職人達の熱。
話し合いが終わった後、ルーカスは急ぎ自身の持つ工房へととって返した。
時刻は昼過ぎ、息せき切って従業員用の食堂に入れば、食後の一休みをしていた職人達が一斉にルーカスを振り返る。
普段穏やかで扉一つ開けるにも丁寧なルーカスが、やや乱暴とも言える勢いで扉を開いてやってきた、ただそれだけで、何かあったのだと従業員達には伝わった。
穏やかで和やかな昼下がり、なんてものから一転した空気の中、ルーカスは視線を一度巡らせ。
ふぅ、と息を吐き出して、表情を落ち着かせた。
「……どうやら、皆さん居ますね。食事休憩中に申し訳ないのですが、どうしても急ぎ伝えないといけないことがあります。聞いていただけますか?」
問いかけに、従業員達は、居住まいを正すことで答える。
食事休憩をきちんともうけ、食堂まで整備する程職場環境に気を配っているルーカスが、従業員の食事休憩の時間に急ぎ伝えること。
それがどれだけ重要なことなのか、もうそれだけでわかろうというもの。
そして彼らの予感は、良くも悪くも正しかった。
「先程、伯爵様より補佐官であるエイミー・モンティエン様と、ニコールお嬢様のドレスをご発注いただきました」
ルーカスが告げると、食堂に集まっていた従業員達は、どっと湧いた。
その中には以前ニコールがヘッドハンティングしたカシムと同郷のお針子達もいるし、彼女達と同じような経緯で雇われた職人達もいる。
流石にエイミーのことを知っている者はほとんどいないが、ニコールのドレスとあってやる気を見せない者は、ここにはいない。
だが、その中で一人、首を傾げる者が居た。
「そいつはもちろん有り難いことなんですが……何で今? ……っていうか、どういう御用向きで?」
何しろ、ジョウゼフの夜会服とイザベルのドレスは仕上げに入っている。
だというのに、追加でよく知らないご令嬢と、ニコールのドレス。
同時受注ということは、恐らく同じイベントで使うのだろう。
しかしそうなると、ジョウゼフやイザベルの追加発注がなければおかしい。
婚約者のいないニコールが、一人で夜会だなんだに出ることはないのだから。
……そこまで考えが回って、まさか、という顔になる。
そして、ルーカスはそれを肯定するかのように一つ頷いて見せた。
「一ヶ月後にある、ファニトライブ王国の王子殿下をお迎えする晩餐会用のドレスです」
「はぁぁぁ!?」
淡々と、抑揚の少ない声でルーカスが言えば、悲鳴のような怒号のような声があちこちから響く。
何しろここにいる面々は、ジョウゼフの夜会服やイザベルのドレスを担当していた職人達がほとんど。
他国の王子を迎える為の衣装にどれだけの時間が掛かるかよく知っているというか、既に実体験として味わっている。
半年ほど掛けてじっくりと仕上げてきた衣装と同じ場所に立つドレスを、たった一ヶ月で仕上げろと。
そんな無茶を、何故このルーカスが言うのか。
言葉よりも雄弁に問いかけてくる視線を受けて、ルーカスは揺るがずに立っていた。
「詳細は省きますが、一言で言えば伯爵様とお嬢様は、政敵に嵌められたのです。元々、本来の通達自体が晩餐会の三ヶ月前とギリギリのものだったのですが」
もしもルーカスが気付かねば、もっと酷いことになっていた。
ある意味ルーカスの手柄なのだが、彼はそのことを口にしない。
口にしたところで、ドレスの納期は延びてくれないのだから。
「この窮地に、ニコールお嬢様は、ショウルームに飾ってあるドレスを着て出ればいいとおっしゃいました。
あれは、我々の技術を宣伝するためのもの。であれば、自らが生きたマネキンとなって宣伝することに何の問題があろうか、と」
淡々としたルーカスの言葉に、その場の誰も、何も言えなかった。
確かに、ショウルームに飾っているドレス達はニコールを想定したものだし、注ぎ込んだ技術はどこに出しても恥ずかしくないものだと自負している。
だが、それは何ヶ月も飾られていたものだ。新品のドレスに比べれば、どうしたって折り目に緩んだところが目に付くのは仕方が無い。
それを、ニコールは身に纏おうとしている。
「皆さんも、ニコールお嬢様のお人柄はよくご存じでしょう。
あの方は躊躇わず……むしろ誇らしげに、あのドレスを着ると宣言なさいました」
ルーカスが言葉を続ければ、「嘘だろ……」「そんな、お嬢様にそんなことを……」といった声が漏れ聞こえる。
彼ら彼女らもまた、ルーカスと同じ心持ちなのだ。
「ですが私は、僭越ながら、待ったをかけさせていただきました。
エイミー・モンティエン様のドレスを仕立てた後から取りかかるという条件付きで、ニコールお嬢様のドレスを仕立てさせていただくことにご同意もいただきました。
何しろニコールお嬢様ですからね、他人を差し置いて自分を優先させるなど、到底受け入れてくださいませんでしょうから」
小さく肩を竦めるルーカスに、ほっとした顔が向けられ。あるいは古参の職人が「よくやった旦那!」と声を上げる。
そんな反応に、この場に居る全員が同じ気持ちであることが確認できて、ルーカスは安堵ともう一つ、何かこみ上げてくるような感情を覚えていた。
「……皆さんがここに来た経緯は把握しています。
そして……お話したことはあったでしょうか。私もまたニコール様に救われ、こうして一つの店を任されるようになった人間です。
このご恩はいくら返しても返しきれないとは思いますが……今こそ、それを少しでもお返しできる時だ、と私は思っています」
針を運ぶ指のように揺らぐことなく。しかして、決然と。
静かに、力強く言い切ったルーカスが食堂を見渡せば、固唾を飲んで神妙に聞き入っている職人達。
その中の一人が、ガタッと椅子を倒しながら立ち上がった。
「お、俺だって、俺だってお嬢様に救われた人間です! お貴族様のご機嫌を損ねて捨てられて、やけっぱちになってた俺を『気に入った』の一言で拾い上げてくれたのはニコールお嬢様です!!」
彼の叫びを皮切りに、俺も、私も、と口々に言いながら、職人達が立ち上がる。
「あたし達だってそうです! 水害で村を追われたあたし達を拾って、こうして職をあてがってくれたのは、ニコールお嬢様です!
