春の嵐。
※新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
お待たせ致しました、無責任令嬢、再開致します!
こうして、プランテッド領が降って湧いたようなトラブルに襲われた冬を越え、多数の人材をさらに囲い込むことに成功して、迎えた春。
例えばカシムと同じ村出身の者達が、便りを聞いてやってきたり。
経済的な基盤が出来たからと、シャボデー辺境伯に厚くお礼を言いながら、預かってもらっていた子供や老人を引き取ったりして、ますます賑やかになっていた。
人が増えた、だけでなく、それぞれがそれぞれに能力を発揮する土壌を与えられ、本領を発揮しまくることでプランテッド領の技術や商材は評価が高まり、様々な引き合いも増えていく。
その中にあって古参であり、揺るぎない評価を築いている男であるルーカスは、珍しくプランテッド領を離れ、王都を訪れていた。
「いかがでしょうか、ラフウェル様」
「うん、全体として古典的で落ち着いた印象を与えながら、それでいて細かに気遣いが行き届いて動きやすく誂えられている。普段使いの一着としてこれ以上ない出来映えだよ、ルーカス」
「有り難きお言葉、恐縮でございます」
王都にあるラフウェル公爵邸、その一室。
仮縫い、というにはほとんど完成品に近い状態のそれを見て、ラフウェル公爵は満足げに頷いて見せる。
以前夏の普段使いを誂えたルーカスは、その一着を公爵が気に入ったらしく、春物の仕立ての為に呼ばれていた。
もちろんここまでの交通費や滞在費含め、全てこみこみの手間賃を提示された上で、の話である。
ジョウゼフと懇意にしているだけあって、このラフウェル公爵もまた、人の使い方を心得ているのは間違いない。
その後いくつか注文はつけるも、それらはどれも細かなもの。
公爵の好みを伝えつつもルーカスの職人としての矜持も傷つけない、そんなバランスの取れた注文の出し方に、むしろ受けたルーカスの方が内心で舌を巻くほど。
公爵家御用達の職人に比べれば、まだまだルーカスなど馴染みは薄い。
それをわかって、しかし今後も付き合いは続けようと思っているからこそ、公爵は注文にも気遣いを見せているのだろう。
ルーカスとしては、もうそれだけでも胸にこみ上げてくるものがあるくらいである。
そんな感慨を顔には出さずにルーカスが生地や道具を片付け始めていると、上着を着直したラフウェル公爵が、くるりと振り返った。
「しかし、こんな時期にわざわざ来てもらってすまないね。君もプランテッド伯爵家の仕立てで忙しいんだろう?」
「ああ、来月に行われる晩餐会の衣装でございますね。そちらは半年前から取りかかっておりましたので、もう既に完成の目処が立っております」
「手技だけでなく、その辺りの段取りも流石だねぇ」
穏やかな微笑みとともにルーカスが答えれば、感心したようにラフウェル公爵もうんうんと頷いて返す。
先日国王ハジムが言っていたように、この春ファニトライブ王国の王太子を迎えて様々な会議を行うことになっており、当然彼を国賓として迎えての晩餐会も開かれる。
それ自体は半年前から確定しており、当然ルーカスもそれに合わせて仕立てを進めていた。
公爵が知る限り、今までの工程においてルーカスが遅れを生じたことなど一切無く、むしろ常に余裕を持って進行をしていた程。
この最終仮縫いも、予定より一ヶ月早くなっているくらいなのだから。
であれば、当然主家であるプランテッド伯爵家の仕立ても十二分に余裕を持って進めているのだろう。
「この分だと、ニコール嬢のドレスも余裕で仕上げているのだろうねぇ」
話の流れとして当たり前のように公爵が口にする。
だが。
それを聞いて、ピタリとルーカスの動きが止まった。
ゆっくりと……普段の丁寧な動きよりも更にゆっくりと、首を巡らせて。
「あの、申し訳ございません、ラフウェル様。何故そこで、ニコールお嬢様のお名前が……。
私が承っておりましたのは、伯爵様と奥方様のものだけでしたが……」
「何?」
思わぬルーカスの返答に、今度はラフウェル公爵が固まる番だった。
あのジョウゼフが、愛娘のドレスを忘れるなどありえない。
そしてこのルーカスが、そのことを失念するなどあり得ない。特にジョウゼフへの忠誠以上にニコールへ入れ込んでいる彼であれば。
「……二ヶ月前、年頃の令嬢も全員晩餐会へ参加させるよう通達があったのだが。
ファニトライブの王太子殿下は二十歳を前にしてまだ婚約者をお決めでない故、我が国の令嬢を嫁がせられればこれ幸い、と。……まさか」
予想だにしなかった事態とあって、ラフウェル公爵もルーカスも言葉を失う。
