酒は飲め飲め、飲むならば。
「さあ皆様、飲み物は行き渡りましたか?
それでは、皆様の無事のご到着と今後の展望を祝しまして、かんぱ~い!」
ニコールがそんな音頭を取りながらジョッキを掲げれば、それに合わせて難民達も勢いよくジョッキやグラスを掲げた。
かと思った次の瞬間には、『もう待っていられねぇ!』とばかりに男性陣がジョッキを傾け、グビグビと喉を鳴らしながらエールを流し込んでいく。
やがてダン! ダン! と勢いよくジョッキが置かれ、ぷはぁ、と漏れる息に滲むのは幸せの色。
ただ酒ほど美味いものはない、と嘯く者もいるが、それがどうやら嘘とも言い切れないらしい、と男達は久々に実感した。
こんなに美味い酒は、村の収穫祭で振る舞われたそれ以来だろうか。
ふと思い出してしまった一人が、ぐす、と小さく鼻を鳴らす。
気がつけば、もう一度ジョッキを煽り。
あっという間に、至高の一杯は空になってしまった。
そのことに彼らが気付いた、まさにその瞬間。
「おばさま、皆さんにエールのおかわりをいただけるかしら!」
彼らにとっては神の声にも等しい注文が響く。
呆然と、あるいは感動したような目を向ければ、その先にいるのは堂々と胸を張り注文をしているニコール。
なお、すっからかんでツケ払いを宣言しているのだが。
そんなニコールに苦笑を見せながらも、「あいよ」とベティは快諾して厨房へと向かう。
「え、ちょ、いいんですか、ニコール様、その、お支払いが……」
「いいんですいいんです。こういう時はぶわ~っとなのです、ぶわ~っと!
わかったのなら、黙って奢られ、飲み食いしてくださいまし!」
「いや、わかっていいのかわからないんですが!?」
まだ理性が残っていたらしいリーダーが心配するも、当のニコールは全く気にせず、更に煽り出す始末。
それでもまだ流されないリーダーへと向かって、ぴっとニコールは人差し指を突きつける。
「ではお聴きしますが。今のエール、美味しかったですか?」
「そ、それは、もちろん美味しかったですが……」
問われて、彼はゴクリと喉を鳴らす。
それが、緊迫感によるものか、あの味を思い出したからなのか、彼にすらわからない。
ただ、あのエールは美味しかった。もしかしたら今までで一番と断言出来るほどに。
「他の皆様はいかがですか、美味しかったですか?」
「も、もちろんですとも!」
ニコールの勢いに乗せられ、他の男性陣も思わず頷いてしまう。
飲み食いにも事欠く有様だったこの数日を思えば、あのエールは天上の甘露だったとすら思えてしまうのだから。
さらにそれが、伯爵令嬢からの奢りだというのだ、割と脳が情報を処理仕切れないまである。
そんな彼らの答えと表情に、ニコールは満足そうに一つ頷き。
「ならば、よろしい! 美味しいものを楽しむのに、何の遠慮がいりましょうか!
少なくとも、ここプランテッド領では誰にも文句は言わせません!」
ばん、と胸を張って宣言するニコール。財布はすっからかんだが、何故か威厳があるかのように見えるその姿。
思わずその姿に見とれている内に、ベティや従業員がおかわりを持ってきて、空いたジョッキを交換していく。
ふと我に返れば、目の前には新しくなみなみと注がれたエール。
男達の喉が、ゴクリとなる。
「さあ皆様。それではぐい~っといきましょう、ぐい~っと!!」
「おお~~~!!!」
ニコールの音頭に乗せられて声を上げた男達は、ぐいっとジョッキを煽った。
美味い。
久しぶりのアルコールが身体に回ってきた後の、もう一杯。
身体が緩んだところへ、心も緩ませてくれる力強い言葉が後押しとなって、心からその味を楽しむことが出来た。
それは本当に、思わず涙が滲む程に、美味かった。
「さあさあ、飲み終わったのならもう一杯いっちゃってくださいまし!
プランテッドのお酒は陽気なお酒です、笑いながら飲んでしまいましょう!」
「はい!」
乗せられて、思わず無遠慮に即答してしまう。
だが返ってきたのは、それを咎めるどころか、そもそも許すだとか考えもしていないニコールの笑顔。
そんなものを見せられれば、改めて思う。そして、これ以上なく理解させられてしまう。
飲んで良いのだ、と。
それは同時に、生きていいのだと、楽しんでいいのだと言われているようで。
とうとう男達は隠す努力を放棄して、泣き笑いしながらジョッキを傾け、これ以上無いエールを堪能した。
「はぁ~……これだから、男共は……」
その様子を見ていた一人の難民女性が呆れたように言う。
もっとも、彼女にも彼らの感慨は理解出来ていて、その証拠に目元が少し赤くなっているのだが。
そんな自分を誤魔化すように悪態を吐くと、手にしたグラスを傾けた。
最初に感じたのは、爽やかでありながら少しばかり艶っぽさを感じる香り。
口にすれば、すぅっと舌を刺激する爽快感と苦み、それらを包み込む甘さと、後を濁さない酸味。
今まで味わったことのない感覚に、思わず口を離してまじまじとグラスの中を覗き込む。
グラスの中にあるのは、鮮やかな緑色をした液体。
あの時ニコールは、リキュールだと言っていた。
確かにリキュールではあるのだろうが、これは。
「あ、お口に合いませんでしたか?」
思考に囚われそうになったその時、まさにそのニコールが、唐突に話しかけてきた。
完全に不意を打たれた女性は、ずばっと音がしそうなほどの勢いでニコールへと向き直る。
先程まで男共を煽っていたニコールは、いつの間にやら彼女の隣の椅子にちょこんと座っていた。
にこにこと向けてくるあどけない笑顔には、先程まで手慣れた様子で男達に酒を勧めていた面影はまるでない。
「あ、いえ、美味しくてびっくりした、と言いますか……初めての味でびっくりしたと言いますか」
「うふふ、そうでしょうそうでしょう。こちらのリキュールは我が領の特産である薬草リキュールなのですから!」
「や、薬草リキュール?」
思わぬ言葉に、女性はぱちくりと目を幾度か瞬かせる。
その反応は期待したものだったのか、少々調子にのった様子でニコールは得意げに語り出した。
「ええ、薬草リキュール、文字通り薬草を漬け込んだお酒でございます。
味はもちろんのこと、薬効成分もしっかりと溶け込んでおり、特に胃の調子を整え活発にする効果があるので食前酒には最適なのです!」
「え。食前酒」
言われて、女性は思わず自分の胃の辺りをさすれば、確かにその辺りが軽くなっていることを感じられた。
ここ数日歩き通しで、疲れ切った身体だというのに。
むしろ、暖かな湯気を漂わせるシチューを見れば、くぅ、と小さく音が鳴るほどで。
「どうやらお体の準備もできたご様子。さあさあ、このお店自慢のシチュー、暖かくて美味しい内に食べてくださいませ!」
「は、はぁ……」
言われるままに、逆らうことなど考えも出来ずに、彼女はスプーンでシチューをひとすくいし、口に運ぶ。
それを、味わって。
気がつけば、あっという間にシチューは空になっていた。