歪んだ怨念の行く先は。
「くっ、やはり、か……なんたる不覚っ」
それから二日後。
王都にある儀典局へと駆け込んで来たジョウゼフは各種資料を確認し、険しい顔のまま拳を握りしめた。
目の前にある資料が示すのは、ルーカスがもたらした情報通り、ファニトライブ王国王子を歓迎する夜会に年頃の令嬢全員を招待する通達があったこと、その通達をプランテッド家が受け取ったと処理されていること。
勿論言うまでもなくジョウゼフは受け取ってなどいないし、執事のエルドバルやメイド長のケイトだってそうだ。
つまりこれらがねつ造されたものであるのは間違いない。
だが、それを証明する手立てが、ない。
未だ呼吸の収まらぬジョウゼフは、苛立たしげに髪をぐしゃりとかきむしった。
あの後。
見事に馬を駆ったルーカスは、馬車で数日かかる道のりを、たった一日で走破。
フラフラになりながらプランテッド邸に駆け込んだ彼が報告をすれば、ジョウゼフは後のことをニコールとイザベルに丸投げしてルーカスと同じく馬を駆り、一日で王都まで辿り着くと、そのまま儀典局へと駆け込んで来た。
儀典局。
主に諸外国との外交儀礼を担当し、国賓を迎える手筈を整えるなどを行う部署である。
当然様々な外交機密も絡むことが多いため、彼らが扱う情報は貴族家当主でないと閲覧するための許可が下りるまでに数日を要することすらあるため、今回こうしてジョウゼフ自身が駆けつけたわけだ。
そして、その甲斐はあった。
その結果得られたものは、決して幸いなものではなかったが。
「あ、あの、プランテッド伯爵様、何かございましたでしょうか……?」
ただならぬ様子のジョウゼフへと、二十を過ぎたばかりに見える若い役人の一人が恐る恐る声を掛ける。
普段は温厚で冷静な彼がこうも感情を露わにしてしまうのだ、何かまずいことがあったのでは、と思われるのも仕方が無い。
そして、役人は心から心配して声を掛けていた。
そのことに気付いたジョウゼフは、すぐにいつもの穏やかな表情へと切り替える。
……こんなところで、関係の無い彼を心配させるのは申し訳ないし、今更ではあるが、この中に彼へと謀略を仕掛けてきた相手の手先がいれば弱みを、見せることになるのだから。
「いや、何でも無いよ。それよりも忙しい時期に邪魔をして申し訳ないね。ありがとう、参考になったよ」
「い、いえ、とんでもございません! 伯爵様のお役に立てたのならば幸いです!」
ジョウゼフが微笑んで見せれば、若い役人はぴしっと背筋を伸ばした直立不動の姿勢で声を張り、答える。
あまり訪れることのない儀典局だが、それでもジョウゼフの人柄は好ましく思われているらしい。
であれば尚のこと、ここでこれ以上彼らを心配させるわけにはいかないし、弱みを見せるわけにもいかない。
もしかしたら、彼らの力を借りる事態も充分ありえるのだから。
何を、どこまで。誰に。
儀典局を後にした道すがら、ジョウゼフは表情には一切出さず考えを巡らせていた。
相手は、対外的な顔とも言える儀典局にまで影響を及ぼせる存在。
少なくとも、正式な勅使すら抱え込めるだけの政治力と経済力を持っている。
それも、明確にプランテッド伯爵家を敵に回す行為だというのにも関わらず、だ。
ということは、少なくとも伯爵家以上。恐らくは侯爵家か公爵家。
……であれば。
その時、なんとなしに、ふと顔を上げた。
前へと向けた彼の視線が捉えた、一人の貴族。
ジョウゼフの脳裏に浮かんだ顔が、まさに彼の向かう先からやってきた。
「これはこれはプランテッド伯爵。こんなところで奇遇ですなぁ」
「……パシフィカ侯爵閣下……ご無沙汰、しております」
悠然とした笑みを……いや、その中に何か歪んだものを滲ませた顔を見せる侯爵へと、身分が下であるジョウゼフは、思うところを一切顔には出さずに返答する。
何をいけしゃあしゃあと、とも思う。
同時に、やはりか、とも。
彼が向かおうとしている先にあるのは、ジョウゼフが先程まで居た儀典局。
ということは、つまり。
「思ったよりも嗅ぎつけるのが早かったな、そこは流石と言っておこう」