ただでさえ、国賓を迎えての晩餐会となれば準備に時間が必要だ。
最初の通達があった三ヶ月前ですらギリギリ、婚約者候補として売り込むつもりならば半年は準備期間が欲しいところ。
もちろんプランテッド伯爵であるジョウゼフも令嬢であるニコール本人も売り込むつもりはこれっぽっちもないだろう。
しかし、それはそれとして体面上はそれなりのドレスを仕立てて出席しないわけにはいかない。
だが、そのニコールのドレスを今ではほとんど専属に近い状態で請け負っているルーカスに、声が掛かっていない。
これが意味するところは。
「もっ、申し訳ございませんラフウェル様、これにて急ぎお暇させていただきたくっ」
普段温和かつ冷静沈着であるルーカスが、言葉を乱しながら急ぎ帰り支度を始める。
それも無理からぬこと、事と次第によってはプランテッド伯爵家を揺るがすことになりかねない事態とあって、ラフウェル公爵もすぐさま頷いて。
「ああ、勿論。いや待てルーカス、これからプランテッド領に戻るのであれば馬車を……いや、その方、馬には乗れるか?」
「は、はい、恐れながら、それなりに嗜んではおります」
ふと思い至ったラフウェル公爵がそう問いかければ、ルーカスは若干の躊躇いを見せながらも、肯定の返事を返す。
最初の仕立てをした時から思っていたのだが、公爵から見てもルーカスは貴族としての教育を受けた者の雰囲気があった。
であれば乗馬の訓練も受けているのでは、と踏んだのはどうやら当たりだったらしい。
先日の堤防工事視察において、ジョウゼフは馬にて現場に駆けつけていた。
公爵や侯爵はともかく、伯爵やそれ以下となれば自分の目であちこちを見て回らねばならぬ場面も多いのだが、馬車では時間がかかる上に道がある程度整っていなければ進めないことも少なくなく、そのため乗馬を嗜んでいることが多い。
何しろ、騎乗であれば馬車の二倍以上の速さで進むことも可能なのだから。
もっとも、乗馬に耐える馬の訓練と維持にはそれなりの人手と費用がかかるのだが……ルーカスは、それらの条件をクリアする環境に、かつてはいたのだろう。
「ならば、当家の馬を貸す故、急ぎ戻るがいい!」
「な、なんですと!? いえ、ラフウェル様のお心遣い、このルーカス、深謝の念に堪えません!」
「堅苦しい儀礼はいい、今はとにかく、プランテッド領へ一刻も早く!」
「はっ、ありがとうございます、お言葉に甘えまして、御前を失礼いたします!」
普段であれば丁寧に挨拶を重ねた上で辞するルーカスだが、口頭の許しを得たと思えば、即座に身を翻した。
その後を公爵の指示を受けた執事の一人が追い、馬小屋へと向かう道行きを案内していく。
二人が慌てて駆け去るという失礼極まりない様子を、しかし咎めるどころか心配げにラフウェル公爵は見つめていた。
「どうして、こんなことが……一体、何故……」
今回の通達は国賓の歓迎に関わることであり、国王直々の通達とあって、王都にいなかった貴族家当主へは正規の使者が立てられている。
彼らは使者とその補佐、更には護衛と複数人で行動するため、そうそう万が一のことなど起きはしない。
万が一何かあったとしても、数日でそのことは把握され、調査の者や代わりの者が派遣されるはず。
少なくとも、二ヶ月も放置されている、なんてことはありえない。
「まさか……いや、今のジョウゼフであれば……」
プランテッド伯爵家を陥れる為の策略。その可能性は、恐らく高い。
ほんの数ヶ月前であれば、プランテッド伯爵家はただの貧乏伯爵家であった。社交界では。
その実態は、身銭を削って領地経営を上手く回し、そのため社交界では華美に着飾ることなく落ち着いた装いで最低限必要な夜会にのみ顔を出していた、というもの。
知る人ぞ知る、だけのはずだったその実態が、先の治水工事完遂を機に様々な方面へとその経済力や政治力が明るみに出てしまった。
であれば、彼を陥れようとする人間が出てきもするだろう。
ただ、それが誰なのか……最高位貴族の一人であるラフウェル公爵であっても、今それを把握することは出来ない。
「頼むぞルーカス、まずはどうにか晩餐会を……そうすれば、後は私が何とかしてみせる」
政治的な意味でも、感情的な意味でも、ジョウゼフの失脚はラフウェル公爵にとって望ましくはない。
むしろ、こんな策略を仕掛けてくる人間をのさばらせておくわけにはいかない。
そうは思っても、今この状況では、やり返す時間は恐らく足りない。
であれば、まずは何とかしてこの状況を乗り越えなければならない。
王国内において大抵のことは意のままにできる公爵家当主だというのに、今はただ、ルーカスが間に合うことを祈るしかなかった。




