道化の本領。
「はぁ……やっぱりニコール様は凄いなぁ……」
ぽつりと、エイミーは呟く。
サウリィ王子に誘われた際の対応、ダンスホールの中央に進み出てからの踊り。
何よりも、踊り終わってからの引き際。
いずれもマナー通りであり、洗練されていて、かつ、爽やかだった。
一国の王子、それも王太子と目されるサウリィを前にして、一欠片の欲も滲ませずに淑女のお手本とばかりの振る舞いを見せたニコール。
その姿は、玉の輿を狙っていた令嬢達の嫉妬すら黙らせ、見物していたご婦人方には大層受けていた。
「プランテッド様、素晴らしいダンスでございました」
ダンスホールから離れたニコールへと、素敵に年齢を重ねたご婦人が話しかければ、その周囲にいたマダム達も同調する。
……時折ちらちらと、露骨なアピールをしていた令嬢達に視線が流れているような気がするが、きっと気のせいだろう。
そして、そんなことを言われたニコールは。
「お褒めに預かり恐縮でございます。……あら、そちらの首飾り、そのカットはもしや最近噂をよく聞くあの職人が手がけたものでは?」
「まあ、おわかりになりますの? ええ、ご縁がありましてね、こんな時のためにと作ってもらっていたのですよ」
「やはりそうなのですね! この素晴らしいお仕事……きっと引く手数多でしょうに、こうして手に入れられたのは、まさしく人徳というものでしょう!」
周囲から持ち上げられかけて、しかし即座に褒め返し、持ち上げ返していた。
この会場の話題をかっさらった時の人から、裏表なしに褒められる。
それは、やはり体面が売りの貴族夫人ともなれば、心がくすぐられてしまうのも仕方が無い。
褒められるままに語り、あれやこれやと普段ならばしない解説までつけて。
「今度、プランテッド様にもご紹介いたしますわ!」
「まあまあ、なんとありがたいことを! 是非ともよろしくお願いいたします!」
気分が良くなった挙げ句に、ニコールの人脈獲得に貢献してしまっていた。
……それがどんな結果を招くかなど、ご婦人方は考えもついていないに違いない。
「あはは、また何人も引き抜かれる未来が見えますねぇ」
隣で見ていたマシューが楽しげに言えば、エイミーは苦笑しながらも頷くしか出来なかった。
とにかくニコールは、目が良い。
例えば職人の作品であれば、その仕事のどこが優れているかを的確に見抜く。
その上でべた褒めし、報酬もきちんと、なんなら色を付けて渡す。
……まあ、だからいつも金欠なのだが。
ともあれ、そんな扱いを受けて転ばない職人は、そうはいない。
何てことを考えているうちにも、また別のご婦人、何なら困惑している令嬢にも話しかけ、褒め倒している。
一体今日でどれだけの人脈を作ってしまうのか、エイミーでも想像がつかない。
「ですよね~……それで、また一杯人が集まって」
そこで、言葉を切る。
もしもその時に、自分がニコールの視野の外になってしまったら。
今のエイミーの立場と仕事ぶりを考えればありえない未来だし、ニコールはそんな人間ではないこともわかっている。
けれども、今こうしてこの会場で。
隣に立つことが出来たのは一瞬のこと。彼女は人に囲まれ、もうすっかり、遠巻きに見ているしか出来ない。
その現実が、なんともしんどくて。
「すみませんマシューさん、ちょっと空気に当てられたみたいで……少し外します」
「はい? ……あ~……ええと、途中まで送ります、エイミーさんが気にならないところまでで」
「あ、あはは……ありがとうございます」
申し訳なさそうに切り出したエイミーの口調から、お花摘みだと解釈したのだろうか。
珍しく狼狽えながらの申し出に、エイミーは苦笑しながらも頷いて返す。
確かにこの状況であまり一人になるべきではないだろうし、と申し出をありがたく受け入れて。
エイミーは、盛り上がる晩餐会会場を後にした。
会場から廊下に出れば、時折柱の影などあちこちに、二人きりで話し込む人影もあったりしつつ。
それでも、基本的には静かだった。
しん、と、冷えを感じる程に。
迷走しかかった頭を冷やすにはいいが、そのまま心まで冷えそうだ。
これではいけない。落ち着かなければ。であれば、マシューの勘違いを利用するのも悪くは無いだろう。
「すみませんマシューさん、ここまでで大丈夫です」
「わかりました、ではここで待っていますから」
全く気にした風もなく手を振って笑うマシュー。
申し訳なさそうにしながら、エイミーはマシューから離れて一人進む。
その先には女子用のお手洗いがあり、その前には女性騎士が警備をしているはず。
であれば、ここで一旦別れてしまっても大丈夫だろう。
むしろ、好都合と言ってもいい。
「こんなところまでコソコソついてくるのは、流石に恥ずかしくないかい、旦那方」
笑顔を崩さずに振り返れば、しばしの沈黙の後。
柱の陰から三人の男が姿を現した。
いずれも貴族とは言いがたい筋骨隆々な体躯、荒っぽさが前に出た顔つき。
それでもこの会場にいるのだ、騎士爵の家系か、騎士資格を持つ男爵家の係累か。
いずれにしても、真っ当な目的では参加していないようだった。
「ふん、俺達に気付くとは、目だけは良いらしいな」
「そりゃまあ仕事が仕事なんでね、ちょっとしたことも見逃せないっての。
それから、一つ訂正させてもらおうか」
風体通りに品のよろしくない笑みを見せる男へと、マシューはすっと指を突き出して。
二度三度、気取った仕草で軽く振って見せる。
「目だけじゃなくって、顔も良いだろ?」
「はぁ!?」
芝居がかった思わぬ台詞に、男達は思わず激高して声を上げてしまった。
確かに、マシューの顔はいい。おまけに今は男爵家の人間として着飾っており、それがまた似合っている。
その彼が、それを自覚して、更には煽るかのように言ってきたのだ、カチンと来ないわけがない。
「だったらその顔、二度と見れないくらいにしてやる!」
叫び声を上げて、一人の男が殴りかかった。
やはりそれなりに鍛えているのだろう、巨躯に見合わぬ速い動き。
握った拳は硬く、マシューの顔など簡単に潰せてしまいそうな質量感があり。
そして、振るわれたそれは、速かった。決して鈍重などではなかった。
なかった、のだが。
「いやぁ、無理だねぇ」
放たれた拳は、軽い台詞と共にするりとかわされる。
そして。
伸びきった腕を越えて飛んでくる、マシューの左腕。
男の右肘を極めながら振り抜かれた手は……平手の底、掌底と呼ばれる部分で男の顎を捉えて。
かくん、と、唐突に、男の身体が、膝から崩れ落ちた。
顎先を揺らされ、脳を揺さぶられて。
脳震盪を起こしてしまえば、身体は言うことを聞かない。むしろ、言うことが纏まらない。
ビクン、ビクンと痙攣するように床でのたうつ仲間を見て、残る二人は固まり。
そこに、カツン、と硬い靴音が響いた。
「さ、折角顔を出してくれたんだ、あんた方にも這いつくばってもらわないとね」
あくまでも和やかに告げるマシュー。
その笑顔に、薄ら寒いものを感じて、男達は後ずさる。
「な、なんでだ!? なんなんだ、その腕前は!
