政局の詰め将棋。
そんなエイミーの視線に気付いたのか、入場したニコールはくるりと視線を向けてきて。
ぱっと笑顔になると、スルスルと……急いでいるようには見えないのに、何故か淀みなく滑るような足取りであっという間にエイミーの近くへとやってきた。
「まあまあエイミーさん、試着の時もお綺麗でしたが、こうしてきちんと整えますと、ますますお美しいですね!」
近づいてきた美の女神(エイミー視点)にいきなり手放しで褒められ、エイミーは固まった。
それはもう、王城の石垣すら凌駕する程にカチンコチンである。
だというのに、追い打ちを掛けるがごとくにニコールは賛辞を述べていく。
「やはりエイミーさんのように優しげな方に、この落ち着いた緑は合いますね~。
デザインも軽薄さのない大人な雰囲気で、かつ不自然な艶っぽさもない……まさにルーカスが言うところの清楚という感じでしょうか!」
「え、ちょっ、ニコールお嬢様っ」
立て板に水、とばかりに流れるようなニコールの口上を聞けば、エイミーの顔は瞬く間に茹だったタコのごとく赤くなる。
……そして、それを近くで聞いていた令嬢達の何人かの耳も赤くなり、そそくさと二人から距離を取るように離れていった。
何しろ彼女らは、エイミーやそのドレスを『地味』だとか『色気がない』だとか、更には『何をしに来たのか、恥を晒しにか』とまで口さがなく言っていたのだから。
そんなところに、会場中の視線を集めるニコールがべた褒めしたのだから、形勢は一気に逆転。
何なら、遠回しに『軽薄』だとか『色気盛り過ぎ』とまで言われたようなものなのだから、恥ずかしさで身が縮むような思いにすらなってしまう。
……もっとも、当のニコールは、彼女達のことなど全く意識していないようだが。
「う~……ありがとう、ございます……。その、ニコールお嬢様こそ、とてもお綺麗です、よ?」
激しく動揺しながらも、何とかそれだけを返す。
遠目にも綺麗ではあったが、今こうして間近に見れば、その神々しさで目が潰れんばかり。
あくまでもエイミーの主観では、だが。
いや、あのマシューですら『うわ、やべ』などと小さく呟くのだから、決して彼女一人の感想ではないのだろう。
「やあエイミーくん、楽しんでいるかい?」
「あ、伯爵様、ありがとうございます。……その、正直に言えば、飲まれそうになってはいますけども……」
ニコールの後を追うようにやってきたジョウゼフの問いに、エイミーは正直に答える。
それが許される間柄だから、彼の補佐官なのだから、とエイミーからすれば当たり前の返し。
だがそれは、周囲の人間をさらにざわつかせる。
かの難工事を、とんでもない短期間で完遂させたジョウゼフは、今や時の人。
そのジョウゼフからこんなにも親しげに話しかけられるあの令嬢は何者なのか。
残念ながらエイミーのことを知っている者はほとんどおらず、誰もその問いに答えることが出来ない。
故に憶測だけが飛び交い、先程までとは全く違う視線がエイミーへと向けられる。
もっとも、その視線はマシューとジョウゼフによって、何よりニコールによって遮られ、エイミーにはほとんど届かないが。
「そういえば、ほとんどこういった場に出たことがないのだものね。
いいのよエイミーさん、今日は慰労会くらいのつもりで楽しんでくれたら」
「さ、流石に王城でのパーティを、そんな風には思えませんが……でも、お気遣いありがとうございます、えっと、イザベル様」
エイミーがぎこちなく笑って返せば、イザベルは満足そうな笑顔で頷いてみせる。
すると、そのやり取りでまた、周囲に衝撃が走った。
出てくる頻度こそ少ないものの、出てくればその場の空気を掌握してしまいかねない存在感を持つプランテッド伯爵夫人イザベル。
その彼女が、ファーストネームで呼ぶことを、快く許している。
一体どれだけ深くプランテッド家に入り込んでいるのか。
もしそうであれば、どれだけの価値があるのか。
意地汚く脳内でソロバンを弾く大人達へと、さらなる爆弾が投下される。
「だめですよお母様、エイミーさんを慰労するのに、王家とはいえ他人様の力をお借りするなど!
