語られない夜。
それからのルーカス達は、鬼気迫る勢いでジョウゼフとイザベルの衣装を仕上げた。
勿論、ニコールがあれやこれやと気を遣うことすら出来ない完璧な出来映えで。
更にエイミーのドレスに取りかかりながら、手の空いた職人達にフライングでニコールのドレスを割り振っていく。
最大限の効率で、あらん限りの速度と品質を。
様々な矛盾を孕みながら、しかし現場は破綻せずに作業は続いていって。
「いかがでしょうか、モンティエン様」
「どうって……あの、いいんでしょうか、私が、こんな素敵なドレスを着て……」
あれから一週間も経たずに仕上がったドレスを纏い、エイミーは頬を赤く染めていた。
あのショウルームで見たドレスの落ち着いた緑はそのまま、のはず。
少なくとも、エイミーの目には、生地の違いなどはわからない。
だというのに、同じものであるはずのドレスは、まるで違ったものとしてエイミーの目には映っていた。
「もちろんですとも。こちらはモンティエン様のために仕立てたドレス。
お気に召していただけたようで、私どもも一安心でございます」
和やかな笑みを浮かべるルーカスの顔には、しかし僅かな疲労感も滲んでいない。
もちろん最大戦速で作業をしているのだ、疲労していないわけがないのだが、そんなことをおくびにも出さず、彼は笑っている。
「先日も申し上げましたが、ドレスはお召しになる方を彩るためのもの。
モンティエン様がお召しになることで最大限の魅力を発揮するよう誂えたつもりでしたが……どうやら、問題なさそうですね」
ルーカスが言うように、確かにそのドレスは、純朴で控えめ、彼曰くの清楚なエイミーを魅力的に演出していた。
サイズがぴったりであることはもちろんのこと。……それはそれで、目で見ただけで測った結果それだけぴったりなのは驚異的なことではあるのだが。
男爵家令嬢の纏うドレスとして華美に過ぎることなく、むしろ簡素と言って良いデザインだというのに人目を引きつけるのは、その品の良さ故だろうか。
それがまた、少々場慣れしていないところはあれども理知的な雰囲気を持つエイミーには、よく似合っていた。
騒ぐようなことはせずとも、くるり、くるりと姿見の前で幾度も身体を捻り色々な角度からドレス姿を見ている姿は、実に愛らしく。
彼女が満足していることに、ルーカスもまた満足げだった。
そんな彼が、ゆっくりと顔を横に向ける。
「ニコールお嬢様もそうお思いいただけますでしょうか」
その隣で、ニコールが『ぐぬぬ……』と言わんばかりの顔になっていた。
「さ、流石ですわね、ルーカス……まさかこの短期間で、これだけのドレスを仕立ててくるとは……」
「ありがとうございます、ニコールお嬢様。そのお言葉は、褒め言葉と受け取らせていただきます」
何故か悔しげなニコールへと、穏やかでありながらも少々誇らしさを滲ませたルーカス。
何故ならば。
「これで、お嬢様のドレスに取りかからせていただけますね?」
にっこり。有無を言わさぬ笑みで。
……既に取りかかっていることなど、微塵も感じさせることなく。
そんなルーカスの顔を見て、しばし『ぐぬぬ』としていたニコールは、ついに折れた。
「わかりましたわ、お願いいたします。でも、決して無理はしないこと!
