捉えたものと、掴んだもの。
「よくやってくれた、ワンさん。それで、何かわかったかい?」
曲者を捉えたワンは、当然その男をジョウゼフの元へと引っ立てた。
それから、色々とあって。
「ワンさん特製の『正直になるお茶』を飲ませたらペラペラ喋ったよ~。
ただ、二次受けか三次受けかそれ以下かわからないけど、黒幕を直接は知らないみたいネ」
ジョウゼフの執務室で語るワンの表情は、残念そうなもの。
捕らえたこの狼藉者がパシフィカ侯爵の差し金とわかれば一番良かったのだが。
「ただ、あの男がしゃべった名前には聞き覚えがあります。
そこから辿れば、遠からず黒幕の尻尾を掴むことが出来るでしょう。……即日とはいかないでしょうが」
ワンの言葉を受けて、執事のエルドバルが真顔で告げる。
敵を逃すまいとする鋭い視線と、少々硬い表情。
その意味するところを理解したジョウゼフは、小さくため息を吐いた。
「即日とはいかない、ということは、その間に尻尾切りをされる恐れもある、と。
黒幕がパシフィカ侯爵ならば、むしろそうするだろうね。何しろ彼はこちらと無理心中しようとしているのだ、今まで培ってきた人脈など、時間稼ぎのために容赦なく斬り捨ててもおかしくはない」
「こちらの手の者は既に向かわせていますが……昨夜炎が上がらなかった、というだけで状況を把握していてもおかしくはありません。
であれば、間に合わない可能性も……いえ、根元から斬り捨てているならば、難しいでしょう」
下手をすれば、あの男が放火未遂を犯した、あるいは依頼が受諾された時点で尻尾を切っていてもおかしくはない。
であれば、辿っていくことは相当に難航することだろう。
「とはいえ、急ぎドレスを仕立てているところに、放火という極めて悪質な手段で妨害を行おうした人間がおり、それは第三者から依頼されたものだったというのは、状況証拠にはなる。
晩餐会には間に合わなくとも、彼にとどめを刺す材料の一つとしては充分だよ」
満足しきってはいないが、納得顔でジョウゼフは一つ頷いて見せる。
そもそもの発端が、ルーカスとラフウェル公爵の会話。
今は平民となっているルーカスの証言は効果が薄いが、公爵が口を開けばまるで意味が変わってくる。
そしてラフウェル公爵ならば、ここまで醜態をさらしたパシフィカ侯爵を追い詰めて破滅に追い込むことなど、造作もないことだろう。
ただし、後数日はかかってしまうだろうが……晩餐会を乗り切るだけの手筈は整った。
彼は、もう既にまな板の上なのだ。
「とはいえ、また仕掛けてくる可能性も高いからね、すまないがワンさん、エルド、しばらくは『虫退治』を重点的に頼むよ」
「もちろんね、庭師として当然ヨ」
「かしこまりました旦那様、このエルドバル、命に代えましても」
鷹揚に頷くワンと、丁寧に深々と頭を下げるエルドバル。
対照的ではあるが、共にこれ以上なく信頼の出来る二人へと、ジョウゼフは一瞬だけ安堵の表情を見せて。
それから、また表情を引き締めた。
そして、その翌日。
ついにドレスが完成したとの知らせを受けて、ニコールはルーカスの店へと押しかけていた。
伯爵家ともなれば、仕上がったドレスは邸宅へと持ってこさせるのが本来なのだが、そこはまあ、ニコールだから仕方が無い。
そしてまた、そんなニコールの性格を知っているルーカスは、驚いた色もなく出迎える。
庶民向けの酒場にも平気で出入りしているニコールなのだ、御用達の仕立て屋に足を運ぶなど造作もないこと。
まあそれも、ベルとマシューがいるから、という前提条件はあるのだが。
「ようこそいらっしゃいました、ニコールお嬢様。お願いさせていただきましたドレス、こちらになります」
お願いして仕立てさせてもらったドレス、という世間一般の常識で言えばおかしな発言を、しかしルーカスはふざけた様子も無く、普段通りの穏やかな笑みと共に口にする。
その表情から見えるのは自信と、何よりも達成感。
彼の、いや、彼ら渾身のドレスは。
ニコールから、しばし言葉を奪っていた。
「これ、は……」
それだけを口にするのがやっとのこと。
豪奢なドレスを見慣れているニコールですら、呆然と見蕩れるしかないだけのドレスが、そこにあった。
基本的には、この国で最近スタンダードになっている、胸の下あたりで切り返しのあるAラインのシルエット。
だが胸元は浅くしか開いておらず、肩もパフスリーブというには張りが控えめで、元気さよりもどこかしどけなさを感じさせる流れを作っている。
重ねられたフリルもレースも、身体のラインを隠すような使われ方。
……それでいて、その奥に潜む美しさを想起させてしまうような危うさがある。
それは色使いにおいても同様で、ニコールが好む青系統を、春という季節に合わせて淡い色合いで重ねたそれは、同じ生地を使っているとはとても思えぬ程、それぞれの場所で様々なニュアンスを生み出していた。