問い詰めるか否か、とジョウゼフが逡巡した間に、当のパシフィカ侯爵自身が、あっさりと口を割った。
むしろ、聞かせて勝ち誇ろうというのだろう。
その心根が、どうにもジョウゼフには受け入れがたく。僅かばかり眉間に皺が寄ったのは、責められないところだろう。
「思ったよりも、ですか。ということは、私が事態を把握するのは晩餐会直前にするつもりだった、と」
「全く、賢しい口を利くものだ。だがまあ、この儂を出し抜いたのだ、それくらいは出来てもらわんとな」
確認するようなジョウゼフの問いかけに、まるで動じた様子も無く侯爵は答える。
いや、もしかしたら色々と振り切ってしまった結果、なのかも知れない。
ジョウゼフへと向ける視線は落ち着いているように見えたが、よく見ればその目は充血しており、若干だが見開かれているような有様。
極度の、我を忘れそうな程の興奮と緊張に苛まされている者の顔。
つまり侯爵は、色々な意味でギリギリのところに来てしまったのだろう。
理解したジョウゼフは、小さく吐息を零した。
「出し抜いたつもりなど、全くないのですがね。私はただ、陛下から賜った仕事を果たしたのみです」
「はっ、ほざきよるわ。それで儂からありとあらゆるものを奪い去ったというに!」
凝視するかのように見開かれ、それでいてジョウゼフすら見ていない侯爵の視線。
話にならない。なるはずがない。
諦めにも似た推論を……恐らくほぼ正解であろうそれを胸中で零しながら。
「奪うも何も、そもそもあなたの得ていた財産だとかが奪ったものでしょうに」
「奪ってなどいない、あれは正当な行いだ、権利だ! 我がパシフィカ侯爵家が持つ、権利なのだ! だったのだ!」
目を見開きながらのそれに、ジョウゼフは否定も肯定も返さない。
それが、最早何にもならないことに、気付いてしまったから。
「その権利を危うくしたのは、失わせたのは、それこそあなたの行い故でしょう。
そもそも、事が明るみに出れば今度こそ致命の醜聞。それがわからぬあなたとも思えませんが……」
そこまで口にしたジョウゼフは、ある可能性に気付いて言葉を切る。
まさか。
普通ならばあり得ない仮定を、視線を向けた先にあるパシフィカ侯爵の表情が肯定していた。
「ああ、そうだとも。陛下直々に、王子殿下がお帰りになった後に降爵だと言われたとも。
やり直せだなどと言われたが、どうやり直せというのだ。儂の代で返り咲くなど出来るわけもなかろうに!」
吐き捨てるように。敬意の欠片も無く声を上げた侯爵は、その顔を憤怒に染める。
「さすれば儂は、家門を傾けた愚か者として末代まで語られるだろう。貴様と、陛下が結託したことによって!」
ジョウゼフからすればとんだ言いがかりだが、状況的にはそう邪推出来なくもない。
そう理解出来てしまったから押し黙るジョウゼフへと……憤怒から一転、侯爵は歪んだ笑みを見せた。
「ならば、儂が末代となればいい。家が絶えてしまえば、語り継がれることもなかろう?」
「何を……そんな、己の体面のためだけに全てを無に帰すおつもりか!?」
「おうともよ、面目こそが貴族の柱、誇りだからな。それが失われるとあれば、いや、奪われるとあれば自ら捨ててこそだろう」
理解出来ない、とジョウゼフは首を横に振る。
あれだけ現世的な利益を追求して、現実の法律の隙間を縫って渡り歩いていた男の言葉とも思えない。
全てにおいて投げやりな、それでいて悍ましいまでに執拗な。
だとすれば、彼のこの行いは。
「だからこんな、遠からず明るみに出るような工作を仕掛けたというのですか!」
「死なば諸共、というだろう? だが、この短い期間では貴様を道連れにまでは出来なんだ。流石とは言わせてもらおう。
であれば、狙いやすいところ……そして何よりも、今回の元凶たる貴様の愛娘くらいは引きずり込ませてもらわねばな」
「どこまでも身勝手な……そもそもの大元は、あなたの弁えぬ行いだろうに!」
当然と言えば当然の糾弾に、パシフィカ侯爵はくわっと目を見開いた。
「何が弁えぬだ! 儂は侯爵、由緒ある尊き血筋! であれば、儂が望んで得られぬものなどそうはない!