出来る限りで、出来る限りでいいんですからね? いざという時の手段はあるのですから!」
この期に及んでもまだそんなことを言うニコールへと、ルーカスが向ける笑みに微塵の揺らぎもない。
彼には、ニコールがこんなことを言い出すことはわかっていた。
そして、だからこそこうして全力を、あるいはそれ以上を振るいたくなるのだ、とも。
「もちろんでございます、ニコールお嬢様。
無理などさせて、従業員達に逃げられてしまっては、どうにも立ち行かなくなってしまいますし、ね」
そう言いながらルーカスは、ぱちんとお得意のウィンクを見せる。
そして、彼は嘘は言っていない。
彼は、強制的に従業員を働かせてはいないのだ。
ただ、従業員達が勝手に全力を尽くし、ギリギリまで働いているだけなのだから。
そしてルーカスをはじめとする職人達にとって、やってやれているのだから無理ではないのである。
無茶だとは思っているが。たどり着ける道理があるのなら、それは無理ではないのだ。
「ならば良いのですが……本当に、本当に無理はしないこと! 身体を壊してはどうしようもないですからね!?」
「もちろんでございます、ニコールお嬢様。お嬢様を悲しませるような真似など、我ら一同望んでおりませんので」
念を押すニコールへと全く表情に揺らぎを見せないルーカス。
この辺りは、流石に経験値の差があるのかも知れない。
ともあれ、こうしてルーカスは、最終的なGOサインを獲得。
職人達総出で、修羅場に突入した。
それから三週間、いよいよ大詰めとなってきた頃。
流石に連日の疲れもあってか、徹夜する職人もおらず、全員が食堂やら何やらでぐったりと仮眠なのか熟睡なのかをしているような夜。
工房の全員が全力を尽くしたニコールのドレスは、完成間近となっていた。
あるいは、もう少しだ、間に合う、という安堵感もあったのかも知れない。
全員がぐっすりと……ルーカスですらぐっすりと寝入ってしまっていた夜。
ルーカスの店の裏手に、足音を忍ばせてやってくる一人の男がいた。
周囲を伺うその様子は手慣れたもの、纏っている服装は、夜の闇に紛れそうな暗色系。
その身のこなしと雰囲気は、明らかにカタギの者ではない。
そんな男が、こんな時間に、仕立て屋の裏手で何をしようというのか。
居合わせた者がいれば抱いたであろう疑問に答えるわけではないが、男は淀みない手つきで懐から何やら取り出した。
見ればそれは、細切れにした細く小さな木材や、布の端切れ。それから、もう少し大きめな布と……小さな瓶。
瓶の中身は、とろりとした、粘度の高い液体。つまりは、油だった。
そして男は、手慣れた様子でまずは特に細い木片を組み上げて。
その上から油を注ぎ、布を被せ。最後に残った木片を積み重ねれば、さらにもう一つ。……火打ち石を取り出していた。
ここまでくれば最早何をしようとしているのかは明白。
しかし、誰もいない路地裏、咎める者などいるはずもない。
そのはずだった。
「あいやー、オイタはだめよー?」
いきなり、男へとそんな声が掛けられた。
慌てて振り向けば、そこに居たのは一人の男。
この辺りでは珍しい、あちこちがルーズな印象を受ける服装でもわかる細身の身体。
肩を越えた程度のところで括られた髪も、男を見据える瞳も夜闇の色。
一重の目、掘りの浅い薄い印象を与える顔立ち。遙か東方に住むと伝え聞く人種の様相にとても似ている。
そんな男が、いつの間にか……こうした仕事を請け負っているが故に感覚も鋭いはずの男の傍に、音も無く立っていた。
「き、貴様、何者だ……?」
「それはこちらのセリフだけど、まあいいよ。 ワンさんはワンさんね。
さあ、あんたは何者ね?」
ワンと名乗った男から問い返され、しかし、返答はなく。
代わりに男は、懐から短剣を取り出してみせる。
その手つき、身構え、明らかに玄人のもの。
そんな男が明確な殺意を向けてきているというのに、ワンは全く意に介した様子がない。
悠然と、無防備なくらいの姿でそこに立っていた。
「まあいいよ、後でゆっくり聞くからね」
そう言いながらワンは、無造作に一歩踏み出す。
途端、間合いに入ったのを見た男が飛びかかるようにしながら、短剣をワンの首筋目がけて振るい。
……次の瞬間、地面にうつ伏せに倒れていた。
いや、抑え付けられていた、がより正確だろう。
いつの間にやら短剣を振るおうとした右腕はがっちりと掴まれ、肩の関節を極められて動かすことが出来ない。
「なっ、何をした貴様!?」
「何って、あんたを押さえ込んだだけよ? はいはい、大人しくするね~」
抵抗しようともがくも、逆にそれを利用されて男の身体の自由は奪われていく。
あれよあれよと縛り上げられ、最早逃げることなど望むべくもない。
そんな男を、よいしょ、と……まるで重さなど無いかのようにワンは担ぎ上げて。
「……親方の邪魔は、何よりお嬢様の邪魔はさせないよー?
綺麗なお花を守るのは、庭師の仕事だからねー」
当たり前のように。少しばかり楽しげに。
ちらりとルーカスの店を見やった後、男を担ぎながら、夜の闇に消えていった。