我がプランテッド家を支える補佐官殿なのです、うちで気兼ねなく、かつ全力で慰労せねば!」
「な、何をおっしゃってるんですか、お嬢様!? わ、私なんかに全力だなんて、そんなの恐れ多いですよ!?」
それは、聞き取れた人間からすれば常識というものを完全にぶち壊される爆弾だっただろう。
目端の利く貴族であれば以前から、そうでなくてもあの工事を見ていた貴族も遅ればせながら情報を集めはじめ、今のプランテッド領の活況を知っている者は少なくない。
今こうしてプランテッド家に張り付いて情報を引き出そうとしている者など、なおのこと。
そんな連中であれば、エイミーが補佐官として、それもこうして評価されるだけの働きをしているなど、驚きどころか意味不明のレベルの話である。
何しろ、こうして見るエイミーは、年若い女性。
偏見というレンズ越しに見た彼女はそんなことが出来るような存在にはとても思えず。
かと言って、彼らが今見聞きしたことは、ジョウゼフやイザベルの表情を見るに冗談でも嘘でもなく。
故に彼らは、下手に察することが出来るだけに、常識と現状の齟齬で混乱していた。
いや、むしろフリーズしていた、とすら言って良いかも知れない。
そんな混乱を知ってか知らずか……いや、少なくともジョウゼフとイザベルは知った上で。
プランテッド家の面々は、楽しげに談笑していた、のだが。
「……うん、そろそろ、みたいだね」
ジョウゼフの言葉に、プランテッド家ご一行の全員が口を閉じて。
一斉に、入場口へと目を向けた。
「パシフィカ侯爵様、ご入場です!」
会場係の声と共に、パシフィカ侯爵が奥方を伴って入場してくる。
その表情は、何とか取り繕うとしているが、エイミーの目にも硬くて。
何よりも、落ち着かなくウロウロとしている視線が、彼の内情を如実に語っていた。
そして、すぐにその視線は、プランテッド家が団欒している一角に止まって。
エイミーの、そして何より、ニコールのドレスを見て。クワッと、これ以上ない程に見開かれた。
上位貴族として、感情を出来るだけ出さないよう教育されていたはずの彼が。
そして、それも駆使して権勢を保ってきたであろう彼が。
思い切り、感情を出してしまった。
最初に、驚愕を。
次に、憎悪を。
それこそ大貴族として君臨してきた彼だ、感情を剥き出しにしてしまえば、どれだけの威があるか。
周囲で見ているだけだった貴族達ですら、背筋を震わせる程の。
それを。
笑顔で、ジョウゼフは、イザベルは。そしてニコールは、受け止めた。
何気にマシューも普段通りで、縮こまりそうなエイミーはしっかりと皆に守られている。
……誰よりもニコールの背中が頼もしく見えたのは、まあ、個人的な感想というものだろう。
「ふふっ」
そんな空気の中で、ニコールが小さく笑みを零した。
この空気の中で。
「あ、あの、ニコールお嬢様……? 何故、お笑いになど……?」
驚いたエイミーが、恐る恐る問いかける。
どう見ても一触即発な空気の中、豪胆にも笑って見せる少女。
その姿はとても奇異で……しかし、何故か納得出来てもしまう。
彼女ならば。
ニコールならば、と。
「いえ、ここまで来たのだな、と思いまして。
ルーカスやワンさん、遡ればダイクン親方やカシム達のおかげもあって。ついに、と言いますか」
少しばかり、ニコールは遠い目になった。
パシフィカ侯爵の不正発覚から、どれだけのことがあっただろう。
それらは全て、なんとかなって。
今こうして、ニコール自らがパシフィカ侯爵の前に立っている。
「さあ、後は一手か二手か。チェックメイトは間近でしてよ、侯爵閣下?」
大物狸貴族を前にして。
ニコールは、悪びれもせずに言い切った。




