奥方である。

 かつて権勢を振るった大貴族の伴侶であった彼女は、取り乱してもおかしくない状況の中……笑っていた。


「何度目ですか、もう。今更この歳で戻ったところで、実家も良い迷惑。同じ針のむしろなら、あなたの隣の方がまだいくらか気楽ですよ」


 幾度か投げた問いに、幾度も返ってくる同じ答え。

 それを聞いて、パシフィカ子爵の目元が潤みそうになる。

 まずい、と思って視線を更に動かせば、少ないながらもついて来ている家臣達。


「お前達も、無理についてくることはなかったんだぞ?」


 若干だけ、声が震えていたのだが。

 聞いていた誰もが、それを聞かなかったことにした。

 

 問われ、一団を代表して一人の執事が一歩前に進み出る。


「我が一家が先祖代々仕えてきたのは、あの土地では無くパシフィカ家でございます。

 であれば、主の知れぬ土地に留まるよりも、こうしてご一緒する方が余程気楽というものですよ」


 彼が心から言っているのがわかって。

 パシフィカ子爵は、天を仰いだ。


 何故、気付かなかったのだろう。

 妻も家臣も、なんだかんだ、こうして寄り添ってくれている。寄り添ってくれていた。

 それに気付かず、欲望のままに暴走して、全てを失って。


 ……いや。


 まだだ。まだ、全てを失ったわけではない。

 こうして新たな領地をあてがわれ、妻も家臣もついてきてくれている。

 全てを失った、などと、彼女に、彼らに失礼だ。

 まだその手には、大事なものが残っていたのだから。


 見れば、青い空、白い雲。


 知らず、子爵の口が勝手に動く。


「……そのうち何とか、なるだろう、か」


 前途は多難なはずなのに、何故か臆することが無い。

 何とかなるはずだ。確証もないのに、そう思う。


「わかった、ありがとう。すまんが、わしについてきてくれ!」


 そう告げれば、返ってくる承諾の声。

 それを背中に受けながら、子爵は新たなる領地へと、力強い視線を向けたのだった。






「パシフィカ子爵は大人しく新領地へ向かったそうです。随分と殊勝な様子だったとか」


 いつものように領都へと繰り出していたニコールの傍で、ふと思い出したようにベルが言う。

 ベルからすれば、主を陥れようとした許されざる相手なのだが。


「まあまあ、それは何よりねぇ」


 当の主がこれなのだから、口にも態度にも出せない。

 このお人好し具合は確かに彼女の美徳ではあるのだが……という諦めは幾度目か。

 そして、だからこそこうして仕えているのだが。


「全く……いくらこうして何事もなかったと丸く収めるためとはいえ……ご自身を囮にするような真似は、金輪際おやめください」


 それでも、小言の一つ二つ、三つ四つも言いたくはなってしまう。


 あの時、晩餐会会場から離れた意味は二つ。

 ニコールが一人になったところで仕掛けてくるだろうから、という誘いの意味。

 

 そしてもう一つ。

 誰も居ないところでのやり取りであれば、それこそ誰にも見られないだろう、という狙い。


 ニコールは、彼女自身を囮としてその身を危険に曝しながら、それでもあの決着を求めたのだ。


「ん~……難しいわねぇ。ベルとワンさんがいたら、大体なんとかしてくれると思ってるし、実際あの時もそうだったから」

「……まあ、出来る限りは何とかいたしますが」


 あっさりと、最大限の信頼を見せられて。

 ベルは、ふいっとそっぽを向いた。


 実際の所、あの時集められていた12人の刺客は、本当に腕利きが集められていた。

 もちろん危険な状況ではあったのだが……それをワンと二人で返り討ちに出来てしまったのもまた事実。

 そして、ニコールのためならば、といつもより力が出たのもまた。

 

 複雑な表情になるベルへと、ニコールは笑って見せて。


「大丈夫よ、多分何とかならないことは、やらないから。なんとかなることしかやらないわ」


 そんな、どうにもあやふやなことを、確信を持って言ってくる。

 これがまた、本当にどうにかなっているのだから、ベルも何も言えないところ。

 精々、小さく溜息を吐くくらいだ。


 そして、きっとまた、なんとかしていってしまうのだろう、と思ってしまうのだから、質が悪い。

 などと考えている内に、目的地へと辿り着いた。


「あ、ニコールお嬢様! お疲れ様です!」


 新しい工事現場で、進行状況を確認していたエイミーが振り返り、ぱっと明るい笑顔を見せる。

 あの晩餐会で何か思うところがあったのか、彼女は以前にもまして精力的に働いていた。

 そして、ニコールに見せる笑顔も、少し変わったように思えて。

 ……少しばかり、ベルの胸がざわつくのは、気のせいではない、かも知れない。


 そんなベルの内心を知らず、ニコールは晴れやかな笑顔を見せる。


「あらあらエイミーさん、そして皆さんも! 今日もお仕事ご苦労様!」


 軽やかに響く労いの声。

 色々ありはしたけれども。

 こうしてまたニコールは、ベル達は、新たな日常へと戻っていったのだった。

※これにて、第一章完となります。ここまでお読みいただきありがとうございます!!

 申し訳ないのですが、以降の展開がまだ固まっておりませんので、しばらくお休みをいただきたく思います。

 もしかしたら、四月とかに再開となるかも知れません。

  

 ただ、ニコール達のことは気に入っておりますので、続きを書きたいのは間違いありません。

 お許しいただけるならば、お待ちいただけると大変ありがたいです。


 また、ここまでのお話を気に入っていただけたのでしたら、下の方にある機能から、ブックマークや評価、いいねをいただけると大変ありがたいですし、励みになります。

 厚かましいとは思いますが、もしよろしければ、お願いいたします。

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― 新着の感想 ―
久しぶりに「退屈令嬢」の方を再読し、勢いでこちら「無責任令嬢」を読んでいなかったことを思い出し、本話まで一気読みさせていただきました。 あちらが武力と魅力でならば、こちらは明け透けの善意と感じ、どち…
[良い点] 青い空、白い雲。 これを元侯爵の落とし所に持ってきたところ。 一番良いところを悪役の救済に振るのはなかなかできない。 [一言] 面白くて一気にここまで読ませていただきした。 感想連投申し…
[一言] いやいやいやいや、まぁドレスが間に合わず社交評価が下がる事に対しては未だ許せるけど、殺人まがい事を一方的な悪意でやらかしたら、流石に追究なしはダメだと思います。。。
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