だから、あたし達はそのご恩を少しでもお返ししたい!!」
一番の新参者である彼女らですら……あるいは、だからこそか、熱意の籠もった目でルーカスを見ている。
その熱量に、自然とルーカスの背筋は伸びていた。
「皆さん、よく言ってくださいました」
しみじみと。感慨深げに。己の中の様々な激情を押さえ込みながら、ルーカスは顔を作る。
職人達を率いる、親方の顔を。
「ならば、我ら一同、ニコールお嬢様へのご恩返しと参りましょう!
安心してください、伯爵様からは特別手当のお約束をいただいています!
まかないも手当も、普段以上を約束しましょう! ですから皆さん! 我らの全身全霊、あらん限りを持って伯爵様の、そしてニコールお嬢様のご恩に報いましょう!!」
「「おおお~~~!!!」」
ルーカスの声に、全員が力一杯の声で応じる。
元々一体感の強い工房ではあるのだが……今この時が最高に纏まった瞬間だと、後に誰もが思ったものだ。
あてられただけで汗ばむような熱気を受けながら、ルーカスはパンパン、と手を打って場を沈める。
「そのやる気、実に結構。しかし、まずは伯爵様と奥方様のご衣装を仕上げてからです。
それからモンティエン様、最後がニコールお嬢様。この順番は崩せません。
むしろ、崩したらお嬢様がお怒りになるでしょう。ですから、まずはやるべきことを一つずつ。いいですね?」
「「はい、親方!」」
一堂が揃って答え、休憩は終わりだと足早に持ち場へと散っていく。
それを見届けたルーカスは、自身の作業部屋へと戻った。
カチリ、と小さな音を立てて、部屋に鍵をかける。
誰も入ってこれない部屋に、一人。
今から為すことは、誰にも見られるわけにはいかないから。
生地を修めている戸棚の中から、とっておきの生地を引っ張り出す。
それから、以前型紙を作るパターンナーと相談して、いつか大きな場でニコールを彩るにふさわしいだろうと突き詰めたドレスの型紙も。
生地に型紙を重ね、チャコと呼ばれる生地に線を描く道具を手慣れた手つきで操り、ラインを決めていく。
瞬く間。
熟練の職人ですら驚くであろう早業で必要な生地に必要な線を描いたルーカスは、チャコを置いて、一息吐いて。
戸棚の奥、隠していた引き出しから、一振りの簡素な拵えを纏った小剣を取り出した。
彼の前腕ほどの長さだろうか。騎士が腰に佩くそれには短く、ならず者が手にするダガーに比べれば長く。
中途半端とも言える長さ、しかし何故か不思議な存在感を持つそれ。
淀みない手つきで抜き放てば、その刀身は波模様にも似た刃紋を浮かべていた。
「……まさか、こんな形で使うことになるとは。いや、むしろその方がいいのでしょうか」
呟きながら、ルーカスは広げた生地達へと向き直る。
彼の手に、その小剣はこれ以上なく馴染んでいて。
「どの道、二度とこんなことはやりたくありませんが」
ぼやくように言えば、その肩から力が抜け。
次の刹那。光が、走った。
布を裁つ鋏は、鋭さとともに重さが必要だという。
ただ鋭いだけでは、布の腰に負けて線が歪む。
それを押し切るだけの重さも必要なのだ、と。
そして。
鋭さも重さも、何より技量も、これ以上ないものが振るわれる。
一言で言えば、伝家の宝刀。
その結果残るのは、寸分違わず、僅かな歪みもないドレスのパーツ達。
最後の一片まで裁ち切ったルーカスは、ゆっくりと大きく息を吐き出して。
静かに、刃を鞘へと収めた。
「……願わくば、二度とこの刃を振るうことがないことを」
小さな呟きと共に響く、小さな鍔鳴り。
振るってしまった後悔と、結果得られたパーツの満足感と。
その狭間で、しかしルーカスは己を見失わない。
これは、こんな時でしか振るってはいけない力なのだ、と。
「さあ、これから忙しくなりますよ」
持ち場に散った職人達へと届くように。
何より、自分自身へ言い聞かせるように。
賽は投げられた。
生地は裁たれた。
後は、人事を尽くして縫うのみなのだから。