こんな、こんな端金を手にするなど、権利とも言えぬ当然のこと!
それを奪ったのが誰か、如何に力を削がれたとは言えど、調べるは容易いわ!」
「どこまで度しがたいのだ、あなたという人は!」
恥じること無く横領を口にする、何なら誇っていそうな口調に、ジョウゼフも耐えかねて声を荒げてしまう。
こんな身勝手な男のために多くの者が水害に怯える羽目になり、彼の愛娘は窮地に立たされたというのか。
怒りに身を震わせるジョウゼフを見て、パシフィカ侯爵はどこかここでない所を見ながら、愉悦に唇を、目を歪める。
「知ったことか。全ては終わったこと、最早どうにもならぬのだ。であれば派手に散らすまでのことよ。
せいぜい足掻くが良い、足掻けるものならばな!」
そう言い捨てて侯爵が身を翻すも、ジョウゼフは追いかけることをしなかった。いや、出来なかった。
もしも追いかけてしまえば、間違いなく彼を手に掛けていた。
そうなれば、如何に侯爵に責があれども、プランテッド家とて何某かの処罰は下されてしまうだろう。
そして間違いなくパシフィカ侯爵は、それを見越して挑発をしていた。
これでジョウゼフが激高すれば、彼までも道連れにすることが出来たのだから。
「その執念を、真っ当な方向に向けていれば、こんなことにはなっていないというのにっ!」
当たり前で、だからこそ侯爵の心には響かないだろう言葉は、虚しく消えていく。
強烈な虚脱感を感じながら、ジョウゼフが踵を返すと。
「ここにいらしたのですね、伯爵様!」
一人の青年が、マナーも無視してジョウゼフへと駆け寄ってきた。
その顔には、見覚えがあったため、高ぶっていた感情を何とか抑え込み、ジョウゼフは彼へと向き直る。
「おや、これはモンティエン殿。一体どうしました」
そう、エイミーの兄であり、かつて事務処理で手助けをしてくれた、モンティエン男爵家の次男。
礼儀正しく礼節を弁えていた彼が、息を切らせながら駆け寄ってきている。
……ジョウゼフの脳裏に、悪い予感が走る。
「無作法なお声がけ、申し訳ございません! しかし、どうしても急ぎ伯爵様にお願いしたいことがございまして!」
そう言いながら彼は、一通の書状を手にして見せた。
まさか。いや、しかし確かに。
ジョウゼフの背筋に、冷たいものが流れた。
「伯爵様の元でお世話になっているエイミーに、妹に、これをお渡しいただきたいのです!
晩餐会への招待状が、何故か今になって私共のところに!」
悪い予感が当たってしまったことに、ジョウゼフは絶句してしまう。
パシフィカ侯爵は、ニコールが元凶だと調べ上げた。
であれば、その過程でエイミーの過去や功績にも当たったことだろう。
ファニトライブの王子殿下はエイミーの4歳下、王侯貴族の婚姻においてギリギリ姉さん女房としてあてがえなくはない。
そして、言うまでもなくエイミーは未婚である。
……招待される令嬢の条件に、ギリギリ、入ってしまっている。
そう。つまり、パシフィカ侯爵の歪んだ八つ当たりの先は、ニコール一人ではなかったのだ。
常軌を逸したその執念……もはや怨念と言っていいだろうそれに、ジョウゼフは言葉を完全に失った。