お前は、ただヘラヘラしてるだけの御者だろう!?」
思わず上げた、悲鳴にも似た声に、なるほど、とマシューは内心で納得する。
敵方はある程度調べてきている。そしてそれは、ある程度の域を越えていない、と。
元々、会場から出てお花摘みにでも行けば、ちょっかいをかけられるだろうとニコール達は予測していた。
だからこそ、マシューにエスコートをさせていたのだが……その意味は、わかっていなかったらしい。
それは、残念なことに、エイミーも。
護衛役であるマシューをニコールから離してエイミーに付ける。
その意味は……普段のマシューしか知らないエイミーには少々わかりづらいし、マシューもまた説明しようとしていないのだから、伝わらないのも仕方ない。
そうとわかってこの役を引き受けているのだ、侮られたなどとは露とも思わずに、マシューはとてもいい笑顔を見せた。
「そりゃぁヘラヘラしてるさ、俺の仕事をなんだと思ってんだ?」
「は? い、いや、御者だろ……?」
思わぬ問いかけに、男達の一人が反射的に素で答えて。
その答えに、マシューはにんまりとした笑みを見せる。
「そう、御者だ。この俺が普段からキリッとしてみなよ、かっこ良すぎるだろ?
そしたらあっという間にファンが群がって、道を塞ぐ程に押しかけてくるからお仕事の邪魔になるってわけさ!」
「んなわけあるかぁぁぁぁ!!」
ペラペラと得意げに語るマシューへと、男は吠えた。
だが。いや、だからこそ。
自身の顔の良さを理解しているような言い草が、気に入らなかった。
先程の見事なカウンターを見たというのに、怒りに任せて拳を振るい。
そして、その手を絡め取られ、懐に入られて。
ぽ~ん、と体重が無くなったかのように投げ飛ばされ。
床に触れた瞬間に戻ってきた体重が彼の身体を打ちのめし、意識を飛ばして目を回す。
「さて、と。あと一人、悪いけど逃がすわけにゃいかないんだよなぁ」
「ひっ、ひぃっ!」
一歩、マシューが踏み出して。
恐怖に負けた残る一人が背を向けて逃げだそうとした、のだが。
「遅いっての」
あっという間に追いついたマシューが背後から組み付き、きゅっと首を……正確には、頸動脈を締める。
脳へと向かう血流を絶たれた男は、あっという間に意識を失い、崩れ落ちた。
そして、マシューが腕を解いたタイミングで、騒ぎを聞きつけたらしい警備の騎士達が駆けつけてくる。
「おい、何事だ! ……って、マシュー? おいおい、久しぶりじゃないか!
って、そんな場合じゃねぇ、何があったんだ?」
「おお、久しぶり、って、こんな状況ですまんねぇ。あ~……とりあえず今は、酔っ払いが暴れてたのを取り押さえたってことにしてくんない?
上と相談しないと、どう扱っていいのかわからんのよ」
珍しく歯切れの悪いマシューを見て、騎士の一人が目を瞠り。
そして、笑い出した。
「はは、わかったわかった、とりあえず一旦引き受けるから、後から正式なお達しを頼むぜ」
「すまん、恩に着る」
「んじゃ、あの店で一杯奢りな」
「くっそ、わかったよ!」
そんなやり取りの後に、男達は連行されていき。
それからしばらくして、色々と落ち着きを取り戻したエイミーが戻ってきた。
「あ、あの、マシューさん、何かありました……?」
若干ビクビクとしながら、エイミーが問いかけてくる。
物理的には色々片付いているが、それでもやはり、何かあったらしい空気は残っている。
それをエイミーは感じ取ったらしい。
だがマシューは、いつものように笑って見せ。
「まあ、ちょっとばかり。ただまあ、大したこっちゃないですから。
さ、そんなどうでもいいことは置いといて、戻りましょう?」
そう言いながら、エスコートのためエイミーへと手を差し出す。
色々納得のいかないらしい顔でエイミーはしばしその手を見つめ。
「……わかりました。でも、後でちゃんと説明してくださいね?」
そう注文を付けながらも、マシューの手を取った。




