決戦は晩餐会。
こうして、ニコールのドレスは完成し。それを纏った姿を見た職人達は涙を流し、その夜は安堵の眠りについて。
更に懲りない夜の虫をワン達が退治し続けて。
ついに、その日が来た。
「マシュー・スモルパイン様、エイミー・モンティエン様のご入場です!」
王城の大ホール、国賓を迎え入れる為に作られた豪奢な会場で名前を呼ばれ、マシューがエスコートする形でエイミーが入場していく。
その姿を気に留める者は、あまりいない。
何しろ彼女の知り合いは既に大体結婚しており、かつ、嫁いだのは裕福な平民だとか男爵家だとかなので、今回は呼ばれていないのだ。
ただ、そんな中でも審美眼のある者は、エイミーの纏ったドレスの価値に気づき、あるいはそれを纏ったエイミーにも値踏みのような視線を向けてくるが。
……だが、彼らの基準ではエイミーのような年齢で理知的な、自立した空気を纏う女性は論外らしく、すぐにその視線も離れていく。
あるいは自尊心の強い者であればその反応に憤慨するかも知れないが、エイミーの性格であれば、それはむしろ歓迎すべき状況だった。
「はぁ……ほんとに、入場出来ちゃいましたねぇ……」
入場して、会場の隅に落ち着いたところで、エイミーは小さく息を吐き出した。
すぃ、とその前に立つよう動いたマシューの影に隠れて、その様子は誰にも見えなかったが。
こういった場に慣れていないエイミーからすれば、まず身分のチェックを受けるだけでも緊張するもの。
更には入場までの順番待ちで、今まで社交界に出ること等無かったエイミーへと奇異の視線が大量に注がれていたのだ、緊張もするというものだろう。
「ええ、そりゃぁ伯爵様御自ら確認してくださったご招待ですからね、間違いなんてありませんよ」
まだ緊張の消えないエイミーへと、へらり、笑って見せるマシューは場慣れした空気があった。
いくら男爵家の生まれで騎士資格の取得も可能だとはいえ、彼が社交界に出入りしていたという話も聞かないし、その時間もないはずなのだが。
だというのに、マシューは緊張の素振りもなく、周囲の視線からエイミーを上手く守っていた。
「みたいですね、今でも信じられないですけど……。それにマシューさんもすみません、エスコートなんてお願いしてしまって」
「いやいや、むしろありがたいくらいですよ、特別ボーナスも出て、ついでに王家御用達の酒と料理も口に出来るんですから。
っと、流石にちょっと下品過ぎましたかね?」
などと冗談めかして笑うマシューだが、そのくせ表情や佇まいはこの場にそぐわない程には崩していない。
上位貴族のように洗練されてはいないが、悪目立ちもしない。むしろ、先に入場する立場である騎士爵、男爵家の中に自然に溶け込む程度の立ち振る舞いを見せている。
こうして晩餐会に来てみれば、彼にエスコートをお願いしたのは正しかったのだな、と今更ながらに思う。
婚約者がおらず、まだ年若いニコールはジョウゼフ、イザベルと共に家族の一員として入場してくる予定だ。
だが、エイミーの出身であるモンティエン男爵家当主は招待されておらず、他の兄達は文官として裏方に回っている。
となると、恥を忍んで一人で参加するか、とまで考えていたのだが、それを察したジョウゼフから、マシューをエスコート役にあてがわれたのだ。
確かに年齢も近く、黙っていれば色男な彼はエイミーのエスコート役として申し分ないところ。
他に頼むツテもなかったので申し訳無いと思いながら頼んだのだが、これが存外正解だったらしい。
「いえまあ、それが本音という方もいらっしゃるでしょうし……。
そうでない方も多いようには思いますけども」
そう言いながら、エイミーはゆっくりと視線を、気付かれないように動かしていく。
会場内の、いわゆる令嬢と言われる女性の中では、やはりエイミーが最年長のようだ。
だが、それ以外の割と年長な令嬢達であっても、それぞれが皆、これでもかとばかりに着飾っている。
恐らくは、ファニトライブ王国の王子殿下にアピールするために。
もっとも、恐らく彼女らは歯牙にもかけられないだろうが……。
「ああ、確かにそうですねぇ。いやぁ、身分はまるで違いますが、同じ男の身から言わせてもらえば、こんだけギラついているお嬢さん方は相手にしたくないところですが。
遊び相手につまみ食いするくらいならいいんでしょうが、連れ添うだなんてとてもとても」
「……むしろその言い方の方が下品ですよ?」
「おっと、これは失礼しました」
流石に聞こえてはまずい内容だけに声を落とした会話の中でエイミーが窘めれば、マシューは恭しく頭を下げる。
普段からちょっとした時に芝居がかった仕草を見せる彼だが、ことこういった場所であれば、それがやたらと絵になって見えるのだから、やはり素材はいいのだろう。
もっとも、本人はあまりそれを活かそうとは思っていないようにも見えるのだが。
「まあでも……最初は、入場が無事に終われば私は壁の花になって、マシューさんには好きなように過ごしていただこうと思っていたのですけど……どうも、そんな感じではないみたいですね?」