例えば、最も布の重なりが多い胸部や腰回りは、ニコールの持つ豊かで優美な曲線をしっかりと出しながらも、深まった色合いがそれらを悪目立ちさせない。
かと思えば、重なりの少ない腕やスカートの裾は、空気に混じって解けていきそうな程に儚げで。
確かにそこにいるのに、ふとした瞬間には消えてしまいそうな。
そんな印象を与えるドレスだった。
公爵家や侯爵家の令嬢も来る晩餐会において、それより位が下である伯爵家の令嬢が着ても物議を醸さないよう、不必要なほどの華美さは決してない。
だが。ニコールを知る者ならば、全員が思うだろう。
このドレスを着たニコールの前に、敵う令嬢などいない、と。
元より天性の明るさと華やかさを持つニコールだ、間違いなく華やかなドレスも似合うことだろう。
だがしかし、それを敢えて抑え、儚さを加味するような装いを纏えば、どうなるか。
想像はつく。
しかし、実際に見て確かめたい。
付き従っているベルなど、その衝動に抗うので一杯一杯になっている。
流石に本人だけあってニコールはそこまで揺さぶられてはいないものの、純粋にドレスの出来には感動せざるを得なかった。
「はぁ……わたくしの負けです。ルーカス、本当に素晴らしいドレスを仕立ててくれましたね……」
まだ衝撃から立ち直れていないながらも、負けを認めながらも負け惜しみ染みたことを口にするニコール。
ルーカスとしては、もうそれだけで充分に報われた思いだった。
「お褒めに預かり恐悦至極でございます、お嬢様。このルーカス、いえ、ドレスに携わった者、皆光栄の至りでございましょう」
ニコールの言葉に、ルーカスは恭しく頭を下げる。
彼の言葉に、一切のおべっかや忖度はない。
報われた。本当に心の底から、報われた。
彼は、そう思っている。
そしてそれは、このドレスに携わった職人達全員がそう思うことだろう。
すなわちそれは、この工房の職人全員、ということなのだが。
だが。
まだ、甘かった。
「……ねえ、ルーカス。恐らくこのドレスを仕立てるのに、皆さん全力を尽くしてくれたのよね?」
「はい、私が申し上げるのもいかがかとは思いますが、皆作業を懸命にこなしてくれました」
文字通りの修羅場、互いに声を掛け合いながらの死闘を思い出し、ルーカスは遠い目をする。
乗り越えた今となっては思い出だが、頭に『良い』をつけていいのかは議論の待たれるところ。
いや、こうして完成を見たからには、良い思い出になるのだろうが。
そんな感慨深げに中空を見上げるルーカスの横顔を見て。
しばしの後、ふぅ、とニコールは小さく息を吐き出した。
「もしかして、工房に寝泊まりしていたりとか、しないかしら?」
「……締め切り間際にはよくあることです。どうぞお気になさらず」
「そう、よくあることなのね……」
そのこと自体は、ニコールも薄々と勘付いてはいたが。
改めて言われると、色々と思うところも生じてしまう。
特に、こうして彼らの献身によって助けられている身とあっては。
……ニコール本人は、その職人達を助けてきたことなど、すこーんと忘れてしまっているようである。
だから彼女は、こんなことを言い出すのだ。
「ねえルーカス、このドレス、今着てみてもいいかしら」
「はい? ええ、それはもちろん構いませんが……」
思わぬ申し出に、今度はルーカスが面食らう番。
普段であればドレスを持ち帰り、プランテッド邸で着てみるのが常なのだから。
そんなルーカスへと、さらにお願いは重ねられる。
「それから……皆さんには申し訳ないのだけれど、寝ている皆さんを起こしてもらってもいいかしら」
「皆を起こす、ですか? それは……」
ルーカスと同じかそれ以上に働き手への配慮を欠かさないニコールが、寝ている、休んでいる職人を起こしてくれという。
その意味するところがわからず、ルーカスは首を傾げる。
いや、もしかして、という仮説が浮かび。
「お礼、というと偉そうなのだけれど……わたくしがドレスを纏った姿を、皆さんに一番に見て欲しくて」
はにかみながら言うニコールを、思わず凝視して。
次の瞬間、ルーカスは目尻を押さえてしまっていた。
一つ、二つ。
息を吸って、吐いて。幾度か繰り返して。
「もちろんでございます。従業員一同、皆喜ぶことでしょう」
声を震わせることなく、何とか言い切る。
だめだ。
これ以上言葉を交わしては、間違いなく決壊する。
「では、皆を呼んで参ります」
そう告げると、ニコールの返答を待たずにルーカスはショウルームから駆け出した。
良かった。
本当に、良かった。
報われた。
そんな言葉が、彼の脳裏を駆け巡る。
やりきったという達成感を胸に、ルーカスは従業員達をたたき起こしに走った。
そして、もちろん起こされた職人達は、事情を聞いて歓喜に飛び上がり。
ドレスを纏って照れ笑いを浮かべるニコールの姿に、これ以上ない歓声を上げたのだった。