「ええまあ。話しかけても問題ないような身分のご令嬢方は俺なんざ眼中にないでしょうし。
せめて騎士学校の同期が来ていれば話しかけにも言ったんですけどね、どうも聞いたところでは招待客にはいなくて、会場に居るとしたら警備役という感じらしく。
流石にそこで話しかけたら、嫌味かってなもんですから」
「あ~……それは、確かに……。こうして考えると、私達くらいの身分でも面倒なんですね、社交界って……」
何でも無いことのように言うマシューへと、応じるエイミーの表情は何とも曇りがち。
例えばこれがプランテッド領の宴会であれば、マシューも気兼ねなく様々な人に話しかけただろう。
だが、今この場においては、それぞれの思惑があって、社交をしたい相手も限られてくる。
更には、同期・友人であっても、今この場の立場の違いで、気楽に話しかけるわけにもいかない。
何とも息苦しく、やはり自分にこの世界は似つかわしくないなぁ、などとエイミーは思ってしまう。
「ですねぇ。ま、俺なんかは今日が終われば早々縁もなくなる世界ですから、大したことはないですが……伯爵様やお嬢様はどうしても、ね」
「……そう、ですよね……伯爵様はもちろん、いずれはニコールお嬢様だって……」
今は気楽に部屋飲みまでするような仲だが、ニコールはプランテッド伯爵家唯一の娘であり、いずれは後を継ぐ立場。
であれば当然、こういった場には今後も出てくることにはなるだろう。
その時エイミーは……間違いなく、隣にはいない。いることが出来ない。
どうにもならないことだとはわかっているが、それが、どうにも切ない。
「ま、その辺りはお嬢様のことです、何とかなるんじゃないですかね?」
だが、エイミーより付き合いの長いマシューは気楽なものだ。
それこそ、何とかなってきた場面を、何度も見てきた。
そして、ニコールはこんな窮屈な世界には収まろうとしないだろう。
であれば、きっと何とかなるのだろう、なんて根拠もなく思う。
そしてそれは、まだ出会って一年にもならないエイミーにも、共感するものがあった。
「ふふ、そうですね、ニコールお嬢様であれば、きっと」
こくり、とエイミーは頷いて、改めて意識を会場に戻す。
既に子爵家まで入場が終わっており、伯爵家が順次呼び出されている。
となると、もう少しで。
そう思って入場口を見ていたエイミーの耳が、ついにその言葉を捉えた。
「プランテッド伯爵家、ジョウゼフ・フォン・プランテッド様、イザベル・フォン・プランテッド様、ご息女のニコール・フォン・プランテッド様、ご入場です!」
その案内に、利に聡そうな顔つきの貴族連中がざっと視線を向ける。
先の難工事を短期間で完遂させた、人材と財力を密かに併せ持っていた家。
実は国王ハジム・ノース・クリィヌックと懇意であるとも噂される当主のジョウゼフ。
社交にはあまり積極的ではないが、顔を出せばいつの間にかその場の空気を掴んでしまうその妻イザベル。
二人が纏っている衣装は、クラシックな装い。
ジョウゼフのそれは黒を基調とし、デザインに目新しいところはないのだが……その身体に完璧に合わされていて、細身ながらもしっかりとした筋肉を内包していることを感じさせる、堂々としたシルエットになっている。
その隣にいるイザベルが纏っているのは、その豊満な身体のラインに沿うマーメイドラインのドレスで、使っているのは敢えての紅。
真紅というには淡く、刺さるような強さはないのだが、彼女自身の持つ雰囲気と合わさって堂々たる存在感を演出している。
今まで入場してきた面々の中でも一際目を引くその姿。
だが、まさかそのイザベルが引き立て役になるなど、誰も思いもしなかった。
二人の影から現れたのは、爽やかな春風を思わせる一人の少女。
確かにそこにいるのに、いつの間にかいなくなってしまいそうな儚さを纏ったその姿に、会場に居る誰もが息を呑んだ。
イザベルと対照的な青のドレスは清涼感に満ち、年若いニコールの雰囲気と相まって春という芽生えの季節そのものであるかのよう。
デザイン自体は流行のAラインで、これみよがしに宝飾品を付けたりなどもしていないから、華美ではない。
そのはずだ。
だが、ニコールという存在が纏うことで、これ以上無い存在感を出しつつ、袖や裾の色合いが空気に溶けて消えてしまいそうな危うさも感じさせている。
つまりは、会場の誰もが目を奪われて。
「やっぱお姫様なんですよねぇ、ニコールお嬢様って」
付き合いが長く、彼女の本性を知っているマシューでさえ、呆けそうになる自分を誤魔化す為に何とか軽口を叩く有様。
となれば。
「はぁ……ニコールお嬢様……お綺麗……」
エイミーなどは心まで奪われていた。いや、それは既に奪われていたのだが、改めて。
その後も美しい令嬢達が入場していくのだが、会場の視線は、何よりもエイミーの視線は、ずっとニコールに釘付けになっていた。




